*この記事は「アナと雪の女王」のネタバレを含みます。
ちょっと長いです。
「アナと雪の女王」にどハマリしました。
吹き替えと3D字幕と2回観たけどもっと観たい。観たい観たい観たい。
けれどお小遣いは有限なので、DVDが早く出てくれるのを祈る日々です。
感想は色々たくさんあってまだまだ自分の中で消化中なのですが、とりあえずオラフの事だけ大分まとまったので書いてみたいと思います。
続きます↓
私は物語の中におけるオラフの位置付けを今ひとつ掴み切れずにいました。エルサの幸せな思い出から生まれた、と言われてもなんだかしっくりこなくて、それだけじゃなくてもう少し何かあるんじゃないかと思ったのです。
ずっと考えているうちに、オラフはもしかしてエルサのインナーチャイルドが具現化され分離されたものなのではないか?と思い至りました。そう考えてみると、オラフがただのユニークな雪だるまではなく、もっともっと深い意味を持ったキャラクターに見えて来たのです。
オラフがエルサの子供心だとしたら…。劇中、オラフは何を言って、何をしていた?
オラフが最初に作られたのは、幼いエルサとアナがエルサの魔法で雪遊びをしていた時です。オラフを作り上げたエルサはオラフになりきってアナに言います。
「ぎゅーっと抱きしめて!(ハグして!)」
劇中何度かオラフが繰り返すセリフです。
数年後の両親が船旅に出る直前の場面でアナと両親が幸せそうにハグしているのを見るに、アナはたくさんハグしながら育ったのだろうと思われます。
けれどエルサは、この日を境に誰ともハグ出来なかったんじゃないだろうか。したいと言う事さえも出来なかったんじゃないだろうか。可哀想すぎる。
アナを傷付けてしまい動転したエルサの魔力は暴走しはじめ、それによってオラフは壊れてしまいます。すべてのドアを窓を閉めて閉じこもるように、このときエルサのインナーチャイルドは封印され凍り付いてしまったのでしょう。
子供らしく無邪気に元気に心の赴くままに育っていくアナとは対照的に、まるで子供らしくないエルサ。窓の外の景色に心躍らせることさえ悪。子供でいること、自分らしくいることを禁じられたエルサの表情はいつも悲しげです。
アナがどんなに「雪だるま作ろう」と誘っても、雪だるまを作ること=子供心を形にすること、はエルサにとって禁じられたことだという象徴にも受け取れます。
時は流れ、隠していた魔力を皆に知られてしまいエルサは北の山に逃走します。
ずっとずっと耐えてきたことがすべて無駄に終わってしまった。けれど、かまわない。これでよかった。私は自由になったのだから。
そう高らかに歌うエルサはここで無意識に再びオラフを作ります。
ありのままの姿見せるのよ
これでいいの。かまわない。もう何も隠せない。
そう歌いながらオラフを、凍り付いたインナーチャイルドを甦らせるのです。
自由になったインナーチャイルド、オラフは、エルサから分離して一人歩きを始めます。
オラフはとても無邪気で、陽気で、気のいいやつです。
子どもですから無力ですし空気も読めませんが、憎めない純粋な心の持ち主です。
出会ったばかりのアナの話をとても楽しそうに一生懸命聞きます。
話しながら、答えながら、オラフの輪郭が形作られていくような気がしました。
夏を夢見るオラフ。
夏はそのままアナのイメージだし、オラフが夢見る夏はとても自由です。
冬の中でしか生きられないオラフが夏を夢見ることは、部屋に閉じこもったエルサが外の世界を夢見る姿に重なります。
氷の城に辿り着いたアナに「ノックして!ノックして!」と急かします。
エルサの子ども心は、ドアをノックしてくるアナをいつだって嬉しく待っていたんじゃないかな。
襲ってくるマシュマロウを少しでも食い止めようと足にしがみつきます。
子どもだから「こんなこと無駄かもしれないけど」、けれどアナを守りたい。
マシュマロウもエルサの心が作り出したものです。恐怖心から生まれたのかな?
