北海道の山が好きで、全道どこにでも登りに行くのだが、やはり地元である支笏湖周辺の山には強い思い入れがある。
しかし、この界隈、最近は地名や山名の混乱や間違いが多いように見受けられる。
間違いでは無いが、地形図と林班図では樽前山の北側の沢の名前が異なっており、救助に支障をきたした事例があるため、一考を要する。
また、樽前の西側はマイナーピークが多く山名を知らない人も多いだろう。
例えば、多峰古峰山の南側.646は近年モユクンタップコップの看板が付けられたが、これは間違いである。
千歳市史によると、モユクンタップコップは多峰古峰山の別名である。
ちなみに千歳市史を個人的に所有している
僕は千歳市Love

な千歳市民
千歳市史にもモユクンタップコップと多峰古峰は同一の山と記載
.646は地元の支笏湖あたりでは南多峰古峰山と呼ばれているとの事だ。

江戸時代の松浦武四郎図
モユクンの文字が
この時代から山は変わらない。
明治29年の地形図
現代の地図と比べるとかなり等高線が雑で面白い。
現在の多峰古峰山の位置にモユクンタップコップと記載されている。
大正6年の地形図
多峰古峰山と記載
白老は村
湖畔の道路は当然ながら山道であったろう。

同じく大正6年の地形図
丸駒温泉はすでに開湯
湖岸の道路「いわゆる有料道路」はまだ無く、船で渡してもらう。
恵庭岳北側の恵庭市と千歳市の境界に注目
ハッキリとピークは恵庭ではなく千歳である事が分かる。
つまり現在境界未設定の恵庭岳ピークは元々は千歳市のものだったのが歴史的事実
昭和12年
湖畔の道路はまだ無く
恵庭岳が恵庭獄の表記であるのが面白い。
御料地である事にも注目
この御料地の標識はカヤック漕いでると支笏湖の水の中に見つける事がある。
昭和47年
特筆すべき変化がある。
札幌オリンピックの男子大回転コースである。
恵庭岳西側に索道の記号あり
ロープウェイと書かれているのが分かる
植林され50年以上経った今でも、その植生の違いから特定できる。
同じく昭和47年
湖畔には有料道路が開通
地元の方は今でも有料道路と呼ぶ人あり
私はこの当時にはいなかったけど、場所の特定に分かりやすいので使っています。
同じく昭和47年
美笛トンネル開通
旧道の様子もわかる。
こんなに建物もあったのか。

砥石山麓の支笏トンネルはまだ記載が無い。
北海道地図株式会社の登山地図
苔の洞門からのルート及び樽前山ドーム周辺の登山道が記載されている事に注目したい。
風不死岳北尾根ルートは記載なし。
同地図の新しいもの
風不死岳北尾根ルートが開削された。
苔の洞門からのルートは廃道どころか記載すらない。
登山道など生き物なのだよ。
月日の推移によって出来たり無くなったりする、そういうものだ。
恵庭岳の北尾根にある登山道もいつか地図に載るのだろうか。
個人的には登山道も整備も要らないが。
ここは簡単だし、ピンテもあるがバリエーションルート
正規では無いよ、頂上への登山禁止看板無くて当然、免罪符にはならない。
そんな事してたら北尾根ごと立ち入り禁止になるよ。
行政とはそういうものだ
グレーゾーンは大声で権利を主張する所じゃない。
また多峰古峰の北西の△614は点名が多武古峯であり、山名が瘤山でもある。
これを砥石山と呼ぶ人もいるが、様々な文献を紐解くと混同されている事がハッキリと分かる。
砥石山は瘤山の東の・580だ。

かなり古い本
なぜか砥石山の記載あり。
市史では榴山との事
多武古峯であれば瘤山なので別物だ
この本にも砥石山が詳しく載っている。
砥石山の位置、あきらかに砥石山が支笏湖畔に面した山であることが分かる。
これが多武古峯
この図上表記、砥石山の北側の沢が砥石沢である。
記述の通りに支笏トンネルの上を通っている。
何十回と現地に行っているが本当に平たい砥石が出る。
北側の二等三角点の山は点名があり、多武古峯で間違いない、瘤山の別名もある。
つまりこのような位置関係となる。
アイヌ語のタプコプは和訳するとコブ山、たんこぶ山あたりが適当なので、このあたり一帯、多峰古峰やその南峰(モユクンタップコップ)あたりまで指しても不思議ではないが、砥石山は完全な和名であり、単独の・580を指すだろう。
書籍 樽前山麓の森林には
旧道の事が書かれている。
この画像から見るにあきらかにトンネル上の山が砥石山で間違いがない。
今日は雨ふり、山や岩に行けなくとも地図の上での紀行や山書に歴史を尋ねる事は出来る。
ナビゲーション機器の発達目覚しい現代だが、地図が読めなきゃ山には行けない。
地図に興味無い山ヤになどなりたくないものだ。