今日は、私のペンネームについて語ろうかと思います。
別に改まって語るほどのことでもないんですけどね。
私は南風桃子(みなみかぜ・ももこ)というペンネームを使っておりますが、
ざっくり言えば、詩をまとめるにあたってやっぱペンネームがいるかなー
と思って付けたわけですね。
ある日のこと、新聞を見ていると「南風さん」っていう人が出ていて、
「みなみかぜさん♪ なんかあったかそうでいいよね~」と思ったのです。
また別の日、これまた新聞を見てると「桃子さん」っていう人が出ていて、
「桃」という字は中国好きの私には縁起がよろしいんじゃないか?と思いました。
そこで、ピコ太郎さんじゃありませんけど、
サザンウインドとピーチが合体しまして(!?)南風桃子を名乗るようになったのです。
名前に込めた願いはさしずめ「桃源郷」への憧れといったところでしょうか。
ちょっと詩の投稿時代の話をしますと、
今からもうかれこれ30年ぐらい前になるでしょうか、
私は、地元の新聞の文芸欄に南風桃子の名前でせっせと投稿していました。
その当時、首藤三郎さんというしみじみとした詩情のある先生が評をされていて
掲載されるたびにとても励みになったものです。
今でも、ちょっとはにかむように微笑まれる首藤先生の優しいたたずまいが思い出されます。
「南風桃子という名前は、覚えやすくて、気になって、さわやかでいい名前だと思う。」
のような趣旨のことを言っていただけることが多かったのですが、
「本名のほうがいいんじゃないの?」と言われたこともあります。
そういえば本名の方がペンネーム?っていうぐらいあまり見かけない苗字です。
二胡の先生である中国人のパンダ師匠は、出合ってから一年ぐらいは
私の名前を覚えることができませんでした。
そもそもペンネームを使っていたら恥ずかしくないんじゃないかな、
と思った私のもくろみはだんだんとはずれてしまい、
近頃なんとな~く、恥ずかしくなってきました。
「みなさん、こんにちは。南風桃子です!」
っていう機会なんて、ほぼないんですけどね(笑)
誰かがいってたけど、自分の名前って恥ずかしいですよね~って。
それは、悪い意味じゃなくて、なんていうんでしょう
特定されてフォーカスされる記号みたいなものだから、
名前を呼ばれるとある種の緊張を伴うんだと思うんですよ。
してみると、本名とペンネームである種の緊張が2つに増えたんか?みたいな。
そんなら本名一本でもよかったんか?みたいな( ̄~ ̄)
そうそう。母校の短大の女性教授に処女詩集が出来たとき差し上げたことがあって、
「うわ、カワイイ名前ねえ」と吹かれたこともありました。
うわ、そうか?そんなに吹かれるほどカワイイ名前なんか?
どうしよう。はずかしいなあ。
でも、児童文学の大御所に石井桃子さんもいるからよろしいんじゃないか?
ぜんぜんOK!と思ってみたり。
この頃では、パソコン上の呼び名も加わって、ぷれさん、と言われるとちょっと
恥ずかしくなっちゃったりとか…ポッ(^◇^)
いつの頃からか親しい二胡友さん達から「プレア姉さん」とも呼ばれるようになり、
なんだかちょっと強くなれたようで嬉しい限りです(笑)
こうして人様から自然に呼ばれるようになった名前っていうのは、
異界からのプレゼント(?)みたいな感じがして嬉しいもんですね♪
名前といえば、字画なんぞも気になったりするものですが、
考えかかるとほんとキリがありません。
分不相応な名前を持つと、仏作って魂いれずみたいになって
逆に運を落としてしまいそうですし…。
私も何となくつけた「南風桃子」で本当にいいのかなぁ
と迷った時期があって、お参り所みたいなところで尋ねたことがありました。
そのころどうも運が良くないよなあ、と悩んでいたので。
隣の宮崎県まで出かけたのですが、そこには男性と女性のお二人がいらっしゃって
女性がいうには「桃は食われるから、福子とか吹子にしたら?南風福子」
男性がいうには「おおー南風桃子、いいんじゃない?風がそよそよと吹いてくる感じで♪」
もぉ、私どうしよう~って思いましたね。これが30代ぐらいの時だったでしょうか。
で、何だか困ってしまった迷子の大猫ちゃんは、さるお方に手紙を書きました。
何日か前にUPした「時代が私に追いつく…?」とはまた別の方です。
「かくかくしかじかで、南風福子にしろといわれたんですが…」
すぐにこんな感じのお返事がきました。
「ん~ 南風桃子でガンバッテください♪」
桃は食われる、というのも一理あります。でもですよ、何かを提供するにあたって
誰かに食ってもらってなんぼじゃないでしょうか?食い逃げは困りますけど(笑)
とりわけ現代詩の世界なんて、誰もその果実を食べようとしない感が炸裂しています。
だいたいからして私自信が「現代詩」といわれるものに
そんなにどっぷりつかっているとは思えません。
そうした中、大手を振って「食われる桃いかがっすかー」って言えるのは
(別に大手を振って言わなくてもいいんだけど)
なんだか縁起がよい名前だと言えなくもないのではないでしょうか。
って、ずいぶんもって回ったような言い方(笑)
いろいろあったけど、結局のところ私は私の桃源郷を表現していこう!!
ってこんな具合に、年を経て以前よりだいぶポジティブになった南風桃子でした。
だいたいそんなワケで…╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !
