ぷるコミチ

だって。
同じ景色が見たいんだ。

間違って、なかった。

2010-08-28 00:34:20 | バネ指のこと
以前にも書きましたが、カホがピアノを習うのには理由が二つ。
ひとつはもちろん本人が「ピアノやってみたい」って言ったこと。
もうひとつは、リハビリのため。

カホは小児強健拇指(小児バネ指)という病気。
自然治癒する人も居るけれど、カホは重篤なため、治療方法は外科的手術しかないといわれてきた。
けれど、私はそれを拒んできて。
だからと言って、そのまま放っておくわけには行かなかったから。
・指の正しい動きを覚えること
・患部の周囲に筋肉をつけて患部をサポートすること
・適度な運動をさせて癒着を防ぐこと
これらの方法を考えなければならなかった。

ピアノという手段を思いついても、それらを正確に教えられる指導者が必要で。
指や腕や肩や、背中まで使ってピアノを弾くことをきちんと認識している指導者。
尚且つ、腱や筋肉まで意識することが出来ること。
そして、病気のことを知ってもカホを受け入れてくれること。
・・・。
中学の同級生で、親友と呼んでも差支えがない人間がピアニストであることは、もはや偶然ではなかった。
頼み込んで、生徒にしてもらった。


あれから、約4年。


今日は、小さな小さな発表会。
いつもはピアノ教室全体で行う発表会だけれど、今回は彼女の生徒さんだけで行った(彼女の父もまた指導者なのです)。

大きなホールじゃなくて、いつものレッスン室で、背筋を伸ばしてピアノを弾くカホを見てたら、いろんなことを思い出した。


ある日、赤ん坊特有の握り締めた指の間からこぼれていた親指が、不自然な方向へ不自然な曲がり方をして、癒着しかけていた事。
あわてて病院へ走っても、原因不明だといわれたちいさな整形外科の病室。
友人の医学生から教えてもらったドクターの名前のメモを握り締めて、大きな大学病院のロビーで目の前を通り過ぎる白衣の人の名札を必死で読んだ日。
無様に「お願いします」とすがった私に、微笑んでくださったドクター。
まだ赤ちゃんのカホを抱いて検査へ走り回った廊下。
病名を宣告されるのが怖くて、逃げ出した駐車場。
紹介された小児強健拇指の専門ドクターに手術を迫られた大きなモニター。
泣き叫ぶカホに、むりやり器具をつける夜。
理解してくれる人が居ない孤独。
診察室の前で、同じように器具をつけた子どもをつれたお母さんたちとささやかに感じる連帯感。
上手くスプーンを持てないカホのかんしゃく。
どうしたって筆圧が弱くて小学校の授業に困ってカホが泣いた日。


でも。

ああ、よかった。
カホは今、あんなに立派にピアノを弾いてる。
ああ、よかった。
間違って、なかった。
だって、あんなに誇らしそうにピアノを弾いている。
頻繁に起きていた、発作(関節が動かなくなって電気が走るような痛みを伴う)は、めったにおきなくなったし。
筋肉がついてきて、鉛筆もHBが使えるようになった。
まだ登り棒や鉄棒で拇指を使うのは苦手なようだけれど、握力もついてきた。


カホが、この病気を持って生まれてきた意味が、きっとあるのだとしたら。
それは、ピアノと出会ったことで得られるものだと思う。

子どもを、病気にさせて産んでしまった。
そう思って居たけれど。今も少し思ってるけれど。

カホの、こんなピアノを聞いていると、救われる気がする。

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