
今回、伊佐沼「探求散歩」の最終回を更新いたします。
伊佐沼を何度も歩き回って、いろいろ調べてみましたが、沼が昔は大きかったこと、何度か干拓されたことを知り勉強になりました。
干拓が昭和9~11年であったことも、ブログ等ではこれまで公開されていない情報なので、少しはお役に立てたかもしれません。
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中途半端に打ち切ってしまった、伊佐沼がもし干拓されなかったら、どんな風景か?
埋め立てられる前の広い伊佐沼の写真が、ネットで見つからなかったので、想像して自分で作ってみました。
沼の北東端(農産物直売所)からスタートして、かつて沼だった場所を歩いて写真を紹介しました。
続きは代用水路流入部分から、現在の沼の北西端(薬師神社付近)までです。
前半部は 伊佐沼散歩❸まぼろしの風景 - 小さな花の輝く世界 をご覧ください。
おさらいとして、干拓された沼の状況をご確認ください。
画像を加工して、もしも昭和初期に干拓されず、令和まで残っていたら、これが今回のテーマです。
「地理院(単写真)」より加工 https://maps.gsi.go.jp/development/ichiran.html
今日は県道51号川越上尾線の辺りから出発します。今回の画像は❻~❿です。
❶~❺は 伊佐沼散歩❸まぼろしの風景 - 小さな花の輝く世界 をご覧ください。
画像はOpenStreetMapを加工しています。 OpenStreetMap
県道の寺井橋から南に向かって撮影しています(❻)。
左側が伊佐沼代用水路、右側が鴨田排水支川(御成排水路)です。
川の水位と沼を合わせるところ、沼のエッヂを作るのに苦労しましたが、出来はいまひとつ。
埋立前の沼では、この場所で水路との接続はありません。干拓後に水路が出来たみたい。
伊佐沼代用水路には寺井橋、鴨田排水支川には四ツ谷橋がそれぞれ架かっています。
この辺りの地名は、あちこちに飛び地がある寺井なんですが、隣の四ツ谷橋は寺井村字四ツ谷だそうです。
昭和初期の地形図には、寺井ではなく四ツ谷と書いてあるし、農協前に「四ツ谷」バス停があるし・・・。
江戸末期の馬頭観音には「四ツ谷村」の碑文があるという(探しに行ったが見つけられなかった)。
調べてみると面白い地名のような気がします。
「今昔マップ on the web」より加工 今昔マップ on the web
寺井橋から少し水路を下ると畦道に分岐しています。
この小さな未舗装の農道のカーブが、昔の伊佐沼の岸辺だった感じですね。
歩いて行くと小さな石碑に出会いました。この地点から北東に画像を撮影です。
古い石碑が残るように沼を再現してみました(❼)。
石碑の位置は道から外れて出っ張っていました。
道沿いに沼を引くと、石碑の位置は沼面のほうが自然です。
干拓後に移設されたのかもしれません。
石碑は「馬頭観音」。馬が農耕、交通といった人の生活に身近だった時代、馬の供養や無病息災、旅の安全を祈念した塔だそうです。
この辺は道端だけでなく、田んぼの中にこうした塔が多いです。干拓前の沼のほとりにあって、農作業を見守っていたのでしょうね。
側面には、いくつか碑文が刻まれているのですが、画像からはあまり判読できないです。
碑文は拓本を取るのが良いのですが、にわか探訪者はそんな機材は持っていません。
石塔の右側面には「願主 伊佐沼村 須賀文右エ門」と読み取れました。
伊佐沼村が芳野村に統合されたのは明治22年(1889年)。それ以前の建立でしょうか?
左側に建立年が刻んでありましたが、現場では「治 十 三」と読み取れました。
明治13年(1880年)だったら辻褄が合うと思い、家で画像をいじってみたら「明」では無く「元」でした。
よく見ると「元治元年」と刻んでありましたが、それ以下は「四」らしき字があって、判読不能でした。
元治元年(1864年)は江戸最後の元号「慶応」のひとつ前です。
下が石碑の碑文です。下手ですが白線でトレースをしています。
半分過ぎたので、再び撮影地点の地図を表示します。青い点線より上が、むかし沼だったところ。
画像はOpenStreetMapを加工しています。 OpenStreetMap
さらに南に沿って行くと、樹に囲まれた薬師神社が見えてまいります(❽)。
こちらは干拓前からあって、沼に突き出すような感じで建っていますね。
神社の敷地にある、赤い屋根の白い建物は伊佐沼公民館です。
畦がそのまま護岸みたいに見えてくれました。
元画像では、左端に農業ふれあいセンターが見えます。
拓後、長いこと田圃でしたが、市民農園事業が昭和60年(1985年)に始まり、鴨田排水の東側が農園になりました。
農業ふれあいセンターの建物は、平成元年(1989年)にオープンです。
写真の加工はセンターの建物を消した後、背景に農産物直売所を貼り付けています。
薬師神社です。社殿の建立は元和9年(1623年)だそうで、伊佐沼の歴史を見守り続けています。
薬師神社にかなり近づいてきたところで、北東側を望む(❾)。
畦が護岸ぽく見えるので、加工しやすかったです。
船を浮かべた絵面にしてみました。
右端に見えるのは埼玉医大の建物です。
元になった画像も田植え前で平坦。消去するような建物もなく簡単に復元できました。
干拓地の西端、北伊佐沼橋まで来ました。ここからの眺めの想像図(❿)
今までの画像の中で、いちばん手がかかったと思います。
目の前にあるものを消去して、対岸の農産物直売所が見えるように作り込むのに苦労しました。
とはいっても、素人の加工なのでそんなに上手くはないです。
ハスを見る橋の出入口をこちらに作ったら、もう少し見栄えが良かったのですが・・・。
元画像を見ていただければ分かりますが、半日かかってかなり加工しています。
電柱と電線を消すのが結構めんどうでした。
目の前の赤い屋根の家は、沼なので全部消去し、農業ふれあいセンター周りの施設も沼面とします。
対岸を作って、農産物直売所を貼り付け、こちら側の柵を加工し、不自然ながらそれらしく仕上げました。
長くなりましたが、最後までご覧いただき有難うございました。
自分の花画像は、特殊なレンズを使っていて、あまり他にない絵面が多いです。
散歩で撮った画像も、折角なので今まで誰もやっていない絵面を、と思い作ってみた次第です。
まだ図書館等は訪れていませんが、干拓前の伊佐沼写真の実物もぜひ探してみたいです。
花の画像を撮りに行く回数が減っており、ブログ記事のネタが乏しいです。
それに対して、散歩の画像は結構あり、記事なんとなく出来ております。
打ち切ってしまいましたが、花の画像のつなぎとして、散歩画像を載せることもあるかも知れません。
出来れば焼き直しでない、今まで誰もブログにしていない事項を、ひとつでも盛り込んでいきたいです。
どうぞよろしくお願いいたします。