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都内大学に通う学生のブログ
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”ペーター・コンヴィチュニー、オペラ演出を語る” 2013/4/9 東京ドイツ文化センター 前編

2013-04-15 | 講演会
今回は講演会の記録という形でペーター・コンヴィチュニーの赤坂にある東京ドイツ文化センターで行われた講演の再現をここに書き記そうと思います。
コンヴィチュニーの1人しゃべりで、記憶とメモ書きの限りを尽くして書きますが、書ききれない部分、表現のつたない部分が当然ありますがその点はご了承ください。
あくまでも簡略化されたものとしてお読みください。

(会場のドイツ文化センターは初めて行く場所ですがきれいな建物で、普段はドイツ語教育などをしている場所らしく図書館もあるみたい。
文化センターの人たちだけでこの日の講演会を主催しているらしく、この日の入場料は無料。
中にあるホールは250人収容で天井も高く立派な空間。
ホールの入口で同時通訳のイヤホンとレシーバーを渡されましたがドイツ人のきれいなお姉さんに手渡されて愛想も良かったです。ああ楽しい。)
(時間の7時となり、講演が始まりコンヴィチュニーがホール後方から駆け足で登場。
お初にお目にかかりましたが想像していた怖いイメージとは全く違い、終始にこやかでフレンドリー)

ミナサンコンバンワ(日本語)
今日ここにきてくれた皆さんはオペラが大好きな人でしょう。私もオペラが大好きです。
しかし、オペラは今大きな危機にさらされています。
財政、政治、、、など様々な理由から芸術にかけられている経費が削減され、
ドイツではすでに20ものオペラハウスが閉鎖されています。
これは文化に対する侮辱である他にありません。
世の中が文化を顧みず利益を重視するばかりになってしまいました。
これは大きな過ちです。
この過ちはやがて私たちの世の中を崩壊させるでしょう。

私はオペラと演劇を同じものに捉えています。
演劇を見ることはオペラを見ることと区別はなく。
みなさんは今夜見に行ってきたのがオペラなのか演劇なのかを判断して言う必要はありません。

私は今まで世界中で80以上のプロダクションの制作をしてきましたが、この中にバカげたもの1つとして、ありません。
しかし残念ながら、私は全てのオペラ公演を見たわけではないですが、
世の中のオペラ制作のおよそ90パーセントは馬鹿げた、誤った演出によって行われています。
オペラは私たちに真に何が人間的なのかを教えてくれるのです。
誤った演出はその本来のメッセージを薄めて、オペラをエンターテインメントとしてしまいます。
オペラをこのまま世界に残すことができるには2つの方法があります。
1つは美しい声、衣装、デザインで舞台を作り、有名な演奏家を集めること。
2つ目はそれぞれのストーリーに焦点を与えることです。
オペラから私たちは何かを学ぶことができます。
そのためには舞台に意味がなければナンセンスです。それはエンターテインメントです。
そして舞台の意味、それは観客との対話、議論に成り立ちます。
例えばオテロの嫉妬は私たちの何につながるのか?
タンホイザーはなにを示しているのか?

(タンホイザーのあらすじを話す)
終盤、許しを乞うたタンホイザーにローマ法王は「この杖から緑の葉が出ることが無いのと同じく、お前に救いがもたらされることはない」と言います。
そして最後にエリザベートとタンホイザーが死に、緑の葉のついたローマ法王の杖が舞台に登場してタンホイザーに救いがもたらされます。
このオペラではローマ法王が間違いを起こします。ローマ法王がですよ?
神に代わって発言するような人が間違えるはずはないです。神は絶対なのですから。
ここでは異教徒となったタンホイザーと世の中との二重道徳の結果が示されています。
これはワーグナーのカトリック批判です。
このエッセンスを見逃してはいけません。
こういったことを見逃してオペラを制作しているようではそれこそエンターテインメントです。経費の無駄遣いでしょう。
それでも今は何も伝わらない、分からない多くの、大変多くの馬鹿げたオペラ制作があふれています。

(ここからはコンヴィチュニーが影響を受けた演出家の話なのですが単語や人名についていけませんでした。
若い時にブレヒトの舞台制作に触れ、フェルゼンスタインから演出をならったそうです。
この2人はオペラ、演劇を音楽中心ではなく歌手、俳優が中心となりストーリー全体を動かすことに重点をかけたと言っています。
またスタニスラフスキーやロバート・ウィルソンもピックアップしていました。
特にロバート・ウィルソンはヨーロッパの誤ったイリュージョニズムを正したと高く評価しています。
イリュージョニズムとは人間の生活を舞台上で再現する手法だとか。)

