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「パッチギ!LOVE&PEACE」死にに行く事は愚かだ!生きる事こそが戦いだ!(gooブログ版)

2008-01-27 13:33:53 | 映画記事
なおこの元記事は

オールマイティにコメンテート「パッチギ!LOVE&PEACE」死にに行く事は愚かだ!生きる事こそが戦いだ! - livedoor Blog(ブログ)

となります。

19日公開の映画「パッチギ!LOVE&PEACE」を鑑賞した。

この映画は2005年1月に公開された

「パッチギ!」の続編で6年後の1974年を

舞台に描かれており、在日韓国人の家族が東京に移り住み、

そこで小さな子供が病気になり、

その病気を治したいと奔走する家族の姿が描かれている。

父の世代の戦争での出来事も同時に描かれており、

改めて日本と韓国との関係を考えさせられる結果となった。

日本と朝鮮の併合という歴史が80年前にあった訳だけれど、

その歴史そのものについては色々言われている。

それが原因で今でも韓国や北朝鮮では

反日感情が根強い訳だが、

それは日本人も韓国人を貶す事で

長い歴史の溝がなかなか埋まらない。

日本側とすれば事実上植民地化した意識があるので、

映画の中でも韓国人に対する扱いは酷いものがある。

それがありながら日本は特攻というもので

美化しようとした歴史もある。

もっと古く歴史を紐解けば朝鮮が日本を侵略した

事実というのはモンゴル族が中国を支配した

チンギスハーンの孫にあたる

フビライハーンの元の侵攻位しかなく、

日本は豊臣秀吉の安土桃山時代の朝鮮出兵に始まり、

20世紀初頭の朝鮮併合と事実上の

植民地化と2度以上の侵攻がある。

そして侵攻しただけでなく支配した。

日本は歴史上1度も敗戦してアメリカの管轄に置かれた

時期以外では他国から侵略され、

支配された歴史が1度もない。

その差が今の日韓の人間感情に繋がっているのだと私は思う。

北朝鮮が日本でサッカー予選を戦った時も

日本に在日する選手も出場したけれど、

個人的には地元チームでプレーした

経験のある選手だったけれど、

その選手を北朝鮮だからと言って

応援しなかったという事はなかった。

どの国の人種だろうと同じ人間なんだと

訴える映画なのだと思うし、

何より死にに行く事こそ愚かだと

いう事を訴える映画だ。

それはレビューの中で書くとしたい。

キャスト

京都で暮らしていたが病気にかかった

息子チャンスの治療のために、

一家を引き連れ東京に引越ししてきた

アンソン演じる井坂俊哉

アンソンの妹でのちに芸能界入りして

戦争映画で主役を演じるキョンジャ演じる中村ゆり

アンソンを助けた事が縁でアンソンの家族と

親しくなる佐藤政之演じる藤井隆

難病にかかる息子チャンスを演じる今井悠貴

芸能界の先輩俳優でキョンジャに近寄る

野村健作演じる西島秀俊

他多数のキャストでストーリーが進行する。

ストーリー

74年。京都で大暴れしていたアンソンは、

病にかかった息子チャンスの治療のために、

一家を引き連れ東京に引っ越してきた。

アンソンはある日、駅のホームで宿敵近藤と遭遇し、

彼が率いる大学応援団と朝鮮高校生との

大乱闘に巻き込まれるが、

気のいい国鉄職員の佐藤に助けられる。

佐藤はその争いが原因で国鉄をクビになってしまうが、

アンソンの家族とも親しくなり

妹キョンジャにほのかな思いを抱く。

キョンジャはふとしたきっかけで

芸能プロダクションからスカウトを受け、

狭い世界を飛び出したいという思いと

チャンスの治療費を稼ぐためにも、

芸能界で頑張ろうと決意する。

タレントとしての一歩を踏み出すものの、

なかなか芸能界のしがらみに馴染めない

キョンジャに声を掛けてくれたのは、

自然体で業界に染まらずにいる先輩俳優の野村だった。

やがてキョンジャは迷いながらも

野村に惹かれ始めていく。

一方チャンスの病状は次第に悪化し、

日本では助かる術がないと宣告されてしまう。

アンソンはアメリカでの治療にかかる

莫大な費用のために無謀な計画を立て、

佐藤を巻き込みたった2人で

危険な仕事へと突っ走っていくが…。

愛する者の命を救うために、

全てを投げ出し全力疾走するアンソンたち。

果たしてキョンジャと野村の恋の行方は?

アンソンと佐藤のとんでもない作戦とは?

そして彼らはその手にLOVE&PEACEをつかむ事ができるのか!?

結末は劇場で観てほしいけれど、

今回のレビューとしてまずこの映画なんだけれど、

色々なシーンなどを考慮すると

PG-12指定は必要なのではないだろうか?

