神田~銀座へと、歩いた。
中に、ひときわ趣のある建物があった。
中央三井信託銀行、とある。
このような建物は、減ることはあっても、増えはしないのだろう。
「合理的でない」または、「エコではない」との理由から。
消費を促す仕組みとしてしか機能しない軽薄な「エコ」ブームに、
いつまで踊らされるのか。
資本主義社会(たとえその実態が甘えた社会主義であったとしても)に生きる
われわれは、「エコ」という名の大義名分のある免罪符を求める性なのだろう。
合理・論理偏重の世の中では、趣は失われる。合理しないないからである。
「エコ」ブームは、そんな時代の産物なのだろう。
後世の人々は、今の時代を歴史上何と呼ぶのだろうか。
さしずめ、「(人間性が)失われた100年」とでも呼ぶのだろう。
写真は、中央三井信託銀行の建物を、SL300Rにて撮影。
中に、ひときわ趣のある建物があった。
中央三井信託銀行、とある。
このような建物は、減ることはあっても、増えはしないのだろう。
「合理的でない」または、「エコではない」との理由から。
消費を促す仕組みとしてしか機能しない軽薄な「エコ」ブームに、
いつまで踊らされるのか。
資本主義社会(たとえその実態が甘えた社会主義であったとしても)に生きる
われわれは、「エコ」という名の大義名分のある免罪符を求める性なのだろう。
合理・論理偏重の世の中では、趣は失われる。合理しないないからである。
「エコ」ブームは、そんな時代の産物なのだろう。
後世の人々は、今の時代を歴史上何と呼ぶのだろうか。
さしずめ、「(人間性が)失われた100年」とでも呼ぶのだろう。
写真は、中央三井信託銀行の建物を、SL300Rにて撮影。