金沢は古くそして新しい町。
新しく、そして古い町。
その金沢の魅力を探して、
今日も町を歩きます。
こんな書き出しから始まる。
ページをめくると知らない金沢に
会えそうです。
「日本海に突き出した半島が、ゆるやかにもとの海岸線に納まり始める位置に金沢がある。」
元金沢市長・山出保(やまでたもつ)は金沢の地形について書いている。
「金沢には卯辰山、小立野台、寺町台という三つの台地があり、いづれも街の中へずっとせり出してきている。金沢が比較的きれいだと言われるのは、せり出してきている台地の法面に緑があるからだと理解しています。三つの台地の間には犀川と浅野川という二つの川が流れます。澄んだ水が流れて、なおかつ二つの川が、五十五本、延べ150Kmにも及ぶ用水になって街の中をずっとめぐっている。」
第18景 ヂャズが流れた町【旧下新町通り】
大通りから一本裏の静かな通りです。
ここにある佃煮屋さんの鬼クルミ煮を
モナカで包んであるのもお薦めなんだ。
他にも蕎麦の老舗があったり。
泉鏡花記念館があったりと、、、
もう何十年も前、ここから近い彦三(町名)で囲碁を習っていた頃、兼六園下バス停まで、時折コースを変えて歩いたものです。
<本文より>
「町の踊り場」(昭和8年初版)は、徳田秋声が姉の葬儀に帰郷した数日を描いた短編小説で、川端康成に「神の手になるもの」として激賞された。その一節に、踊り場のある町、旧下新町が次のように描かれている。
その町は、この市の本通り筋の裏にあった。そこで小説家のKーが育った。私はどこにも踊り場らしいものの影を見ることが出来ずに相当長いその通りを行ったり来たりした。
K-とは鏡花のことである。二つ違いで同じ川べりに生まれ、ともに紅葉を師とし、女性を数多く描きながらも、神秘幻想の世界までをも紡ぎ出した鏡花と、自身の実生活や身辺に題材をとり、巷に生きる庶民の姿を精細につづった秋声とは対照的ですらある。その鏡花の町の薄暗がりの通りを歩いた秋声は目当てのダンスホールを見つける。
到頭(とうとう)私はソシアルダンスと赤い文字で出ている横に長い電燈を見つけることが出来た。往来に面した磨ガラスに踊っている人影が仄かに差してヂャズの音が、町の静謐を掻乱していた。
第19景 ひよどり越えの坂【暗がり坂】
この坂は春夏秋冬いつ来ても風情があって良いのです。
春、階段を降りたところには桜が咲いているし、雪で真っ白になった頃はまた格別の情緒がある。
今では私でも入れるような居酒屋も鍋屋さんもある。
階段を降りたところ
そして主計町の茶屋街でます。
<本文より>
かつて尾張町の旦那衆が主計町やひがしの花街へ遊びに行くときに、近道としたのがこの坂である。昔はこの坂を抜けてお茶屋遊びに行くことを「ひよどりこえをする」と言ったらしい。義経伝説で知られるこの言葉は、日常をふり切って散財すると言う洒落を込めた意味だろうか。別名「暗闇坂」の通り、夜は真っ暗な上、以前は丸太の段だけだったため、けがをする人もいたという。男の獣道であった。
良い一日を!