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小さな花の輝く世界

小さな植物や花の知られざる輝きをご紹介いたします。くわゐ(匙太sagittaria)です。お間違えなきよう

伊佐沼散歩🈡令和に甦る景色

2020-07-06 07:55:55 | 探求散歩

今回、伊佐沼「探求散歩」の最終回を更新いたします。

 

伊佐沼を何度も歩き回って、いろいろ調べてみましたが、沼が昔は大きかったこと、何度か干拓されたことを知り勉強になりました。

干拓が昭和9~11年であったことも、ブログ等ではこれまで公開されていない情報なので、少しはお役に立てたかもしれません。

 

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中途半端に打ち切ってしまった、伊佐沼がもし干拓されなかったら、どんな風景か?

埋め立てられる前の広い伊佐沼の写真が、ネットで見つからなかったので、想像して自分で作ってみました。

沼の北東端(農産物直売所)からスタートして、かつて沼だった場所を歩いて写真を紹介しました。

続きは代用水路流入部分から、現在の沼の北西端(薬師神社付近)までです。

前半部は 伊佐沼散歩❸まぼろしの風景 - 小さな花の輝く世界 をご覧ください。

 

おさらいとして、干拓された沼の状況をご確認ください。

画像を加工して、もしも昭和初期に干拓されず、令和まで残っていたら、これが今回のテーマです。

「地理院(単写真)」より加工 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html

 

今日は県道51号川越上尾線の辺りから出発します。今回の画像は❻~❿です。

❶~❺は 伊佐沼散歩❸まぼろしの風景 - 小さな花の輝く世界 をご覧ください。

画像はOpenStreetMapを加工しています。 OpenStreetMap

 

県道の寺井橋から南に向かって撮影しています(❻)。

左側が伊佐沼代用水路、右側が鴨田排水支川(御成排水路)です。

川の水位と沼を合わせるところ、沼のエッヂを作るのに苦労しましたが、出来はいまひとつ。

埋立前の沼では、この場所で水路との接続はありません。干拓後に水路が出来たみたい。

伊佐沼代用水路には寺井橋、鴨田排水支川には四ツ谷橋がそれぞれ架かっています。

この辺りの地名は、あちこちに飛び地がある寺井なんですが、隣の四ツ谷橋は寺井村字四ツ谷だそうです。

昭和初期の地形図には、寺井ではなく四ツ谷と書いてあるし、農協前に「四ツ谷」バス停があるし・・・。

江戸末期の馬頭観音には「四ツ谷村」の碑文があるという(探しに行ったが見つけられなかった)。

調べてみると面白い地名のような気がします。

「今昔マップ on the web」より加工 今昔マップ on the web

 

寺井橋から少し水路を下ると畦道に分岐しています。

この小さな未舗装の農道のカーブが、昔の伊佐沼の岸辺だった感じですね。

歩いて行くと小さな石碑に出会いました。この地点から北東に画像を撮影です。

古い石碑が残るように沼を再現してみました(❼)。

石碑の位置は道から外れて出っ張っていました。

道沿いに沼を引くと、石碑の位置は沼面のほうが自然です。

干拓後に移設されたのかもしれません。

石碑は「馬頭観音」。馬が農耕、交通といった人の生活に身近だった時代、馬の供養や無病息災、旅の安全を祈念した塔だそうです。

この辺は道端だけでなく、田んぼの中にこうした塔が多いです。干拓前の沼のほとりにあって、農作業を見守っていたのでしょうね。

側面には、いくつか碑文が刻まれているのですが、画像からはあまり判読できないです。

碑文は拓本を取るのが良いのですが、にわか探訪者はそんな機材は持っていません。

石塔の右側面には「願主 伊佐沼村 須賀文右エ門」と読み取れました。

伊佐沼村が芳野村に統合されたのは明治22年(1889年)。それ以前の建立でしょうか?

左側に建立年が刻んでありましたが、現場では「治 十 三」と読み取れました。

明治13年(1880年)だったら辻褄が合うと思い、家で画像をいじってみたら「明」では無く「元」でした。

よく見ると「元治元年」と刻んでありましたが、それ以下は「四」らしき字があって、判読不能でした。

元治元年(1864年)は江戸最後の元号「慶応」のひとつ前です。

下が石碑の碑文です。下手ですが白線でトレースをしています。

 

半分過ぎたので、再び撮影地点の地図を表示します。青い点線より上が、むかし沼だったところ。

画像はOpenStreetMapを加工しています。 OpenStreetMap

 

さらに南に沿って行くと、樹に囲まれた薬師神社が見えてまいります(❽)。

こちらは干拓前からあって、沼に突き出すような感じで建っていますね。

神社の敷地にある、赤い屋根の白い建物は伊佐沼公民館です。

畦がそのまま護岸みたいに見えてくれました。

元画像では、左端に農業ふれあいセンターが見えます。

拓後、長いこと田圃でしたが、市民農園事業が昭和60年(1985年)に始まり、鴨田排水の東側が農園になりました。

農業ふれあいセンターの建物は、平成元年(1989年)にオープンです。

写真の加工はセンターの建物を消した後、背景に農産物直売所を貼り付けています。

薬師神社です。社殿の建立は元和9年(1623年)だそうで、伊佐沼の歴史を見守り続けています。

薬師神社にかなり近づいてきたところで、北東側を望む(❾)。

畦が護岸ぽく見えるので、加工しやすかったです。

船を浮かべた絵面にしてみました。

右端に見えるのは埼玉医大の建物です。

元になった画像も田植え前で平坦。消去するような建物もなく簡単に復元できました。

干拓地の西端、北伊佐沼橋まで来ました。ここからの眺めの想像図(❿)

今までの画像の中で、いちばん手がかかったと思います。

目の前にあるものを消去して、対岸の農産物直売所が見えるように作り込むのに苦労しました。

とはいっても、素人の加工なのでそんなに上手くはないです。

ハスを見る橋の出入口をこちらに作ったら、もう少し見栄えが良かったのですが・・・。

元画像を見ていただければ分かりますが、半日かかってかなり加工しています。

電柱と電線を消すのが結構めんどうでした。

目の前の赤い屋根の家は、沼なので全部消去し、農業ふれあいセンター周りの施設も沼面とします。

対岸を作って、農産物直売所を貼り付け、こちら側の柵を加工し、不自然ながらそれらしく仕上げました。

長くなりましたが、最後までご覧いただき有難うございました。

自分の花画像は、特殊なレンズを使っていて、あまり他にない絵面が多いです。

散歩で撮った画像も、折角なので今まで誰もやっていない絵面を、と思い作ってみた次第です。

まだ図書館等は訪れていませんが、干拓前の伊佐沼写真の実物もぜひ探してみたいです。

 

花の画像を撮りに行く回数が減っており、ブログ記事のネタが乏しいです。

それに対して、散歩の画像は結構あり、記事なんとなく出来ております。

打ち切ってしまいましたが、花の画像のつなぎとして、散歩画像を載せることもあるかも知れません。

出来れば焼き直しでない、今まで誰もブログにしていない事項を、ひとつでも盛り込んでいきたいです。

どうぞよろしくお願いいたします。



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