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「めぐみ-引き裂かれた家族の30年」娘を想う愛が国を世界の人達の心を動かす(gooブログ版)

2007-01-15 22:49:08 | 映画記事
なおこの元記事は

オールマイティにコメンテート「めぐみ-引き裂かれた家族の30年」娘を想う愛が国を世界の人達の心を動かす - livedoor Blog(ブログ)

となります。

25日公開の映画

「めぐみ-引き裂かれた家族の30年」を鑑賞した。

この映画は北朝鮮による拉致被害者横田めぐみさんの

ご両親を中心に北朝鮮による拉致事件を

アメリカ人監督の視点からドキュメンタリー映画として

描かれた作品である。

この映画は国際問題となっているだけでなく、

犯罪国家の北朝鮮の行為を全世界に知って頂く事が

最も重要な映画となっているだけに、

現在も続くこの拉致事件を刻銘に描いている。

本来ならこの記事は映画記事として書くよりも

メディア記事のニュースカテゴリーとして

書いた方が良いのかもしれない。

私自身もこの映画を鑑賞するに

あたり個人の感情だけでは解決できない

国と国との駆け引きというのも

あるだけに横田夫妻の気持ちを100%受け止めつつも、

簡単にはいかない問題として

この映画を観る事にしていた。

出演者はドキュメンタリーという事もあり、

事件の当事者と被害者が映像として映し出されており、

横田夫妻と弟さん、

拉致被害者増元るみ子さんの弟さんである

増元照明さんがドキュメンタリーの

インタビューと撮影に参加している。

ストーリー

1977年11月15日、新潟に住む13歳の

中学生・横田めぐみさんが、

下校途中に忽然と姿を消した。

誘拐や家出の可能性を含めた警察の捜査が始まり、

めぐみさんの両親である横田滋さん、早紀江さんも、

テレビ番組などの公開捜索に参加するなど、

ありとあらゆる手段でめぐみさんを捜し続けるが、

その行方はようとして知れなかった。

事件から2年が過ぎた頃、

日本海側で頻発したアベック失踪事件の新聞記事が

早紀江さんの目に留まる。

北朝鮮が関与した拉致事件――その疑いは、

さらに20年後の1997年、北朝鮮から脱北した

元工作員の証言によって、ようやく立証されることになる。

めぐみさんは北朝鮮によって拉致されたのだ。

横田さん夫妻を中心に

「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(通称 : 家族会)」

が発足され、その活動が始まる。だが政府の対応は冷たい。

拉致問題解決への動きは遅々として進まず、

その間に被害者家族たちの高齢化ばかりが進んでゆく。

鹿児島で拉致された増元るみ子さんの父、

増元正一さんや、福井で拉致された

地村保志さんの母親など、

再会を果たせぬまま亡くなる家族たちに、

横田さん夫妻の心は揺れる。

そんな中実現した小泉純一郎総理の初訪朝に、

新たな希望を見出す横田さん夫妻ら家族会の人々。

そこで北朝鮮は初めて拉致の事実を認め、

拉致被害者13名のうち、5名生存、8名死亡という、

家族会の明暗をわける結果を発表した。

死亡の明確な証拠は示されないことに一縷の望みを託し、

横田さん夫妻の救出活動は続いていく。

依然として続く政府の経済援助、心無い人々の中傷、

ニセ遺骨問題や孫娘キム・ヘギョンさんを使った

北朝鮮による揺さぶり……

そんな中で「もう一度、娘を抱きしめたい」

という気持ちだけが、

供に70歳を越えた夫婦を支えている。

そのたゆみない活動は、

今年で30回目の秋を迎えようとしている。

詳しくは劇場に足を運んで鑑賞してほしいと思います。

今回のレビューとして私自身事件現場である

地元新潟市に長年住んでいるけれど、

事件現場である場所は私も今では

時々車で通りかかる場所でもある。

あの場所は確かに海岸までそれほど距離もなく、

当時あの近辺は今ほど車の交通量もなかった場所なので

目撃者が少なかったのは仕方ないのかもしれない。

その場所で横田めぐみさんは

北朝鮮の工作員によって拉致される。

そしてそこから横田夫妻の闘いが始まる訳だけれど、

当時の事や状況は30年近く経た今だと

確かに今までスペシャルドラマ化はされてきたけれど、

映画化された事は一度もなかった。

ゆえに私もその人生近く生きているけれど、

拉致された当時の状況は

実はあまり良く知らなかったりした。

当時失踪した横田めぐみさんは何者かに

誘拐された事だけは確かだったが、

その決定的な証拠がなく捜索は

迷宮入りになろうとしていた。

当時の横田夫妻は行方不明捜索番組に

出演したりしたけれど、その真相は当時闇の中だったが、

あるジャーナリストのアベック失踪事件が

外国国家が関わっているのではないか?

