日本を代表するコンクリート像作家 浅野祥雲(1891年 - 1978年)
この軍人像は1937年(昭和12年)の上海事変の呉淞(ウースン)の上陸作戦で、ほぼ全滅して戦死された名古屋第三師団歩兵第六連隊の兵士の皆さん生前の写真を基に、浅野祥雲が6年の歳月をかけて完成させた軍人像です。
終戦後に進駐軍が、この像の取り壊しを命じた際に、当時の住職が「国のために死んだことに日本もアメリカも変わりない。日本人である私には、決して、この像を壊すことなど出来ない。とうしても壊したいならば、今、この場で私を銃殺して、ご自分の手で壊して下さい」と言って守ったそうです。
1995年に元々あった名古屋市から、現在の知多半島の南知多町にある中之院(地図上では岩窟寺)に移されたそうです。
尚、ネット上には、中之院を訪れた方のBLOGが、いくつかヒットして何種類かの住所も見つけることが出来ますが、それらの住所をカーナビで登録しても、辿り着けませんでした。
南知多町の町役場の産業振興課商工観光係様にヒントを教えていただき、中之院(岩窟寺)の近くに岩屋寺というお寺があるとのことで、岩屋寺の住所は 愛知県 知多郡 南知多町 山海字間草 109番 なので、ナビで、ここへ向かい、中之院へ行くことをお勧めします。
軍人墓地を訪れ、戦争の悲惨さ、生命の尊さを改めて実感し、深く合掌してきました。
浅野祥雲の軍人墓地(軍人像)の詳細は下記のBLOGに載せています。
http://blog.goo.ne.jp/pizzica0912/e/eb8eb0cefa365f90901bb6494422c016 |