五次元世界へ誘う魂の道案内 ブログ

人間は如意宝珠、幸せ生き甲斐、幸福の実現力、大恩人の系列 纏め

人間は明珠在掌の存在で如意宝珠

人間としてこの世に生まれて来た以上は、安心と健康と平和と喜びと幸福は勿論のこと繁栄や成功を得なければ、何の価値も意義も生き甲斐もない様な錯覚にさえ陥ります。
私たちは自分に内在し備わり秘めた個性的な資質・才能・特技・魅力に気付かず、自信も持てなく他者と比較をして葛藤や失望して羨み嫉妬しがちですが、本来は豊かさや幸せの大切なものを実現させる力は全て私たちの掌の中(内)に納められていて、様々な経験から秘めた能力を発見し認識して駆使することで成果が得られ、自らの力量を評価する時が訪れるのです。
人生で年月を経て様々な経験を積んで、自分の個性・才能・特技を認識し得た境地に達した者にしか、その能力を自由に駆使することは出来なく己の価値・魅力は自ら生み出すのです。
人は生まれながらにして各々曇りのない明珠の存在であり、世界に一人しかいない貴い個性的な能力・魅力のある自己(アイデンティティー)を持っていることを明珠在掌と言い、その素晴らしい存在に気付き認識して信じましょう。
ニートの様に自宅の部屋に閉じ籠ってばかりいては、何も解決はしなくて棚から牡丹餅の様な現象は起こる筈はありません。

つまり人には個々に天から与えられた「如意宝珠」とも言うべき、他者とは異なる天分の持ち前・役割に伴う貴い個性・才能が授けられて、魂・霊性・神性として内在されている訳ですから、自己の感受性を常に磨き自分の置かれている現状をよく見つめて、日頃から自分の好みや個性や適性をよく知ることで、自分にしか出せない天分の才能を発掘して一生懸命に努力すると最大限に表現することが出来ます。
人生って「煌めくもの時めくもの」を自分で見付けて感動や感激をし、開拓していき収穫を手にして満足するという繰り返しであり、時めくことがあると閃くことも出来るもので、昨日よりは今日、今日よりは明日とよりよく生きたいと思う気持ちこそが、より高い理想や究極に近づいて行こうとする心構え、それが自己実現でもあり他の動物には見られない人間の存在する理由でもあるのです。
目標という夢に描いた自分に成り得ることが大切ではなくて、それに近づいて行こうと日々に努力することが、人生にとって本当の意義があるということを知るのも大切です。

人間は如意宝珠の資質を持ち合わせて内在されている訳は、聖書によると、人間は神のごとく姿や形を創られて霊・魂が入れられたとありますから、端的に見れば人間とは神の代弁者であり、霊的な存在としての神を無意識の内に感じつつ、神の存在を認めつつ神の意志をインスピレーションにより受けて代行する者でもあり、人間が自己実現を目指すことは、大生命(神)が願い給うことであって神ご自身の表現でもあるのです。
だから、経営者が神社で参拝して自社の繁栄や発展や安全や健康を願っても、一方では下請けや従業員を使い捨ての人権無視の価値観で経営をしていては、矛盾した思考となり願いや祈りは成就しないのです。
本当は、全ての現象は神の意志が具現化した姿でもあり、神前に於いて敬虔な気持ちの様に第三者のことも考えて、共存・共栄を図る生き方の様に自らの生き様が他者を害する事の無い様に、自らも他者も共に恩恵をもたらす方法を図る必要があります。

