三俣山荘で「黒部の山賊」を手にした。20年来知っていた本だが、読んだのは初めてで、予想との違いに驚かされた。これまでの「黒部」本にはないほのぼのとした空気に彩られた、どちらかというと明るい物語だったのだ。
黒部にまつわる名著は多い。吉村昭の「高熱隧道」をはじめ、冠松次郎の「黒部峡谷」、比較的新しいものだと志水哲也の「黒部八千八谷に魅せられて」などなど、どれも日本一深い大峡谷の、暗く凄惨がゆえの美しさと、そこに挑むパイオニア達の強い情熱を描いている。「黒部の山賊」もその手の本かと勘違いしていたが、内容は全く違っていた。薬師沢出会い付近の「カベッケヶ原」に現れるカッパ、埋めても埋めても出てくる雲の平の遭難者の白骨死体、高天原付近の鉱山跡にあるという佐々成正の埋蔵金の行方(これは今では鍬﨑山説が有力ですが)・・・なんだかB級オカルト感あふれる話題がユーモラスにつづられる中に、戦後のまだ原始の名残を残す黒部源流の開拓史がつづられていく。国家の命運をかけて行われた黒四の電源開発事業と同時代、すぐ近くの山域でありながら、そうした動きとは全く違うベクトルで、周縁に暮らすふつうの人々の山との関わりが、生き生きと描かれているのだ。その最たる存在が「山賊」たちだ。多くが大町の凄腕の猟師で、今のような装備も食糧すらもままならない中越冬をするなど、「化け物」級の山の実力者たちだ。しかし彼らのことを知る人は少なく、いずれ忘れ去られてしまうだろう。そんな忘却からの解放も、著者の伊藤正一氏の願いでもあるようだ。
著者の伊藤氏は今年鬼籍に入られたそうだ。一度もお会いすることはかなわなかったが、その名前は山に登れば自然と耳に入ってくる大きな存在だった。伊藤氏が情熱を注いだ黒部源流は、360度を山に囲まれた日本でも数少ない「奥地」だ。それゆえに閉ざされてきたが、中に入るとその懐は限りなく広く優しい場所でもある。伊藤氏はこの場所を、一部の熟練者だけが知る場所というよりは、ふつうの人々に開かれた世界として残していきたいと考えていたのだろう。そんな思いが、この本独特のおとぎ話のようにのびやかな世界観の中にあふれているようだった。
黒部にまつわる名著は多い。吉村昭の「高熱隧道」をはじめ、冠松次郎の「黒部峡谷」、比較的新しいものだと志水哲也の「黒部八千八谷に魅せられて」などなど、どれも日本一深い大峡谷の、暗く凄惨がゆえの美しさと、そこに挑むパイオニア達の強い情熱を描いている。「黒部の山賊」もその手の本かと勘違いしていたが、内容は全く違っていた。薬師沢出会い付近の「カベッケヶ原」に現れるカッパ、埋めても埋めても出てくる雲の平の遭難者の白骨死体、高天原付近の鉱山跡にあるという佐々成正の埋蔵金の行方(これは今では鍬﨑山説が有力ですが)・・・なんだかB級オカルト感あふれる話題がユーモラスにつづられる中に、戦後のまだ原始の名残を残す黒部源流の開拓史がつづられていく。国家の命運をかけて行われた黒四の電源開発事業と同時代、すぐ近くの山域でありながら、そうした動きとは全く違うベクトルで、周縁に暮らすふつうの人々の山との関わりが、生き生きと描かれているのだ。その最たる存在が「山賊」たちだ。多くが大町の凄腕の猟師で、今のような装備も食糧すらもままならない中越冬をするなど、「化け物」級の山の実力者たちだ。しかし彼らのことを知る人は少なく、いずれ忘れ去られてしまうだろう。そんな忘却からの解放も、著者の伊藤正一氏の願いでもあるようだ。
著者の伊藤氏は今年鬼籍に入られたそうだ。一度もお会いすることはかなわなかったが、その名前は山に登れば自然と耳に入ってくる大きな存在だった。伊藤氏が情熱を注いだ黒部源流は、360度を山に囲まれた日本でも数少ない「奥地」だ。それゆえに閉ざされてきたが、中に入るとその懐は限りなく広く優しい場所でもある。伊藤氏はこの場所を、一部の熟練者だけが知る場所というよりは、ふつうの人々に開かれた世界として残していきたいと考えていたのだろう。そんな思いが、この本独特のおとぎ話のようにのびやかな世界観の中にあふれているようだった。
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