テリテ・モココ

その日、感じた事を記す

鬱日記1

2015-02-14 17:49:16 | Weblog
 急だが、これからは鬱日記として嫌なことがある度にここに書き込んでいくことにした。

 まあ、思ったことを書く場所だからそういうこと書いても問題ないよね。

 今は過疎ってるし誰か書き込んだ方がいいだろうからちょうどいいよ。

 それしか書かないわけじゃないしね。

 ということで、早速書くよ。

 今日は歯医者に行ってきた。

 検診と歯石取りが目的だったが、治療が必要と言われたので何回か通うことになった。

 次回の予約日が丁度とある人の49日だったようだ。

 11:00~あるのは知ってたし顔は出すつもりだったが、家の鬼婆が終始出席
しろとかいきなり言ってきやがった。

 11:00~15:00まであるらしく、解散はもっと遅いらしい。

 歯医者は11:30の予約だったので、30分だけ抜けると言ったらブチ切れられた。

 鬼婆は癇癪持ちのため叫ぶように話すのでムカつく。鬼はさっさと地獄に落ちて欲しい。

 鬼婆は自分の都合が悪いことがあるとすぐにブチ切れる。

 そして、散々喚き散らした後に予約をキャンセルするように命令してきた。

 既に歯医者は閉まっていたらしく電話しても閉店のアナウンスが流れていたのでもう一度歯医者に行ってキャンセルしてきた。

 ストレスで死にそうだよ。

 昔から鬼婆には、理不尽ばかり要求されてきた。

 小学生の頃、音楽の教科書を無くした。探していたら鬼婆にバレて怒られた。

 頬を抓られて血が噴き出した。

 そう、肉を引きちぎったのである。

 目立たないがその時の傷は未だに残っている。

 味噌汁を茶碗からこぼした時もジェトコースターに乗った時のリアクションばりに
大発狂して怒られた。叫んで怒るので耳障りすぎる。

 そのくせ、自分が味噌汁をこぼした時はお前の真似をしたとか言って何事もなかった
かのように誤魔化す。

 それが余計にムカついた。

 鬼婆は、他人の悪口が大好きで他人の不幸も大好きである。

 交通事故があると必ず嬉しそうに見に行こうとする。

 そう言う奴だ。

 何年か前に、鬼婆の義母が死んだのだが嬉しそうだった。当然、人前でそんな様子は見せない。

 鬼婆は、境遇が普通とは違う感じだ。それ故にキチガイじみているのかもしれんね。

 鬼婆は小学生の時に、母と弟を交通事故で同時に亡くしているらしい。

 その時点で、一般から外れている。

 そして中学生の時に父が再婚している。

 その時に、散々反対して義母にも嫌がらせをしまくったというのを何回も聞いた。

 しかし、再婚して少し経つと子供が生まれた。

 妹誕生である。

 まあ、全然可愛がっていない。王様気分で奴隷のように扱っていた。

 しかし、流石に子供ができると自分の立場が危うくなったのを理解し義母をおかあさん
と呼ぶようになった。

 2人姉妹であったが、義母に嫌がらせばかりしているため長女だが嫁ぐことになる。

 この時にこの鬼婆を嫁にした奴が全ての災いの元凶である糞爺だ。

 こいつさえこんな馬鹿な判断をしなければ、今ここにいない。

 全ての悲劇は生まれなかった。

 地獄に落ちて欲しい。絶対に許せない。

 そして、鬼婆は嫁ぎ先でも我侭放題である。

 いきなり、嫁ぎ先の家を二世帯住宅に建て直すと言い出す。

 しかも、嫁ぎ先の両親の金でやる。

 当然、断られる。そんな金がどこにあるのかと。

 この時のことを後々何十年も文句を言い続ける。

 嫁ぎ先の両親を祖父祖母と書くことにする。

 そして、糞爺には弟がいる。

 結婚もしていたが、何故か鬼婆は弟のことが大嫌いで悪口を盛大に言う。

 元々、実家からは出ていて盆や正月とかのイベントでは帰って来ていたがあまりに
悪口ばかり言うのでほとんど来なくなってしまった。

 そして鬼婆は子供を3人生んだ。

 一人目の長女だけは、信じられないくらい可愛がった。

 後の二人はゴミのように扱った。

 3人はそれぞれに多少の欠陥があった。

 一人目は左利きである。まあ、大したことではなく幼少時に右利きに強制したので
後に両利きになる。

 2人目は弱視である。子供の時から左目が成長しないという非常に重いデメリットだ。
視力がかなり悪い。

 3人目はアトピーだ。まあ、大きくなってからはほぼ影響はないレベルの軽度のものだ。

 弟にも子供が一人いる。そして欠陥があった。精神的なやつだ。