井筒監督の言いたい事は確かに解るんだけれど、

それでももっと違った描き方ができたのでは?

と個人的には思う。

そういう観点から前作でもそうだったと思うが

冒頭とラストの抗争シーンと○ッ○○○ロ○シーン、

漁船取引シーンを考慮するとPG-12指定は必要だったと思う。

それらの減点はあるものの、

内容としてはその時代において

日本人と朝鮮人との関係がある訳で、

確かに当時は活躍する人が

朝鮮人では日本人は感動できないし、

応援できないという風潮があったと思う。

今では芸能界でも韓国人の活躍する人多く、

若手ではBoAになると日本でも絶大な人気を誇っており、

韓国人だからという意識は殆どない。

それ以外の俳優でもペ・ヨンジュンのように

多くのおばさまが狂喜している姿が報道されている。

そんな時代からすると昔はそんな小さな面子や偏見で

差別されていた時代があったのだと思うと、

日本人として恥ずかしい事をしていた。

その中でアンソンは息子チャンスの病気

筋ジストロフィーの治療ができる病院を探す。

この病気は年齢を経る事で進行して筋肉が

縮小していく病気で進行が速いと

若くして命を落とす難病である。

その息子を何とかして助けたい思いで

家族は色々な事をする訳だけれど、

妹のキョンジャはお店でスカウトされて芸能界入りする。

芸能界は弱肉強食の世界だから

事務所の力の強いところとそうでないところでは

力の差がハッキリ出る世界でもある。

キョンジャもその世界に入って最初は戸惑う。

どんな芸能人でもデビューの時がある訳で、

今主役を務めている人たちだって

最初はレースクイーンやグラビアアイドルだったりと

最初から女優1本で入れる人は少ない。

少なからず大半の人はアイドル、タレント扱いから始まる。

今回キョンジャを演じた中村ゆりは

昔YURIMARIというコギャル風(もう古いけれど)の

2人組の歌手だったんだけれど、

相方だった伊澤真理は既に芸能界を引退しているので

その後このような形でYURIが

日の目を観るとは正直思わなかった。

それほどスバ抜けたものがあったとも思わなかったし、

歌手としても成功したとはいえなかったからね。

そんな彼女は今後「天国からのラブレター」を控えており、

さらに注目されそうだ。

余談話は置いといて、話しを戻すと、

芸能界に入って成功するためには

やはりある程度目立たなければならないし、

気に入られなければならない。

そんな話は芸能界では嫌というほど

聞いているので珍しくないが、

キョンジャもその掟に飲み込まれていく。

一方アンソンも色々な手を使って

チャンスの治療費を工面しようとするが、

確かに気持ちとしては解るけれど、

手を出していい相手と悪い相手がいる。

今回アンソンのやった事は手を出して行けない相手だ。

救いたい気持ちは良く解る。

しかしだからといって手を出して行けない相手に

手を出す事はやっぱりいけないだろう。

時代背景もあるだろうが、

やってはいけない事はやってはならないという事を

示さなければならなかった。

その中で2人には戦争で生き抜いた

父親の回想が出てくるんだけれど、

このシーンについては時代背景が違うという事もあるけれど、

このシーンを成立させるにはアンソンのシーンだけでは

無理があるので、

脚本的にはキョンジャのシーンで絡まなければ繋がらない。

キョンジャが戦争映画に主演する事になる事で話が通じるが、

それがなかったら脚本的に無理が生じた。

その中でも朝鮮人から観た戦争が描かれている訳で、

朝鮮人としては戦争はある意味奴隷的な部分があった。

参加したくない戦争に参加させられた。

その中で逃げ続ける訳だけれど、

逃げても逃げても行き続けた

その父親は生きる事に最後まで希望を持って戦争を生きた。

ゆえにこのラストで出てくる戦争映画のシーンで

キョンジャは特攻で死んでいく人たちの事を

理解したくないのは当然だし、

下手に理解する必要はなかっただろう。

愚かな人間が辿り着いた発想を理解する

必要は何1つないという事を

確り示した事はこの映画のポイントとしては

高得点になると思う。

総評として戦争を生きた父親、

差別の中で生きた在日朝鮮人という

日本人の視点でない部分を観た訳だけれど、

やはりどんな状況においても

死ぬとわかってる事に行く事は愚かだし、

どんなに苦しくても生きようとした

父親とその家族の生き方は色々な人を捉えるだろう。

しかしだからと言って手を出して行けない部分も

ある事も忘れてはならない。

生きる為なら何をしても良い訳ではない事は

付く加えておく必要があるだろう。

苦しくても生きる希望を見つける必要性を

説いた事では最大限にいい映画となるだろう。

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