と仮説を立てる事で横田夫妻は

その説に関心を持つ事になる。

それが北朝鮮による拉致事件と知るのは

それから20年後の1997年に北朝鮮から

亡命した元工作員による証言で判明する。

そこから苦節20年を経て拉致被害者による

家族会が発足し翌年には救う会を発足する。

しかし当時の政府は腰が重く、

北朝鮮が拉致を認めない中で2000年に

日本が北朝鮮に米60万トンの支援を決めた事で

救う会は自民党本部前で抗議を行う。

その中で新潟県選出の国会議員吉田六左衛門氏と

家族会とのやりとりが出てくるが、

吉田議員は救う会の為に力を注いでいる議員で

自民党の中で最後まで支援に反対したのだが、

数の論理で動く党ではどうする事もできなかった。

余談だが私以前吉田議員の事務所を訪れた事があり、

その事務所では横田めぐみさんを救う象徴となっている

ブルーリボンを秘書や事務員がしていたのを

鮮明に覚えている。

その中で救う会は感情的になってしまい、

激しい口論となるのだが、

家族の思いとしては事実になりつつあった

拉致事件の中でこの決定はやり切れない気持ちは強かった。

米支援に賛成した議員など裏口から

逃げて行った訳だからお粗末とした言いようが無い。

そしてその事実として記憶に新しいのは

2002年の第1回日朝首脳会談で

北朝鮮側は日本人の拉致を初めて認めた事だった。

その中には拉致被害者に認定されていなかった

曽我ひとみさんも含まれており、

その事で当時失踪した拉致被害者の見直しが行われた。

それにより横田夫妻はより北朝鮮に

虚偽の資料を一切信じる事はない訳であり、

それが今でも生きている事の確信となっている。

その後拉致被害者であった

蓮池薫さん、蓮池祐木子さん、

地村保志さん・地村富貴惠さん、

曽我ひとみさんらが帰国し、

その家族ものちに帰国した。

その後日本と北朝鮮は何度も交渉したが、

思うような交渉が成されない事に

ついに横田夫妻はアメリカに渡ってアメリカ政府に

拉致事件の事を訴える行動に出たわけ何だけれど、

この行動によりブッシュ米大統領と面会も実現した。

日本政府の不甲斐なさに業を濁し、

アメリカ政府へ訴える行動力は

何としても自分の娘や被害者を救いたいという

愛が動かした行動だった。

これによりアメリカでも次第に北朝鮮による

拉致事件が少しずつ知られるようになってきたけれど、

アメリカのような自由国家にとって

こういう国単位の拉致事件は想像し難い事実として

受け止められているようだ。

そして事件は今でも継続し闘い続けている訳だけれど、

何もしなければ何もわからないまま

終わったであろうこの拉致事件を家族を想う愛が国を動かし、

そして国を越えて大きく動かして行く事になる。

この事件は日本だけの単位では

手に負えない事件である事は言うまでもない。

これが国単位である以上アメリカや

世界の各国が真剣に取り組み世界が

動かなければ解決できない事件と認識して良いと思う。

横田めぐみさんが帰国できないのは

金正日らに日本語を教えている為だという。

つまりその内部にいる為に帰国させる事ができない。

しかしこれは人質というべき

世界の国家犯罪というべき行為であり、

こんな事を何時までもさせておく訳にはいかない。

事件そのものはあまりにも困難を

極める事件である事は否定できない。

場合によっては戦争に発展する可能性すらある

この事件は簡単には解決できない。

しかし今横田夫妻ら救う会の人達の愛が

拉致被害者を救おうと世界を

動かそうとしている事だけは確かだ。

この映画は日米同時公開となるだけに、

この映画が世界に注目される事で世界を動かし、

拉致事件の被害者が1日でも早く

家族の元へ帰れる事を切に願いたい。

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