 会話できないレベルではないが、特殊学級に入るくらいにはおかしかった。

 鬼婆は、弟の子供を馬鹿にしまくった。弟の嫁の悪口も言いまくった。

 酷いエピソードでは、弟夫婦がお年玉を3兄弟に渡したのを家まで乗り込んでいって
突き返したというのがある。当然、弟の子供にはお年玉などあげない。

 鬼婆は当然、糞のような奴だがそれに対して何も言わない糞爺も見下げ果てたクズだと
いうのは間違いない。

 ちなみに、学歴は弟の方が良い。弟は県内1の高校に入学していたが糞爺はそこより
一つ下のところを落ちて滑り止めの私立に入学している。

 まあ、大学はどちらもマーチなので決定的な差は無い。但し、糞爺は1浪している。

 鬼婆の学歴は更にしょぼいのでその手の話は全くしない。

 鬼婆は糞爺の給料が安過ぎると頻繁に罵っていた。

 糞爺は卒業後は一部上場企業に入ろうとしていたが、長男ということを理由に実家に
帰ることになりそれを諦めて名も無き中小企業に入社した。

 それを知っていて結婚したくせに、鬼婆はメガバンクに入社していたらしくそれを
鼻にかけて糞爺をとぼしめる。しかし、鬼婆は結婚してすぐに退職しているのでまともに
働いてはいない。3、4年程度である。

 仕事を辞めるのは糞爺が言い出したことらしいので、それを後に何十年も嫌味ったらしく言い続けることになる。

 ある時、鬼婆の婆さんが死んだ。90歳を超える長生きであったが、鬼婆は珍しく
その祖母の悪口は言わなかった。まあ、幼い時に母親を失っているため気の毒に思って
いたらしく甘やかしてしまったというのが鬼婆を鬼婆にしてしまった原因のように思える。

 そして次に鬼婆の父親が死んだ。父親に対しても鬼婆は悪口を言わなかった。

 まあ、この父親がいないと鬼婆の我侭体制は崩壊してしまうので当然である。

 しかし、それまでは実家でやり放題であった鬼婆も義母と妹しかいなくなったので
あまり実家に帰らなくなった。この場合、帰れなくなったというのが正しいな。

 妹も結婚して二人子供を生んだ。

 その二人は、身体的な欠陥はないようだが偏差値がとても低かった。

 そのままの意味のFラン大学に行くことになる。

 鬼婆と糞爺は長女だけを特別に可愛がった。

 他の二人の子供は悲惨な運命を送った。

 3人目が小学校に入学した時にはゴミ捨て場へのゴミ捨てと風呂掃除と洗濯物の回収と便所掃除と食器洗いと家中の掃き掃除をそれぞれにやらせていた。

 二人目の子供は幼稚園に通っていた時に虫歯が無いので賞をもらえることになったが、たまたま虫歯が無い子供がもう一人いてどっちかを代表にするという話になった時に
二人目の子供はモジモジするのが癖であったため大人への返答がしっかり返せていな
かったため代表になれなかった。

 その時に鬼婆は二人目の子供に怒鳴り散らした。

 幼稚園児であった二人目の子供は圧倒的な恐怖の前で怯えることしかできなかった。

 鬼婆も糞爺も幼稚園児であろうと容赦なく全力ビンタするしゲンコツを入れてくる。

 二人目の子供はそういう習慣があったせいか、大人への恐怖心がすごく大きかった。

 中学の頃に鬼婆に連れられ眼科に行った時に、先生に親への恐怖心から症状を聞いても
まともに返答ができていないので鬼婆は席を外してくださいと言われるレベルだ。

 それについても、鬼婆は怒り二人目の子供を罵った上でそれ以後病院へ一緒に
くことはなくなった。

 診断はしていなかったが、二人目の子供は対人恐怖症だったのかもしれない。

 家で留守番していて誰かが帰ってくると必ず押入れとかに隠れるような子供だった。

 3人目の子供は、3人の中では一番優秀で友達も多かった。しかし、何でもそつなくこなすのが原因で奴隷のように働かされた。

 三人目の子供は大雑把な性格であったため、働かされることに対して文句は一切
言わなかった。そんなことよりも、さっさと仕事を済ませて遊びに行くことを優先させた。

 一番の働き者であったが、友達が多いため一番遊んでいるように見えた3人目の子供は
鬼婆から様々な理不尽を言い渡された。

 鬼婆は働いていないくせに家事を自分で全然やらなかった。

 食事も祖母に作らせていた。長女以外の幼稚園の送り迎えも祖母にやらせていた。

 二人目の子供は珍しく鬼婆が送り迎えをしたと思ったら自転車に乗っていて余所見を
していたらしく急ブレーキをした拍子に盛大に落としてしまったというエピソードが
ある。当然、傷跡が残るレベルの重傷をである。長女以外はどうでも良い鬼婆は病院
にも連れて行かずに放置した。

