昨日は庭のバラの周りをせっせと草取り。
夫婦で芝生に座り込んでの作業である。
陽気がいい。
農家の夫婦みたいね。
幸福感がある。
夫と妻が、泥にまみれながら黙々と草を抜く。
こんな幸せも、あるよね。
今日。
雨が降る前に、山へ木を伐りに行くことになった。
空一面グレイの雲。
それなのに、山から見下ろす対岸の景色はクリアだ。
黄砂が雨で落ちたかな。
静かな山に、ウグイスの鳴き声が響く。
海に目をやると、ブルーグレイの海。
早咲きの桜が満開であることに気づく。
足もとにはタンポポ。
焼け焦げた切り株から、にょきっと、名も知らぬ草が伸びていた。
生き物が動き始めたんだな。
夫はチェンソーで丸太を切る。
チェンソーの起動がなかなか思うようにはいかないようだ。
夫が切った輪切りの木に斧を入れるのが私の仕事。
しばらく待たなければならない。
小枝を拾い、集めて、上の道路に上げる。
それを車に積む。
積み終えて小休止。
帽子を取ると、ふわっと心地良い風が額の汗を飛ばす。
タオルで汗を拭う。
夫はエンジンのかかったチェンソーで、木を切っている。
聞こえるのはエンジン音と、時々鳥の声。
自然の懐に抱かれている。
この言葉のままの感覚。
こんなところで汗を流していると、夫の裏切りなんて小さなこと、どうでもよくなってきた。
日本人は諦めがいい。
日本人は物わかりが良すぎる。
今朝のテレビで訳知り顔の男性がそう言っていた。
もっと怒るべきだ、と言っていた。
私の友人も、夫のことについて「もっと怒っていいよ」と言った。
いえいえ、私が1か月も彼を追及し続けたことは知らない友だち。
事が起きたときに彼女が私に言った言葉。
でもすぐに私は怒るのをやめた。
でもすぐに私は怒った。
でもすぐに私は怒るのをやめた。
でもすぐに私は怒った。
この繰り返しの1か月。
雨が降り出して作業を中止した私たちは、かなり疲れていた。
めずらしいことだが、二人して昼寝をした。
ぐっすり眠って起きたのは午後6時。
私は夕飯の仕度を始めた。
夫は、老人会の会計報告を持って近所に出かけた。
レンコンやさつまいもを切りながら、思った。
なぜか夫のことを可哀想だと感じた。
彼がイノチという言葉を口にした。
よく分からない、そう私が言うと、彼は10年もしたらわかるよ、と答えた。
彼は老後を共に生きる相手として私を選んだ。
それなのに、一人残される私の身になってよ、と、青臭い娘のように「自立」を振りかざした。
私を求める彼、振り切ろうとする私。
さみしかったのだろう。
日常生活では、日に日に女房に頭が上がらなくなる。
老いた彼が、自分に残されたわずかな力をたのんだのは容易に想像できる。
イノチの甦りを願った。
彼は弱い人の相談に乗ることならできる、と無意識に思った。
D子が自分に話をしたがっている。
彼はそう言う。そう感じたと言う。
それは表向きだろうとは思う。
しかし人の心の中は、本人にも分からない場合がある。
彼が感じた彼女の望みとは、そのまま彼の望みだった。
それを夫は彼女の望みだと錯覚したのである。
彼女が一度目の電話を私に秘密にしたことを、夫は彼女の「OK」だと了解した。無意識にね。
再会した彼女は、思わぬ態度で夫を驚かす。
会いにきたのは妻の私ではなく、夫なのだと、彼は感じた。
彼女は夫を求めている、そう感じても無理はない。
妻ではなく自分を求めている。
必要とされることを必要としていた夫が、素直に「I want」と彼女を求めた。
自然な流れだ。
妻に拒まれていると感じていた夫にはね。
自ら求めないことを義理や義務感で行うことはあまりない。
夫が彼女に電話をして、妻の留守中に会いませんか、と言ったこと。
これについて、不幸せな人を助けるためだ、あるいは自分と一体である妻を守るためだ。この言い訳は少し無理がある。
だから私は追及した。
いったい何が彼の行動の原動力だったのか、と。
私に対する多少の意趣返しもあっただろう。
日に日に力をつけ、自分への関心も敬意も失ったかに見える妻。
彼の妄想もそれに拍車をかけた。
夫が彼女に電話をかけたという行動は、私たち二人の関係では、そうそう簡単にできることではないのだ。
彼の何がそれをさせたのか。
よくわからない、とういうのが正直なところだ。
けれど、1か月もかけて夫を追及するうちに、私のなかの怒りは次第に薄れていった。
この程度のことでここまで追及されるのか、と、世の殿方は思われるだろうな。
「この女、凶暴につき」と張り紙をしているので、どうぞお近づきになりませぬよう。
夫は、ありがたいことにつきあってくれたのね。
私がかわいそう、と思ったのは、このあたりもある。
それ以前に、おいしいご飯を作ってこと足れり、としていた私。
私は私で、妻としてよくやっていたつもりだった。
でも彼は心にすきま風。
夫も妻も、それぞれが自分が生きるために必死だったのだ。
昨日の草取りで、バラの根と、芝生の根と、クローバーの根が、凄まじい生存競争をしているのを見た。
おまえたちも、私たちも、みんな必死で自分が生きるために頑張ってるんだね。
D子も夫も私も、それぞれ自己中心的な人間だけど、それもまたあり。
自分が生きるために懸命だっただけ。
それが見事にすれ違った。
今回のトラブルは、3人の人間のあいだで起きた。
みーんな、自分のことばかり考えていたのね。
大根をおろしながら思う。
神様が夫と私を永遠に別れさせようとしているんじゃないかしら、と。
夫がかわいそう、と思った私は、そうではないことに気づく。
夫も私もかわいそう。(D子は残念ながら加わらない)
夫も私も、バカで、かわいそうだね。
でも愛おしい。
そう、愛おしいという感情がわいてきた。
夫と私の二人に。
しだいにそれは広がっていき、人間って愚かだけれと愛おしい、に変わっていった。
今日の私は、そんな気持ち。
とっても愛おしい。