ぷるコミチ

だって。
同じ景色が見たいんだ。

やっと、文章に出来た。

2010-10-20 23:29:52 | バネ指のこと
先週、ピアノのレッスン前に練習をしていたカホの音が、微妙におかしな跳ね方をしていた。
強弱があべこべなうえに規則性がない。
スタッカートも綺麗じゃないし、時々音も抜ける。
普段から、カホがやりがちなミスばかりだけれど、これは何かおかしい。

と、思いながらもレッスンへ。
教室までは車で10分ほど。
そのわずかな時間の間に、カホが
「指がぴりぴりする」
「腕がしびれる」
「痛い」
「背中も痛い」
「首が痛い」
「体に力が入らない」
と、どんどんおかしくなっていく。

教室について、指導者の友人に「ごめん、病院に連れて行く」と断り。
そのまま引き返して病院に。

バネ指の、関節の肥大した場所に、神経が挟まってしまってるんじゃないかと私は疑った。
以前、専門医に聞いていた状況に似ていたし。
けれどなにしろ私は受診することさけて、逃げ続けて3年。
もはやカホは専門医のクランケではない。
ここはいったん、地元の整形外科に行くしかなかった。

初診だったので、小児母指バネ指(強健母指)の診断を大学病院でされていることを伝え、手術が必要な状態だけど逃げているということもちゃんと話した問診の後に、レントゲン撮影。
結果が出て、診察室に呼ばれるのをずっと、どきどきしながら待っていた。

ああ、このまま緊急手術とかになったらどうしよう。
明日はタクミの運動会だけど、どうにかなるかな(金曜日のお話です)。
旦那がこっちに帰ってきてるときで良かった。
もし最悪の状況になったら、しばらく有給とってもらって、体勢を整えて・・・

いろいろいろいろ、考えが駆け巡った。

やがて、カホの名前が呼ばれて。
私もお世話になったことのある、お爺ちゃん先生がにっこりしていらして。
「今日、跳び箱とか、やらなかった??」
と、カホにお聞きになられた。
・・・・。
あれ??
するとカホはあっさり「うん!」と元気よく返事。
お爺ちゃん先生は「そうかそうか」と満足そうにうなずいて、それから私に
「跳び箱が原因!」
と言い放たれた。

ええー!!!!!

なんでも、カホは手首とか肘とか肩とか、関節がすべて普通の状態よりも柔らかい体質らしく。
(たしかに右手で右手首がつかめる)
そのせいで衝撃が強く伝わるのだとか。
やわらかいバネは、吸収性がなくて、増幅するのだとか。
カホが跳び箱を飛ぶ瞬間に、「えい!」と両手を突くその衝撃が、何倍にもなって首に伝達していく。
それは体重の何倍もになるそうで。
だから筋力のないカホは、神経の麻痺とか痺れとか痛みを訴えるのだそうだ。

えええええええええー!!!

びっくり。
そんなこと、あるんだ。
へぇ~っと感心する私に「だから器械体操とか、向いてないからね。習わせないでね」って。
「もちろんです」と、まだびっくりしている私に、お爺ちゃん先生は続けた。

「それからね、バネ指なんだけど」

一瞬で、私の背筋がピンとした。

「まだ硬いけど、これくらいなら放置しても良いよ」


ん??
聞き間違いかな?
今、センセイ、何て言った?

身を乗り出した私の前で、お爺ちゃん先生がカホの右の親指を触ってた。
「手術とかね、必要ないから」
「で、でもセンセイ。右が重度で、左が軽度って・・・」
「うん?左はほぼ消失。右は軽度だねぇ」
「え、手術しろ!しろ!って、すっごく強く言われて・・・」
「うん?とりあえず今は、必要ないねぇ。日常生活に支障はある?」
「多少はありますが、工夫して何とか・・・」
「じゃあ、支障が出たり、痛みが発生しない限り、様子見で良いよ」
「え・・・・・」
「バネ指はね、小学校入学前に手術をすることが多くてね。でもそれはその段階での選択だからねぇ」
「成長して、良い方向へきているってことですか?」
「そうそう。そう考えて良いよ。これから筋肉がついてきたら、もっと改善するかもしれないし。うちにもバネ指で受診している2歳の子が居るけど、その子と比べても、今の状況はかなりいいよ」