喜びや幸せや生き甲斐を得る指針

文明が最高潮に熟し切った時期に人は日々の慌ただしい生活に追われ感けていると、知らぬ間に自分の思考が不安定になり、様々な事象を無造作に受け止め深く考えずに対処し処理しまい勝ちで、始めの内は小さな判断の見誤りでも何回も続けると大きく道が逸れて、何時か「何か変だ」と気づいた時にはすでに遅く、拝金や刹那主義に溺れる者が多くなります。
かつて魔手・邪悪な者たちは陰謀により、私たちに成功とかステータス・シンボルを身に付けたり所有することが富の象徴と暗示されて、物質的な生活の豊かさや幸せや生き甲斐の価値だと巧妙に洗脳して刷り込み、虚栄心を煽り大衆は上昇志向に駆り立てられ翻弄されて、生活が多忙で心の余裕が無く精神的な事柄には等閑になりました。
人は知らず知らずの内に現世の誘惑である煩悩と言う、ネガティブで不要な荷物・感情を掴み握っていたり、抱えていたり背負っていたり引き摺っていると言えます。
幸せを夢見て他者と競争させ贅沢と浪費を続けさせる様に、マスコミを通して大衆操作を行い邪悪な者による利益追求に明け暮れた、狡猾・虚偽で意図された欠乏な文明・世界は自然の法則に適合・調和せず、やがて自滅崩壊の道へ進むことは避けられなく終焉を迎えます。

意識・言動を高尚にして人格・品性を高めないと邪悪な誘惑に嵌り娯楽や快楽を求めて享楽を貪り身を持ち崩したり、文明の利器など物質偏重に浸かり過ぎて毒され依存し、魂を堕落させ荒廃し破滅へと導かれます。便利な道具・文明の利器なる物質的な生活にとっぷりと浸かってしまった現代人は、物質偏重により本来の精神的な生活に目覚めが悪いものです。
自らの人格・品性を高めることなく金品・地位・名声などを追い求める者は、影を追うて走る者であり永遠に得る事は不可能です。快適で物質的な生活に溺れて依存・執着している者、貪欲な者、傲慢な者、心の弱き者、利己的な者、ネガティブ思考の者、建設的な思念と言動力なき者は、人の本質である霊的な存在に気付き目覚めるまで、他者に支配され利用された哀れな人生の侭で、終わって行くのかも知れません。
金品・財産や地位や名声を掴んでも魂の満足や悦びとか幸福感は持続しないで、不安や満たされない感じが強くなり何かを求めようと奔走しますが、享楽主義だけでは心の空しさは消えず精神的な絶望感や孤独感に襲われて、精神的な価値観を顧みるようになります。
心や魂は常に霊性の進歩向上をしている実感がないと退屈や焦りを感じるのです。
世の中は激動して物質的な富が幸福だというのは過去のものになっています。真に人格・品性を高め徳を積まないと、金品や出世等の事象に執着して激動する社会や流動する資産等に心を奪われ、自らを見失い内在する能力も眠らせ大切なチャンスを逃します。

幸福な生活を実現する力

大衆は、自分の人生の生き甲斐である「幸福な生活を実現する」ことが出来るものは、「学力・知力・体力・金力・権力」であるという様な、間違った目先の物理的な「力」であると考え、これらの獲得を目標にして日々努力していますが、洞察力を高めよく考えて見れば何ら私たちを幸せにする確固たる保障はありません。
これらの力は、人生を築いて行く上で「幸福」になれるであろうと思われる、大切な方法の要素(ファクター)に過ぎないということを、知らない人が余りにも多いようです。
私たちは表面的に現れた要素の力のみを優先させたり頼ることは、本質である魂・霊的な存在を見失うことにもなります。
真に「幸福な生活を実現する」に必要な根本的な「力」を発現させたり、潜在された様々な能力を本当に活かすことが出来るものは、(財)モラロジーでは、人間に本来から備わっている〖品性〗であることが明らかになっています。
品性が低いと、今まで苦労して身に付けた才能の知識や技能も、社会では良い知恵や応用が浮かばず幸福実現には役立たず、利己的で偏狭な誤った思考力(邪悪)から返って、不幸を招くことに使われてしまうものです。
世の中は激動して物質的な富が幸福だというのは過去のものになり、不滅の富は頭と心で真理を学び実践により体得して人格・品性を高め、天の倉に〖徳〗を築くことです。
自らの思考と言動には法則の自己責任が因果応報として跳ね返るとか循環して自らに降り掛かり、他者を犠牲にして願望を楽に達成すると潜在意識は「自己処罰」をしますから、邪悪で品性が低く徳の乏しい者が狡猾にも必要以上に不相応な富を獲得する時、富はその者を富ませないで苦しめ破壊する方向に働くのです。

