さとう式リンパケアとネスセラピー:NES(ネス)駒ヶ根さんからの引用です
エックハルト・トールの新書?の訳しです
在るを今風に的確に捉えていて分かりやすいですね^_^
以下引用
「在る」を楽しむとは、「意識」を楽しむということ。
意識とは、最初から意識として存在しているもの。
定義できないし、永久にあるもの。
でもね、この宇宙は徐々に意識となりつつある。
意識には時間が存在しないから進化するということもない。
生まれもしないし死にもしない。
意識がこの宇宙の中で「形あるもの」として現れるとき、時間や進化が存在しているように見えるかもしれない。
人間の頭ではとらえきれるものではないからね。
でもその宇宙の不思議さを自分自身の中に垣間見ることができる。
自分自身がその意識となって宇宙に参加することができるんだよ。
意識は知的なもの。
全ての「形あるもの」に先立つもの。
意識はそれ自身を表現するために、「形あるもの」をずーっと創り出してきたんだ。
純粋な意識のレベルは「形あるもの」とは別の次元と思いがちだけど、そうじゃないよ。
登場人物である「形あるもの」は、「形のないもの」という舞台の上にあるもの。
「形のないもの」が、宇宙意識を通して「形あるもの」に流れ込む。
それをするのは誰?
「意識となった人類という形」を通して。
意識は、具現化された次元、つまり「形あるもの」に生まれ変わっていく。
それって、夢の中のような状態、つまりこの世に生まれ出るということなんだけどね。
知性はそのままあるにはあるけど、意識が無意識になっている状態。
「形あるもの」の次元では、意識は失われてしまう。
意識が「形あるもの」となってしまう。
神様が神様であった意識を忘れて、肉体を持ってこの世に生まれてきた感じ。
僕たちの地球では、宇宙の眠りから醒めるファイナルステージに来ているよ。
意識と「形あるもの」を同化させてしまった自我から目覚めるファイナルステージ。
これは意識の進化のためには必要なステップなんだ。
人類の進化の次のステップは、意識になることを選択すること。
誰が選択するのか?
それはあなた。
人任せにしないでね。
選択とは責任を持つこと、「今」にあることだから。
では、あなたとは誰か?
意識となったあなたのこと。
人間の脳は高度に物質化された「形あるもの」と言えるね。
その脳を通して、意識がこの次元にやって来れるんだ。
神経細胞はニューロンとも呼ばれてるね。
ざっと1兆個はあるだろうか。
銀河にある星の数とも同じと言われているほど。
人間の脳は一つの銀河とも言えるね。
でね、意識は人間の脳が作っているものではないんだ。
意識が人間の脳を作っている。
意識が意識を表現するために作られた地球上で最も複雑な臓器。
脳がダメージを受けたとき、あなたが意識を持てなくなるんじゃないんだよ。
そうじゃなくて、意識が脳を通してこの次元にやって来れなくなってしまったということなんだ。
あなたは意識を失うことはできない。
だってあなたが意識そのものだからね。
僕たちは持っているものしか無くすことができない。
自分自身であるものを無くすことはできないんだよ。
意識がなんなのか理解できなくても、意識そのものになることはできるよ。
どこであっても、どんな状況でもそれを感じることができる。
「今ここ」にそれを感じることができる。
「今」という内なる宇宙の中で、この文章は知覚され思考となっていく。
意識とは、無限に横たわっている自分自身のこと。
読んだり考えたりする言葉は、舞台の上に出てくる登場人物。
自分自身とは舞台そのもの。
経験・思考・感覚は全て自分自身という舞台の上で展開されている。
スピリチュアルな気づきとは、「知覚・経験・思考し感じているのは自分ではない」ということを見抜くことだよ。
それらの中に自分は存在しない。
それらは絶え間なく変化していくものだからね。
ブッダはそのことを見抜いた最初の人だろうね。
アナタ(無我)は彼の教えの中心となっている。
イエス様も「自我という幻想を否定し元に戻りなさい」と言ってるよ。
常にあるのは意識の光。
その光の中で、知覚・経験・思考・感覚はやってきては去っていく。
意識こそ「在る」もの。
意識こそホントの自分。
そのことに気づいたとき、この世で起こることは全て相対的なものでしかなくなる。
物事の深刻さ・重たさが無くなる。
「私はホントの私である『在る』を感じることができているでしょうか?」
「今この瞬間に私は私で『在る』私、その私を感じることができているでしょうか?」
「私は私自身が意識であるということを感じることができているでしょうか?」
「起きている物事の中から自分を消すことができているでしょうか?」
「自分の中から思考を消すことはできているでしょうか?」
「形あるもの」はあなたに「これが自分だ」というアイデンティティーをもたらす。
その「形あるもの」が崩れると、自我も崩れていく。
自我は「形あるもの」から形成されているから。
「これが自分だ」というアイデンティティーがなくなったら、じゃああなたは何なんだろうね?
自分の周りにある「形あるもの」が消失するとね、自分が「在る」という感覚、「私は在る」という感覚が「形あるもの」から解き放たれるよ。
物質と言う檻の中から魂が解放される。
もともと自分は「形のないもの」「今という全体」「形あるものに先立つもの」「全アイデンティティー」だったということに気づく。
意識が「これが自分だ」と言ってるんじゃなくて、自分自身が意識そのものだったんだと気づく。
それが神との調和だよ。
「私は神の意志を知りたい。他の事はこまごまとしたこと。」とアインシュタインは言いました。
「神の意志」って何だと思う?
意識のことだよ。
「神の意志を知る」ってどういう意味だと思う?
眠りから覚めるってことだよ。
「こまごまとしたこと」は?
あなたの外側の目的や外側で起こるすべてのことだよ。
静寂さから神様は語り掛けてくれる。
静寂さ以外からは神様の言ってることはうまく伝わらない。
静寂という意識になるときはいつでも、あなたは「形のないもの」や時間の存在しない次元とつながっているよ。
それは思考や自我の届かない次元。
静寂さは、世界中の自然の中にあるかもしれないし、早朝の自分の部屋の中にあるかもしれないし、音と音の間にある沈黙の中にあるかもしれない。
静寂さには形がないから、思考を通してではとらえることができないんだ。
思考は「形あるもの」だからね。
静寂さに気づくとは、静寂さの中に入ること。
静寂さの中に入るとは、考えることなく意識になるということ。
静寂になれたとき、それ以上深い自分にはなれない。
静寂になるまでは、体と心を持った仮の人だったけどね。
静寂になれると、「形あるもの」は崩れ去る。
静寂さは、「仮の存在を超えた存在」「条件付けされない意識」「形のないもの」「永遠」のこと。