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主の御跡(しゅのみあと)    

2020-11-24 09:49:30 | 日記

半年程経った時、神さまは私の祈りに答えてくださいました。


しかし、それは少々痛みを伴うものでした。


職場の同僚の一人と、些細なことで言い争いになりました。
というより、言い返さなかったので私の中に怒りが生じ、やがて彼女を赦せないという気持ちに発展していきました。
日増しにその赦せないという思いがつよくなり、次第に彼女を拒絶していきました。

毎日一緒に仕事をしている仲間なのです。
私は赦さなければならないと思うようになりました。
しかし、どうしても赦すことができません。
赦したくても赦せないのでだんだん苦しくなってきました。

そこで今度は赦せるように祈り始めました。
しばらくの時が経ち、ある日赦せるようにと祈っていると、自分の心の中が見えました。

神さまが見せてくださったのです。

真っ暗でした。
真っ暗闇なのです。
なんて
暗いのだろう・・・

右を見ても左を見ても、どこにも一点の光も見つけることができません。
真っ暗な泥沼の中に、自分がどっぷりと浸かって溺れかかっているような感覚です。
 

ああ・・
これが罪の世界なのだ。

とようやく気がついたのです。
神さまは祈りに答えて私の罪を教えてくださいました。

しかし、
どうしたら
ここから抜け出すことが出きるのだろう。
出口がわからないのだから自分では出られないのだ、、

私以外の誰かがこの泥沼から手を引っ張って救い出してくれる以外にない。

いったい誰なのだろう、、
そうして

悶々とした日が続きました。

 

又半年程経ったとき、
教会のキャンプの集会で
「すべてが終わった」ヨハネ19:30

というイエスの言葉を聞いたのです。

それは、キリストが十字架で死なれたことにより、罪の赦しのためのあがないの御業が完了した。
十字架によって救いの御業が完成した。ということを聞きました。

ああ、そうなんだ!

一瞬にして、
霧が晴れ、青空の輝く光の世界に移されたようでした。

それまで、2000年前に生まれて死んだ
イエス・キリストと
今生きている私とどういう関係があるのだろうと思っていたのです
 
 

長い間、探し求めていた真理にようやく出会いました。

罪の中にいながら、罪に気づかず、一点の光もない真っ暗闇の泥沼の中で孤独でもがいていた私を救い出してくださることができるのは、

この方、主イエス・キリストなのだ!!

私の罪を赦すために、身代わりとなって十字架にかかってくださったお方、
私のためにご自分を犠牲として生け贄として、父なる神に捧げてくださったお方、
主イエス・キリスト

私はこの方を私の主として、救い主として信じ、告白します。

父なる神よ
ひとり子イエスを地上に遣わしてくださり、ありがとうございます

御子なるイエスよ
地上に来てくださりありがとうございます。そして、
私のために十字架で
死んでくださってありがとうございます。 聖なる御霊よ 父なる神とイエスを教えてくださりありがとうございます。
 
 

 


 
 

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