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「俺は、君のためにこそ死ににいく」見守る事しかできなかった特攻隊の母の平和への願い(gooブログ版)

2008-01-27 13:33:41 | 映画記事
なおこの元記事は

オールマイティにコメンテート「俺は、君のためにこそ死ににいく」死ぬしか守れなかった無念と見守る事しかできなかった特攻隊の母の平和への願い - livedoor Blog(ブログ)

となります。

12日公開の映画

「俺は、君のためにこそ死ににいく」を鑑賞した。

この映画は太平洋戦争で敗戦濃厚だった

日本帝国軍が行った飛行機特攻で

命を散らした若者たちとそれを見守る事しかできなかった

鳥濱トメさんの生涯が描かれている。

石原東京都知事総指揮の映画としても話題だが、

この時代からみた特攻について

改めて考えさせられる映画となるだろう。

特攻については過去戦艦大和、回天をレビューしているので

大きな説明は不要だけれど、

特攻のメインとされた特別航空攻撃隊は

戦争の愚かさを語る上では絶対外せない歴史の1つである。

それ以上にこの作品が石原東京都知事が自ら総指揮し、

脚本を書いているので現在日本の安倍首相が及ばないカリスマを

誇る石原都知事が戦争について映画で描く事は

恐らくアジア諸国の政治家は場合によっては

批判の対象にするかもしれない。

しかしこの映画から石原都知事がこの戦争について、

そしてこの映画で取り上げられた

鳥濱トメさんを通じて太平洋戦争とは

どうだったのかを伝えたかったのかもしれない。

キャスト

少尉第71振武隊中西隊隊長中西正也演じる徳重聡

少尉坂東勝次演じる窪塚洋介

少尉第71振武隊荒木隊田端紘一演じる筒井道隆

知覧の商店街で富屋食堂を経営する鳥濱トメ演じる岸恵子

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

昭和19年秋、太平洋戦争で圧倒的に不利な戦況の日本軍は、

米軍のフィリピン攻略を阻止すべく苦渋の選択を強いられる。

それは、少ない戦力の中で敵と戦う最後の手段として、

戦闘機に250キロの爆弾を搭載して敵艦に体当たりする

特別攻撃隊を編成することだった。

そして関大尉らが初めてこれを決行した。

しかし、マニラを陥落した米軍はついに

日本攻略に手をつけ沖縄に上陸。

沖縄を断固として死守する為、

まもなくして鹿児島県の知覧飛行場は

陸軍の特攻基地となり、そこから439名もの若者たちが

飛び立っていくことになった。

軍指定の富屋食堂を構え、

かねがね若き飛行兵たちから実母のように

慕われていた鳥濱トメは、

二度と帰らない彼らを引き止めることもできず、

複雑な想いを胸に秘め、

母親代わりとして慈愛の心で見守り続けていく。

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとしては戦争において

いかに特攻という愚かな結論に至ったのかを?

そしていかに我が身を省みなかったのかを?

その?について確り考えて行かなければならない

作品である事は言うまでもない。

62年前の太平洋戦争で多くの命を散らしたからこそ

今の日本があると言ってしまえばそれまでだが、

日本は何故このような道を

辿らなければならなかったのかを

確り考えなければならないだろう。

この映画は決して戦争美化という映画ではない。

戦争こそ愚かそのものであり、

戦争の果てにみた結末は悲劇しかなかった。

戦争さえ回避していたら

散らなかったであろう多くの若き命、

そして多くの才能、

できることならこのような死ぬと解っていながら

止める事ができるなら止めたかった人たち・・・

しかし愚かな日本帝国軍上層部の愚かな大儀によって

それらは全て軍規違反として扱われた。

この映画で登場した鳥濱トメさんも

そんな死に行く若き兵士たちの最後を伝えたく

軍規違反に問われようとも彼らの最後を伝えようとした。

それが鳥濱トメさんができる唯一の事だった。

この状況下で軍の愚かな愚行で

死に場所へ行かさなければならなかった

多くの遺族たちは無念の念に

駆られながら過ごすしかなかった。

この映画のタイトルである

「俺は、君のためにこそ死ににいく」

は死ぬ以外には愛する人たちを守れなかった

無力さと無念さを後世に伝える為に彼ら散っていった。

こんな愚かな事をして尚また戦争をやりたいのか?

とこの映画は解いているのではないだろうか?

私にはそう思えてならない。

日本も韓国や中国などアジア諸国に

数多くの危害を与えその代償は今でも引きずっている。

確かにかつてそのような事をした事実は

どんなに時代を経ても歴史から消す事はできないだろう。

しかしもうすぐその時代を生きた世代はこの世を去る。

もう戦争という愚かな事で言い合う時代ではなく

平和の時代を生きた世代がこれからの時代を作っていく。

それは韓国も中国も同じだ。

両国とて100年戦争がなければ

その世代は戦争を知らない世代になり、

新しい時代を生きる世代になる。

この60年以上経ち、

戦争を生きた世代から平和を生きた世代へと

移り変わろうとしている中で、

改めて戦争とは愚かそのものをこの映画で解き、

その愚かな戦争を止めたかった人たちが

多くいた事を伝え、示したかったのだと

私はこの映画を通じて感じた。

多くの者が死にながら生き残ってしまった苦しみ、

そして失った悲しみ、それが解りながらもなお

戦争をするのは愚かな事であり、

そこで失った多数の犠牲者が思っていた事を

伝える映画だった。

このような愚かに走った戦争はもう2度と

起こさない事を切に願いたいし、

多くの戦死者に謹んでご冥福をお祈りして敬礼したい。

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