診察室を出て、支払いを済ませて。
車に戻ったら、笑いながら涙が出た。
「すごいねカホ!!」って言ったら、カホは「奈良の大仏さんのところでお願いした仏様や、京都の縁切りのお寺さんのおかげかな!!」って、ありがたそうに親指を見てた。

家に帰って、旦那や両親に報告して、翌日に義母にも報告して。
一緒に喜び合った。
もちろんピアノを教えてくれる友人にもその日のうちに報告した。
「ピアノをきちんと教えてくれてるおかげだよ!ありがとう!」って。


まだ、正常ではないらしいけれど、状況は一気に打開。
「手術が必要」
から
「様子見程度で、受診も必要ない」
に。
私の罪悪感も、一気に消失。
「子どもに手術を受けさせることの出来ない意気地なしで、しかも自分の気持ち優先で医者にもかかってない駄目母」
から、救われた。
だから。
これにて、カホと私のバネ指との戦いは、いったん終了。
新たにカテゴリーを作りました。
もしも、このキーワードで検索して訪問する方がいらっしゃったときに、役立つと思って。


お子さんのバネ指に悩んでここへ来た方へ。

私たち親子の例は、きっと特殊です。
ピアノを習ったからって、バネ指が治るわけではありません。
第一、筋肉と関節と筋を正しく使うことを教えてくれるピアノ指導者は、残念ながら数少ないと思います。
また、受診からボイコットすることを奨励しているわけでもありません。
手術を闇雲に否定しているわけでもありません。
小学校に入学してからも、バネ指のせいで苦労することは多くありました。
決して、楽な時間ではありませんでした。
私たちは、たまたま、です。
バネ指は、まだまだ研究の進んでいない病気です。
もしかしたらいくつかのタイプがあって、カホのものは「成長したら消える」タイプだったのかもしれません。
何も、分かりません。
子どものバネ指を向き合うのは、とてもつらいです。
疲れます。
その気持ちは、同じです。
無理だけは、しちゃいけません。

間違って、なかった。

2010-08-28 00:34:20 | バネ指のこと
以前にも書きましたが、カホがピアノを習うのには理由が二つ。
ひとつはもちろん本人が「ピアノやってみたい」って言ったこと。
もうひとつは、リハビリのため。

カホは小児強健拇指(小児バネ指)という病気。
自然治癒する人も居るけれど、カホは重篤なため、治療方法は外科的手術しかないといわれてきた。
けれど、私はそれを拒んできて。
だからと言って、そのまま放っておくわけには行かなかったから。
・指の正しい動きを覚えること
・患部の周囲に筋肉をつけて患部をサポートすること
・適度な運動をさせて癒着を防ぐこと
これらの方法を考えなければならなかった。

ピアノという手段を思いついても、それらを正確に教えられる指導者が必要で。
指や腕や肩や、背中まで使ってピアノを弾くことをきちんと認識している指導者。
尚且つ、腱や筋肉まで意識することが出来ること。
そして、病気のことを知ってもカホを受け入れてくれること。
・・・。
中学の同級生で、親友と呼んでも差支えがない人間がピアニストであることは、もはや偶然ではなかった。
頼み込んで、生徒にしてもらった。


あれから、約4年。


今日は、小さな小さな発表会。
いつもはピアノ教室全体で行う発表会だけれど、今回は彼女の生徒さんだけで行った(彼女の父もまた指導者なのです)。

大きなホールじゃなくて、いつものレッスン室で、背筋を伸ばしてピアノを弾くカホを見てたら、いろんなことを思い出した。


ある日、赤ん坊特有の握り締めた指の間からこぼれていた親指が、不自然な方向へ不自然な曲がり方をして、癒着しかけていた事。
あわてて病院へ走っても、原因不明だといわれたちいさな整形外科の病室。
友人の医学生から教えてもらったドクターの名前のメモを握り締めて、大きな大学病院のロビーで目の前を通り過ぎる白衣の人の名札を必死で読んだ日。
無様に「お願いします」とすがった私に、微笑んでくださったドクター。
まだ赤ちゃんのカホを抱いて検査へ走り回った廊下。
病名を宣告されるのが怖くて、逃げ出した駐車場。
紹介された小児強健拇指の専門ドクターに手術を迫られた大きなモニター。
泣き叫ぶカホに、むりやり器具をつける夜。
理解してくれる人が居ない孤独。
診察室の前で、同じように器具をつけた子どもをつれたお母さんたちとささやかに感じる連帯感。
上手くスプーンを持てないカホのかんしゃく。
どうしたって筆圧が弱くて小学校の授業に困ってカホが泣いた日。