幸福度の条件
幸福度の条件は各要素を基本として幾つか挙げると、(1)健康・(2)長寿・(3)開運(成功・地位・名誉・人脈・財産)、(4)子孫繁栄・(5)安心・(6)平和などがあります。
人として真の「幸福度」の条件とは、人により多少の相違はありますが、それぞれの各要素が平均と調和がとれて、ある程度に実現されている状態が存続する必要があるでしょう。
それらの各要素はあくまでも魂の器量を表現する現象的な枝葉の様なものであります。
私たちは真理に基づき意識を高尚に保って人格と品性を高めると副産物として徳が備わり、それに相応しい環境や境遇も整い開運・健康・財産・地位・能力・名声なども得られます。
2017年に米イェール大学の社会科学では、何が幸福を齎すのかと心理学講義で「幸せの秘訣を科学的に考察」する取り組みが始まり、それをどうやって実現出来るかについて多くの新しい知見を生み出したとあり、人々の意識や価値観に変化が現れていると見るべきです。

大恩人の系列が在る

人類は一人で生きるには難儀で今日の様に社会の仕組みや体制を築き発展させ、高度な利器で快適な文化を造り上げ進化して来ました。
私たちは日頃に感謝や奉仕・貢献が必要なのは過去に於いて次世代の育成をして、子孫の安心・平和・繁栄・幸福を考えて献身的に努力された、多くの先人先輩のお陰で豊かで便利な恩恵を受けた生活が出来るからであります。
この様に世の中に人の役に立つことに尽くされた人類一般に共通する大恩人として、大別すると国家生活・家庭生活・精神生活・物質生活の主な系列が在る訳で、私たちは実に様々な人々の恩恵によって、今日の何不自由く安心と快適と豊かで幸せな生活が営まれているのです。
例えば、仕事も家庭も順調であっても国家が内戦や他国との戦争などで情勢が不安定では安住は儘ならず、統一された下で生命や財産を保障されていますから、不便でも従い順応し同化しないと自ら安心と幸福は得られません。
矛盾と歪で不公平な社会にあって、自分が属している団体・組織(国家・自治体・企業など)には順応し同化するようにして、自己の持っている智徳を活用して努力することにより、拘束という困難を突破して少しでも自由を伸ばすことが真理であり、自分の心身と立場が成り立った歴史と原理とを考えずに、ただ訳もなく地位や自由や富を得ようとすることは、愚かなことであり真理ではないのです。

多くの人々から知らない内に、様々な恩恵を受けている(借財を背負う)ことを知る必要があり、これら恩人に対して私たちは生まれながらにして借財を背負っていますから、尊敬し借財の返済として自らの才能を活かし社会へ奉仕と報恩の心遣いと、実践が不可欠になります。
年月を重ねる内に借財の分量によりその人の幸不幸が決まり、興亡盛衰の結果として現れる訳で、足枷である有形・無形の借財を返して、一人前の自由人になる必要があり、真の幸福生活を得ようと思い立ったらそれなりの勉強と努力をして、たゆまない実践が大切でしょう。
現在が不運の人は過去世から今までに余徳を食い潰して、無形の借財を背負った結果ですから、自ら生き方の反省をして困難は自らを高める試練であり、チャンスだと考え、大いに世の中へ奉仕報恩するように心掛け努力をすれば、借財を返済することが出来るでしょう。
大恩人に対する認識と尊敬が心(精神)に入っていない人は誰であろうと、恩恵と言う借財に対して先ずは気付いて社会への報恩の務め(責任を果たす)として、仕事や地域のボランティア活動などを通じて感謝の心で奉仕・貢献をしない様では、一人前の独立自由人の人格者としての資格を欠く狡い卑怯者・未熟者であります。
その様な借財を背負っている人物に幹部・役員が多く属する組織・団体は、決して体制の秩序も統一も平和も幸せも永続的な発展や繁栄も、実現することは出来ないでしょう。と、(財)モラロジー(研)では言われています。
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