オペラではたくさんの古い作品と触れ合います。
よく一般的に行われていた演出、例えばエフゲニー・オネーギン、これは140年前の作品ですが、
これをその140年前のやり方を想像して行うオペラ制作に意味があるのか?
それだけ前の時代の人々が果たしてどういう関係もっていたのか、
今の私たちにそれを生みだそうとするのは、無理な話です。
、意味はない、あり様がない。
オネーギンはもっと素晴らしい作品です。我々にもっと様々なことを教えてくれます。
私たちはそのための手段を見つけなくてはなりません。
特に演出家は観客の誰よりも作品を理解する必要があります。
そのためには音楽、台詞には手を出しませんが、ト書きの変更を行うことは辞しません。
音楽、台詞、ト書きのうち、ト書きは一番早く劣化してしまうからです。

これから私がかつて演出したヴォツェックのラストシーンの映像を観ます。
まずやはりこの作品は素晴らしい。どう歌うか、響くかによって20世紀が見えるのです。
(照明が暗くなりスクリーンに映像が流れる、お札が床にばらまかれヴォツェックとマリーの他に10人ほどの男女がいて、お金への執着を示したり、列を成して二人を取り囲んだり。
マリーが殺されるときにはその列が二人に向かって猛然と歩いてきて肩がぶつかる位置でマリーが悲鳴をあげて死んでしまう。
ヴォツェックは人々によってお札の山の中に埋められてしまう。)
(映像は衝撃的、隙のない緊張した舞台で、映像が終わって会場の照明が明るくなっても観客の空気はなんとも重かったです。)
(調べると1999年頃にハンブルクオペラハウスで行っていた公演。メッツマッハーと組んで様々な舞台を制作していた時期ですね。)

この作品の普通の演出の上演において良くないことはヴォツェックとマリーの貧しさを前面に出してしまうことです。
二人が不幸な結果に陥ってしまったのは貧しさだけではありません。
この舞台では床に大量のお札がばらまかれ、また本来は二人のシーンである場面に更なる人々を登場させました。
私はこの作品に社会を出演させたかったのです。ヴォツェック一人に罪をきせるのは間違いです。
私はそれがこの作品の効果を薄めてしまうと確信しています。
普通の演出のこの作品上演を観た後“ああ良かった、自分があんなに貧しくなくって”と思いながら帰る観客もいるのではないでしょうか。
そうじゃなくてよかったと客観化してはいないでしょうか。
そうではないのです。カタルシスこそが舞台の意味です。それによって人間は生まれ変わるのです。

1821年ライプツィヒでヴォイツェックが起こした殺人事件がこの作品の原作です。
当初死刑判決を受けた彼ですが、精神異常、さらにこういった状況にまでさせてしまった社会の責任を指摘され民衆は彼の死刑に反対しました。
結果的に彼は死刑となりましたが、ビュヒナーがこれに衝撃を受け芝居にし、
その100年後に偶然見つけたベルクがオペラ化をしました。
“どうしてここまで苦しまられるのか”という衝撃が彼らを戯曲、オペラの制作に突き動かしました。
それぞれの作品の役割を理解しなければなりません。そうしなければ全てが削除されてしまうでしょう。
私の舞台では音楽を、オペラハウスを出たときに、なんていい音楽だったんだろうと楽しむことを目的としています。
音楽は一番最後に楽しむものです。より音楽を新鮮に聞こえるようにするのが演出の役目です。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
コンヴィチュニー演出の「マクベス」 (素人耳)
2013-05-02 22:50:27
こんにちは。
この講演会に行かれたなら、きっと二期会の「マクベス」にも行くんだろうなぁ、と思っていたのですが・・。
私は5/1に行ってきました。とても楽しめましたが、bokuさんはいかがでしたか?
http://www.nikikai.net/lineup/macbeth2013/index.html
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素人耳さん、コメントありがとうございます (polaire66)
2013-05-08 22:52:11
どんなCDでもむさぼり聴いていた高校時代が懐かしいような、、、
大学に入って積極的にクラシック音楽を聴くことが減ってしまっています。
CDショップにも行きませんし、チケットを買うこともおとなしくなってインす。
中学生からクラシック音楽を聴いてきてこんなに音楽に消極的になるのは初めてという位です。
日本のオケを聴いてもいまいちな演奏しか当たりませんでしたし、
フリットリのリサイタルに行くぞと意気込んでいたら大学の抜けれそうにない予定が入るし、
”マクベス”ですが、ついにはチケットを取ったにも関わらず行きそびれるという始末。困りました。。。

一概に言えるのは受験生時代に続けていたことに興味が向かず、中断していたことと新しいことに向いているという状況です。
大学に入ってそろそろ一か月、新しい環境に集中が分散しているのだと、
しばらくは休憩と思い、待つことにしています。
気になるコンサートにはもちろん足を運びますので、心躍る演奏があればこちらにも書きます。

(パルシファルの感想、言いたいことが多すぎて、自分の文章力ではまったくまとめられることが出来ませんでした。。。精進します。)
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はじめまして、初コメントです! (めぐみ)
2013-05-24 18:41:00
はじめまして!めぐみっていいます、他人のブログにいきなりコメントするの始めてで緊張していまっすうふ♪(* ̄ー ̄)v。ちょくちょく見にきてるのでまたコメントしにきますね(。・・。)ポッ
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