でも。

ああ、よかった。
カホは今、あんなに立派にピアノを弾いてる。
ああ、よかった。
間違って、なかった。
だって、あんなに誇らしそうにピアノを弾いている。
頻繁に起きていた、発作(関節が動かなくなって電気が走るような痛みを伴う)は、めったにおきなくなったし。
筋肉がついてきて、鉛筆もHBが使えるようになった。
まだ登り棒や鉄棒で拇指を使うのは苦手なようだけれど、握力もついてきた。


カホが、この病気を持って生まれてきた意味が、きっとあるのだとしたら。
それは、ピアノと出会ったことで得られるものだと思う。

子どもを、病気にさせて産んでしまった。
そう思って居たけれど。今も少し思ってるけれど。

カホの、こんなピアノを聞いていると、救われる気がする。

隠しとおすという正義

2007-10-09 22:43:54 | バネ指のこと
みなさま、ちょっくらご自分の右手をご覧くださいな。

で、その親指を左手を使って人差し指方向にコの字に曲げてみてください。

手の甲から見て、親指の右側面が正面に見えるように、です。


痛くないですか?
痛いですよね。普通はこんな形にはならないですから。

実はカホには、その状況は日常茶飯事です。
時々ぽっきりを音を立てて(本人にだけ聞こえます)その形に曲がってしまいます。

病名を、小児母指バネ指といいます。
強直母指や強剛母指、剛直母指ともいいます。

生後11ヶ月のとき、診断されました。
その後、寝ている間に矯正するための装具をつけていましたが、症状は改善されず、2歳を過ぎたことからしきりに手術を勧められてきました。

ずっと、その手術を、私は決心できませんでした。

そのうち医師の手術に対する説明が苦痛になり、決断できない自分を恥じ、ウツ状態に近くなったため受診を取りやめてしまいました。
そのまま、現在にいたります。

来月、カホの就学前検診があります。
予定表に医師の診察が書かれていました。

私は小学校側に病気のことを告げるべきか、問診表の「病歴」の欄をどうかくか、悩んできました。
正直に病名をかけば、おそらく質疑応答がなされるでしょう。
担当の医師が知識がないとは思われませんが(小児科か内科でしょうからご存知だと思います)同席する教師からの質問を考えると、不安になります。

「命に関わる病気じゃないんでしょう?」
「手術で治るのでしょう?」

病気に関して、一番私が傷つく言葉です。
確かにそうだし、治療不可能な病気を抱えている方々からしたら、私の悩みなんてちっぽけなんだと思います。
けれど、他人には言われたくはないのです。
もちろん、子どもの病気と闘っているお母さん達は、そんなこと無責任に言いませんしね。

もう、この言葉は聞きたくないのです。
カホにも「私は病気」という概念は強くもって欲しくないという気持ちもあります。

だからといって、事前に解ってる病気を隠してよいものか。

本当に悩みました。
就学前に手術をするという選択肢も入れて、悩みました。
ちょうど、ブログにも書いたとおり夏に大ウツがきた頃です。
自分の本心も、カホにとって一番よい方法もわからずただただ悩みました。


それで。
カホに聞きました。「どうしたい?」って。

結果、手術は全身麻酔を使用しない方法が見つかるまで(その方法を採る医師と出会えるまで)しないという事になりました。
私が、どうしても子どもに全身麻酔を使用することに躊躇していることを、カホにも伝えてありますから、そのせいかもしれません。


その後しばらく病気について調べてゆくと、いろいろな可能性が出てきました。
重症といわれたカホの例は実は、それほど重篤ではないという可能性
手術が必要と言い続けた担当医師は、実は手術のデータを集めたかっただけという可能性
大人のバネ指(先天性ではなく一時的な症状)と同じ治療法が有効かもしれないという可能性

私には、とにかく嬉しかった。
カホが私の気持ちも汲み取って、自分の病気をきちんと認識していること。
私の不安を強めない治療法が、この世の中に存在すること。
なにより一児の父となった従兄弟が、自分と自分の子どもに置き換えて一緒に悩んでくれたこと。

嬉しくて嬉しくて嬉しくて。
私はようやく覚悟を決められました。

問診表の病歴欄は、白紙です。
カホにも、自分からは病気のことを話さないように言いました。
二人で「よいお医者さんをさがそう」と約束しました。

隠しとおすことは、今の私にとってはカホと私のための正義です。