 長女以外の育児は祖父と祖母に押し付けていた。

 祖父はほとんど家にいる人だったが、酒が大好きであったためよく酒屋に行っていた。

 鬼婆はそれを非常に嫌っていた。

 たまに、飲み過ぎてリバースすることがあったがそんな時には一日中祖父の悪口を言ったものだ。

 片付けはほとんど祖母がやっていたのに文句ばかり言う。

 そして、祖父が死んだ。普段からさっさと死なないかなぁと愚痴っていただけあって
嬉しそうだった。但し、他所様のいるところでは絶対にそんな態度は見せない。

 鬼婆は外面だけはいいのだ。

 そして、祖父が死に祖母だけになったのをいい事に家でのヒエラルキーを変えようとした。

 庭仕事をする祖母はある日、大きな植木鉢を運んでいる最中に腰を痛めた。

 それを境に腰が曲がっていきあまり動けなくなっていった。

 あまり動かなくなった祖母はボケたものとして扱われ、毎日のようにとぼしめられた。

 糞爺や長女もそれに加担した。

 ちょっとしたことで祖母を怒鳴り散らすようになり、祖母は本当におかしくなっていった。

 その次は義母が死んだ。

 鬼婆はそれはそれは嬉しそうにしていた。ずっと待ち望んでいたようだった。

 この時に香典を10万円払っている。この金額で後から問題になる。

 それからは、今までやっていなかった鬼婆の母の法事をするようになる。

 親戚一同がいる中で代表の挨拶をするのだが、義母の話を涙ながらに語っていた。

 私の母親は母です。義母じゃありません。というような感じで義母をさん付けの名前で
呼んでそう言った。母が死んで他人の義母をおかあさんと呼ぶのが辛かった。

 親戚の人達も鬼婆のおかあさんと呼ぶときは義母のことを指していたのでそれが
辛かったと言っていた。

 そして、これからは鬼婆がおかあさんと言ったら義母さんではなく母のことを言って
いるのだと思ってくださいと親戚一同の前でそう言ってのけた。

 妹はその法事にはいなかった。出席していたのは妹の旦那だけだった。

 でも、そのことは妹にも旦那から伝わっていると思う。

 鬼婆には、人の心はないのだろう。

 義母は鬼婆が長女だけは非常に可愛がっているのは知っていたので、長女の成人式の
時だけはお祝い金の他に100万円の着物をプレゼントしている。

 他にも長女にだけはお年玉や卒業祝いなどを大学卒業まであげ続けた。

 しかし、そんなことは鬼婆の中では当たり前なので何も感謝しない。

 鬼婆はある時に軽度の脳梗塞を診断された。

 全く働かない鬼婆は豚のようにデブである。

 そして左半身が少しだけ痺れる程度には影響が出ている。

 それをいい事に毎晩糞爺に太ももから下のマッサージを30分~1時間ほどさせている。

 実際、日常生活には何の問題もない。

 鬼婆は遊ぶことが好きなので2月に一回くらいのペースで友達と旅行に行く。

 それもパリとかオランダといった海外旅行だ。

 国内旅行も行く。

 そういうことができるくらいには体への影響は無い。

 祖母はボケたと言われ出してからしばらくしてグループホームに入れられた。

 そこでは、何もすることはなく一日が終わるのを待ち続ける日々が続いた。

 元々、友達も多く若い頃は教師をやっていて面倒みもよく退職後も民生委員の会長を
何十年も務めるなどボランティア精神が旺盛であり活発に体を動かすタイプであった
ため祖母は何もすることがない日常に非常にストレスをかかえていた。

 しかし、何かしようとする度に鬼婆と糞爺に反対され友達と旅行に行くことも禁止
されていた。自転車も取り上げられ短歌や詩吟会も退会させられた。

 祖母のボランティア精神は、図抜けていた。

 一人暮らしの老人たちのサポートもしていたし、無一文になったホームレスのサポート
もしていた。地域ボランティアを重点的にしていた。

 外部的な評価で言うと国からそういった行いをしたことにより褒章を貰うレベルである。

 そういった人物が最後にたどり着いたのが、家族から見捨てられグループホームで余生
を過ごすというものなのだからなかなかに残酷である。

 何よりも人との繋がりに重きを置いていたのに一番近いはずの家族に距離を置かれて
いたのだ。

 鬼婆はボランティアなど一銭の特にもならないから止めろとよく言っていた。

 そんなことやる暇があるなら働いて金を稼げと言っていた。

 市や県からよく表彰をもらっていたが、紙切れに価値を見い出せない鬼婆であったが
褒章をもらったくらいのタイミングでいろんな人から賛辞を浴びる祖母を見て自分も
ボランティアを始めた。しかし、地域ボランティアでは祖母の二番煎じであり祖母の
影響力が強すぎるため家からかなり離れた所のボランティア団体に入った。