怖いからそばに来ないで欲しい。けれど誰かを傷付けたいわけじゃない。
エルサの心の中の戦いが目に見える場面です。
トロールに会いに行ったとき、石に話しかけるクリストフを「ヤバイ」と判断したオラフはここでもアナを守ろうとします。
街に降りて陽気に人に話しかけるオラフ。
エルサもあんなことがなかったら、こんな人懐っこかったのかな。
「アナのためなら、溶けてもいいよ」
溶けたらなくなってしまうのに。子供心を失ってしまっても、それでもいいと。
オラフを小さなエルサに置き換えたら、その言葉ひとつひとつ、行動ひとつひとつ、すべてに意味が込められていることに気付きます。これだけの心を感じないように抑制していたエルサはどれほど辛かったことでしょう。それを思うと涙が止まりません。
そして、オラフは少しずつ成長しているように見えます。
最初は無力で純真で頼りない印象だったのに、アナをお城から助け出すころにはとてもしっかりとした心を持ち始めていて、心の頼りになる強い存在になっています。
…小さな雪だるまなので体は無力なままですが。
王国に夏が戻り溶けていくオラフに、エルサは専用の雪雲を作ります。
凍り付き封印されたインナーチャイルドは、オラフになって甦り、エルサ自身の手から雪雲を貰って夏の中に解放されていくのです。もう閉じこもる必要もなく、消える心配もない。
この瞬間に、分離されたインナーチャイルドは成長を遂げてエルサの中に還り、オラフは本当にオラフとして生まれたのではないかと私は思うのです。
ずっと人目に触れないように隠し続けて来たのは魔力だけではなくて、ありのままのエルサ自身でもあったはずです。
外に出ること、魔力を使うこと、抑えて来た感情を吐き出すこと、それでも受け止めてくれる人がいること。何重にも解放されていくエルサ。その中のひとつ、子供心の解放と成長を、オラフというキャラクターが担っていたのではないでしょうか。
そう思うと私が幸せなので、そう思っておきます。
この映画は、見る人、見る角度によって違う意味が見えてくる映画なんじゃないかな。
色んな風に考えながら、また何度も観たい映画です。
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けれどお小遣いは有限なので、DVDが早く出てくれるのを祈る日々です。
感想は色々たくさんあってまだまだ自分の中で消化中なのですが、とりあえずオラフの事だけ大分まとまったので書いてみたいと思います。
続きます↓
私は物語の中におけるオラフの位置付けを今ひとつ掴み切れずにいました。エルサの幸せな思い出から生まれた、と言われてもなんだかしっくりこなくて、それだけじゃなくてもう少し何かあるんじゃないかと思ったのです。
ずっと考えているうちに、オラフはもしかしてエルサのインナーチャイルドが具現化され分離されたものなのではないか?と思い至りました。そう考えてみると、オラフがただのユニークな雪だるまではなく、もっともっと深い意味を持ったキャラクターに見えて来たのです。
オラフがエルサの子供心だとしたら…。劇中、オラフは何を言って、何をしていた?
