16年飼っていた愛犬が死んだ。
一言でいったらそれだけだが、
死という避けられない事実に向き合ったのは初めてかもしれない。
今迄、肉身の死には何度か遭遇したが、
主たる介護者では無かったので、垣間見たと言う方が正しかったと思う。
しかし、飼っている犬は他に介護者はいない。
飼い主は犬にとって唯一の保護者なのだ。
命を託してくれているのだ。
そんな事を実感した介護であった。
死ぬ半年以上前から、その兆候は始まった。後ろ足の左側の足を引きずるようになった。痛み止めを飲んで正常になったり、また引きずったりするようになり、死ぬ3ヶ月前からは、一人で歩けない状態になり介護に。一緒に暮らしていても、介護になって初めて愛犬に向かい合った気がした。
動けなくなった始めの頃、愛犬自体、その事実を受け入れられないのか、よく泣いた。左足は骨肉腫におかされていたのだ。足の付け根のあたりが、堅く3倍に腫れていた。獣医はただの老化とみていたようだった。解った時はもう、治療のしようがなかった。そのうち、痛み止めを飲んでいたからなのか、おとなしくなった。
排尿と排便は後ろ足の代わりに、私が尻尾を持ち上げ、付き添った。私が留守の時はシートとおしめをさせた。困ったのは褥瘡が何カ所も出来ることだ。毎日薬を塗り、絆創膏を替えた。体調悪い時は、夜中でもよく泣き、愛犬は辛かったのだと思う。
獣医からは、餌を食べている間は元気ですよ、と言われていた。ドッグフードを食べなくなったので、人間が食べる食事を犬用にアレンジして食べさせた。美味しいのか、よく食べるようになり、体重も増えた。
しかし、いつまでも元気なことは無く、ご飯を食べなくなった。注射器の太いので(針はない状態)、擂り下ろした食材を犬の口に入れ、食べさせていた。一週間は続いただろうか。それも、食べなくなった。そして、骨肉腫の腫れた所から、何カ所からか、汚物が出てから、数日のうちに亡くなった。
死ぬ当日、ビタミン入りのドリンクをのみ、口濯ぎの水を飲ませながら、私は「今迄居てくれて、ありがとうね」と犬と目をあわせて飲ませたのだが、それが愛犬とのコミュニケーションをとった最後だった。その数時間後、息絶えていた愛犬に気づいたのだった。
この絵はペットロスに陥りながらも、愛犬の供養の為に描いた「六平観音菩薩像」です。愛犬の名前は六平といいます。明日から、8日迄、灸まん美術館でグループ展に出しています。
この絵を描く事で、本当に供養が出来たような気がします。六平に感謝。
Copyright 2014 Fujita Kazuko All rights reserved.
イラストの無断使用はしないでください。