今日も読んでくださり、ありがたう~♡
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定価1500円+税 空とぶキリン社
別に改まって語るほどのことでもないんですけどね。
私は南風桃子(みなみかぜ・ももこ)というペンネームを使っておりますが、
ざっくり言えば、詩をまとめるにあたってやっぱペンネームがいるかなー
と思って付けたわけですね。
ある日のこと、新聞を見ていると「南風さん」っていう人が出ていて、
「みなみかぜさん♪ なんかあったかそうでいいよね~」と思ったのです。
また別の日、これまた新聞を見てると「桃子さん」っていう人が出ていて、
「桃」という字は中国好きの私には縁起がよろしいんじゃないか?と思いました。
そこで、ピコ太郎さんじゃありませんけど、
サザンウインドとピーチが合体しまして(!?)南風桃子を名乗るようになったのです。
名前に込めた願いはさしずめ「桃源郷」への憧れといったところでしょうか。
ちょっと詩の投稿時代の話をしますと、
今からもうかれこれ30年ぐらい前になるでしょうか、
私は、地元の新聞の文芸欄に南風桃子の名前でせっせと投稿していました。
その当時、首藤三郎さんというしみじみとした詩情のある先生が評をされていて
掲載されるたびにとても励みになったものです。
今でも、ちょっとはにかむように微笑まれる首藤先生の優しいたたずまいが思い出されます。
「南風桃子という名前は、覚えやすくて、気になって、さわやかでいい名前だと思う。」
のような趣旨のことを言っていただけることが多かったのですが、
「本名のほうがいいんじゃないの?」と言われたこともあります。
そういえば本名の方がペンネーム?っていうぐらいあまり見かけない苗字です。
二胡の先生である中国人のパンダ師匠は、出合ってから一年ぐらいは
私の名前を覚えることができませんでした。
そもそもペンネームを使っていたら恥ずかしくないんじゃないかな、
と思った私のもくろみはだんだんとはずれてしまい、
近頃なんとな~く、恥ずかしくなってきました。
「みなさん、こんにちは。南風桃子です!」
っていう機会なんて、ほぼないんですけどね(笑)
誰かがいってたけど、自分の名前って恥ずかしいですよね~って。
それは、悪い意味じゃなくて、なんていうんでしょう
特定されてフォーカスされる記号みたいなものだから、
名前を呼ばれるとある種の緊張を伴うんだと思うんですよ。
してみると、本名とペンネームである種の緊張が2つに増えたんか?みたいな。
そんなら本名一本でもよかったんか?みたいな( ̄~ ̄)
そうそう。母校の短大の女性教授に処女詩集が出来たとき差し上げたことがあって、
「うわ、カワイイ名前ねえ」と吹かれたこともありました。
うわ、そうか?そんなに吹かれるほどカワイイ名前なんか?
どうしよう。はずかしいなあ。
でも、児童文学の大御所に石井桃子さんもいるからよろしいんじゃないか?
ぜんぜんOK!と思ってみたり。
この頃では、パソコン上の呼び名も加わって、ぷれさん、と言われるとちょっと
恥ずかしくなっちゃったりとか…ポッ(^◇^)
いつの頃からか親しい二胡友さん達から「プレア姉さん」とも呼ばれるようになり、
なんだかちょっと強くなれたようで嬉しい限りです(笑)
こうして人様から自然に呼ばれるようになった名前っていうのは、
異界からのプレゼント(?)みたいな感じがして嬉しいもんですね♪
名前といえば、字画なんぞも気になったりするものですが、
考えかかるとほんとキリがありません。
分不相応な名前を持つと、仏作って魂いれずみたいになって
逆に運を落としてしまいそうですし…。
私も何となくつけた「南風桃子」で本当にいいのかなぁ
と迷った時期があって、お参り所みたいなところで尋ねたことがありました。
そのころどうも運が良くないよなあ、と悩んでいたので。
隣の宮崎県まで出かけたのですが、そこには男性と女性のお二人がいらっしゃって
女性がいうには「桃は食われるから、福子とか吹子にしたら?南風福子」
男性がいうには「おおー南風桃子、いいんじゃない?風がそよそよと吹いてくる感じで♪」
もぉ、私どうしよう~って思いましたね。これが30代ぐらいの時だったでしょうか。
で、何だか困ってしまった迷子の大猫ちゃんは、さるお方に手紙を書きました。
何日か前にUPした「時代が私に追いつく…?」とはまた別の方です。
「かくかくしかじかで、南風福子にしろといわれたんですが…」
すぐにこんな感じのお返事がきました。
「ん~ 南風桃子でガンバッテください♪」
桃は食われる、というのも一理あります。でもですよ、何かを提供するにあたって
誰かに食ってもらってなんぼじゃないでしょうか?食い逃げは困りますけど(笑)
とりわけ現代詩の世界なんて、誰もその果実を食べようとしない感が炸裂しています。
だいたいからして私自信が「現代詩」といわれるものに
そんなにどっぷりつかっているとは思えません。
そうした中、大手を振って「食われる桃いかがっすかー」って言えるのは
(別に大手を振って言わなくてもいいんだけど)
なんだか縁起がよい名前だと言えなくもないのではないでしょうか。
って、ずいぶんもって回ったような言い方(笑)
いろいろあったけど、結局のところ私は私の桃源郷を表現していこう!!
ってこんな具合に、年を経て以前よりだいぶポジティブになった南風桃子でした。
だいたいそんなワケで…╭( ・ㅂ・)و ̑̑ グッ !
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ISBNコード:978-4-9905268-8-7
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