オラフが最初に作られたのは、幼いエルサとアナがエルサの魔法で雪遊びをしていた時です。オラフを作り上げたエルサはオラフになりきってアナに言います。
「ぎゅーっと抱きしめて!(ハグして!)」
劇中何度かオラフが繰り返すセリフです。
数年後の両親が船旅に出る直前の場面でアナと両親が幸せそうにハグしているのを見るに、アナはたくさんハグしながら育ったのだろうと思われます。
けれどエルサは、この日を境に誰ともハグ出来なかったんじゃないだろうか。したいと言う事さえも出来なかったんじゃないだろうか。可哀想すぎる。
アナを傷付けてしまい動転したエルサの魔力は暴走しはじめ、それによってオラフは壊れてしまいます。すべてのドアを窓を閉めて閉じこもるように、このときエルサのインナーチャイルドは封印され凍り付いてしまったのでしょう。
子供らしく無邪気に元気に心の赴くままに育っていくアナとは対照的に、まるで子供らしくないエルサ。窓の外の景色に心躍らせることさえ悪。子供でいること、自分らしくいることを禁じられたエルサの表情はいつも悲しげです。
アナがどんなに「雪だるま作ろう」と誘っても、雪だるまを作ること=子供心を形にすること、はエルサにとって禁じられたことだという象徴にも受け取れます。
時は流れ、隠していた魔力を皆に知られてしまいエルサは北の山に逃走します。
ずっとずっと耐えてきたことがすべて無駄に終わってしまった。けれど、かまわない。これでよかった。私は自由になったのだから。
そう高らかに歌うエルサはここで無意識に再びオラフを作ります。
ありのままの姿見せるのよ
これでいいの。かまわない。もう何も隠せない。
そう歌いながらオラフを、凍り付いたインナーチャイルドを甦らせるのです。
自由になったインナーチャイルド、オラフは、エルサから分離して一人歩きを始めます。
オラフはとても無邪気で、陽気で、気のいいやつです。
子どもですから無力ですし空気も読めませんが、憎めない純粋な心の持ち主です。
出会ったばかりのアナの話をとても楽しそうに一生懸命聞きます。
話しながら、答えながら、オラフの輪郭が形作られていくような気がしました。
夏を夢見るオラフ。
夏はそのままアナのイメージだし、オラフが夢見る夏はとても自由です。
冬の中でしか生きられないオラフが夏を夢見ることは、部屋に閉じこもったエルサが外の世界を夢見る姿に重なります。
氷の城に辿り着いたアナに「ノックして!ノックして!」と急かします。
エルサの子ども心は、ドアをノックしてくるアナをいつだって嬉しく待っていたんじゃないかな。
襲ってくるマシュマロウを少しでも食い止めようと足にしがみつきます。
子どもだから「こんなこと無駄かもしれないけど」、けれどアナを守りたい。
マシュマロウもエルサの心が作り出したものです。恐怖心から生まれたのかな?
怖いからそばに来ないで欲しい。けれど誰かを傷付けたいわけじゃない。
エルサの心の中の戦いが目に見える場面です。
トロールに会いに行ったとき、石に話しかけるクリストフを「ヤバイ」と判断したオラフはここでもアナを守ろうとします。
街に降りて陽気に人に話しかけるオラフ。
エルサもあんなことがなかったら、こんな人懐っこかったのかな。
「アナのためなら、溶けてもいいよ」
溶けたらなくなってしまうのに。子供心を失ってしまっても、それでもいいと。
オラフを小さなエルサに置き換えたら、その言葉ひとつひとつ、行動ひとつひとつ、すべてに意味が込められていることに気付きます。これだけの心を感じないように抑制していたエルサはどれほど辛かったことでしょう。それを思うと涙が止まりません。
そして、オラフは少しずつ成長しているように見えます。
最初は無力で純真で頼りない印象だったのに、アナをお城から助け出すころにはとてもしっかりとした心を持ち始めていて、心の頼りになる強い存在になっています。
…小さな雪だるまなので体は無力なままですが。
王国に夏が戻り溶けていくオラフに、エルサは専用の雪雲を作ります。
凍り付き封印されたインナーチャイルドは、オラフになって甦り、エルサ自身の手から雪雲を貰って夏の中に解放されていくのです。もう閉じこもる必要もなく、消える心配もない。
この瞬間に、分離されたインナーチャイルドは成長を遂げてエルサの中に還り、オラフは本当にオラフとして生まれたのではないかと私は思うのです。
ずっと人目に触れないように隠し続けて来たのは魔力だけではなくて、ありのままのエルサ自身でもあったはずです。
外に出ること、魔力を使うこと、抑えて来た感情を吐き出すこと、それでも受け止めてくれる人がいること。何重にも解放されていくエルサ。その中のひとつ、子供心の解放と成長を、オラフというキャラクターが担っていたのではないでしょうか。
そう思うと私が幸せなので、そう思っておきます。
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