 祖母に対しては、一銭の特にもならないとか言っておいて自分はもっと関係ない
ボランティア団体に入るという矛盾だ。

 鬼婆の理屈なら地域ボランティアよりも更に価値を感じないことだ。

 祖母はそういった感じの活発な人だったので、閉じ込められてからは見る見るやせ
細っていった。

 最後には自分で立つこともできなくなって、自分で食べることもできなくなった。

 既に話すこともできなくなった。

 そうなるとグループホームを追い出されて病院に行くことになった。

 暖房が入っているのに足を震わせているのでおかしいと思ったら脳腫瘍ができていた。

 腫瘍が脳の一部に触れることで勝手に足を動かしていたのだ。

 肺にも癌という形で転移していた。

 凄まじいストレスだったのだろう。

 そうして意識があるのかないのか分からないまま寝たきりになりそのまま死んでいった。

 病院は寝たきりの病院でも2ヶ月しか置いてくれないとかあるようだ。

 どこの病院もいつまでも置いてくれる場所などない。

 たとえ意識がなくてもだ。

 とりあえず、次の搬送先の病院は探してくれるのだがあるかないかも分からない。

 なかったらどうしますかというと、寝たきりの人間は栄養剤の点滴を外せば一週間も
すれば死ぬらしい。

 点滴自体は脳腫瘍には良くないようだ。水分を与えると腫瘍がどんどん大きくなる。

 かと言って何も処置しなければ死ぬだけだ。

 こんなのが、今の医療現場の実態だと知って不安になった。

 祖母は死にいよいよ鬼婆がトップに立った。

 祖母の葬式の時に妹が香典を出したのだが、5万円だったので鬼婆は盛大に怒り散らした。

 自分は義母の時に10万円出したと言ってキレた。

 香典帳見れば分かるだろ。自分の在所がこんな対応しかできんとかどれだけ恥をかかせ
れば気が済むんだとキレまくった。

 やりたい放題である。

 長女が結婚し子供を産んだ。

 糞爺も鬼婆もかわいがった。

 しかし、長女は家を出ていった。

 元々、長女を家の跡取りとして育てていたので意外な展開であったが長女のやることに
は口出ししない。

 その代わりに二人目の子供を跡取りにしようと画策した。

 しかし、二人目の子供は鬼婆と糞爺に嫌悪感しかないのでなかなかいうことを聞かなかった。

 三人目の子供は一番放任されていたので大きくなる頃にはダメ人間になっていた。

 大学までは出たものの、文系だったのにサークルにも入らずバイトをしていただけ
だったのでまともな就職先がなかった。

 何とか営業で入った会社も1年くらいで売上が少ないことを理由に自主退職をするよう
に言われそのままニートになる。

 そして貯金もなくなり、失業保険もなくなったのでコンビニでバイトするようになる。
鬼婆や糞爺や長女に散々罵倒されハローワークに行くが、何社面接を受けても落ちる。

 そうして5年近くフリーターをしていた。

 鬼婆は自分の子供がフリーターなどと他人に知られたくないので親戚や知人と三人目の
子供が関わらないように遠ざけた。

 そうなると、もう二人目の子供しか残っていないので何とか関係の修復を試みるも
二人目の子供は鬼婆も糞爺も大嫌いなので嫌がった。幼少時から虐待を受けていたと
感じている二人目の子供は他人の目を伺いながらその場しのぎの会話しかしない。

 鬼婆と糞爺は無駄だと察したが、状況がくればその場の流れで跡継ぎとしての仕事を
させられる思いあまりそういう話をしなくなった。

 三人目の子供はフリーターをしていたが、その内工場のラインで働く仕事に就いた。

 大学まで出たのにラインとはもったいない話であるが、フリーターよりはマシである。

 休みは日曜日だけで、6時に起きて深夜0時に帰ってくる。

 社会の底辺のような生活である。

 多少はズレているかもしれないが、ムカつくので書きまくった。これで少しはスッキリするかと思ったが書いても大して気が晴れないものだ。