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たった4ヶ月で国産の火縄銃を完成させ、黒船の二年後には蒸気船を作った日本人の凄さ

2016年09月05日 | 歴史あれこれ

日本人が科学技術面で大きな衝撃を受けた出来事として1543年の種子島での鉄砲伝来と1853年の浦賀への黒船来航を挙げることが出来ます。

火縄銃に関しては最近では種子島よりも前に倭寇により日本に伝わっていたとする説が有力ですが、特筆すべきことは、火縄銃の実演を見た2梃(一節には3梃)を購入した種子島の島主・種子島時堯に複製を作るように命じられた刀鍛冶の八板金兵衛らが、たった4ヶ月という短い時間 で日本初の火縄銃を完成させたことです。

当時の人口(比率)は解りませんが、現在の種子島の人口や約3万3千人で、日本全国の人口(約1億2千8百万人)の たった 0.0026% にしかすぎません。

物凄い確率の中で、大天才の刀鍛冶の八板金兵衛が種子島に偶然にも住んでいたいたと考えるようりも、種子島にいた(全国で)平均的な能力を持った刀鍛冶が、短期間で火縄銃を複製できるほど、当時の日本人の技術がいかに凄かったかを物語るものだと私は思います。



その証拠に、戦後時代だったこともありますが、その後、日本の各地で、(国産の)火縄銃が次々と作られていったように、八板金兵衛だけにしか火縄銃を作れなかったのではありませんでした。

国産の火縄銃を作るにあたって、西洋人からの指導は全く受けずに完成させたのですが、複製するために分解するサンプルがありました。


しかし、黒船が来航して、日本人が初めて目にした蒸気船については、指導する西洋人の技術者もいなければ、複製するために分解などを行うサンプルも全くなく、オランダ経由で取り寄せた書物だけで、蒸気船の製作を行い、黒船来航と同じ1853年中に佐賀藩が模型の蒸気船を、2年後の1855年には、薩摩藩が国内初の蒸気船の 雲行丸 を、更にその2年後の1857年には宇和島藩が蒸気船を 独力で完成 させていおり、日本人の凄さを物語っています。





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