☆つる姫の星の燈火☆

#52 蛍の思い出

幼い頃、父の車に乗せてもらうのが大好きだった。
写真屋さんだった父は、出来上がった写真の配達に行くときなど、私を連れて行くことが多かった。
記憶にはないが、私の方から連れていってくれ、と頼んだのかもしれない。
当時の田舎では、まだ車を持っている人は少なく、幼心にも優越感のようなものがあったように思う。
その頃の写真館は、いわゆるバブルだった。
車もテレビもステレオも、父が誰よりも早く購入した。

年に数回ではあったが、大きな町に連れていってもらえる時は、特にワクワクだった。
まだ道も悪くて、車で2時間ほどもかかる町に行き、父が用事をしている間、車の中で待つ。
幼い私は、クラクションを鳴らしてみたい衝動にかられるのを、必死で我慢した。
父が戻って来るのを気にしながら、運転席に移り、そうっとハンドルを握ってみたこともあった。

計画性のない父だった。
用事が終わって帰る頃には、日が沈んでしまう事もあった。
ある日、とっぷりと暮れてしまった山道を、自宅に向かって車を走らせていた父が、街灯もない山道の途中で、急に車を停めた。
「なんじゃろう。おしっこかな?」
いぶかる私。

「つる、そとにでてみんさい」。
父に促されて、私は、暗闇を恐れながらも、おそるおそる車を降りた。

あ・・・・

私たちの周りには、夥しい数の蛍が舞っていた。
足元さえ見えない暗闇の中、まるで宇宙の中に立っているようだった。
聞こえて来るのは、カエルの声だけだった。

何を思ったか、父が、車の座席に敷いていた小さな座布団を取り出して、空に向かって放りあげた。
「おとうちゃん、なにしょうるん?」
再び、いぶかる私。

落ちてきた座布団の下に、数匹の蛍がいた。
それほど密集して、蛍が飛んでいたのだ。

記憶にはないが、アイディアマンの父は、何かを利用して、蛍を自宅に持ち帰った。
買ってもらった、今川焼き(私たちは、ふくふくまんじゅうと呼んでいた)の紙袋だったかもしれない。

すっかり遅くなって帰宅した私たちを、母は少し咎めたように記憶している。
しかし、父が居間のあかりを消して、持ち帰った蛍を部屋に放った時に、
母の怒りは収まったはずだ。
幼い弟は寝てしまって、一緒に蛍を見ることはできなかった。

翌朝には死んでしまった蛍を、優しいお姉ちゃんの私は、弟に見せないように、そっと庭の隅に埋めた。



山で育った私の見た蛍の風景は、真っ暗な空と、さらに黒い山のシルエット。
蛍の光で、たまに見える、たんぼの稲。


ひとつき以上ぶりの絵は、記憶だけで描いた蛍の光景。
昭和30年代に、山の田舎で育ち、このような記憶があることに、感謝。
ちなみに、蛍は、臭いです。
(笑)


文章力が落ちて、うまく書けませんでした。
本を読もう。。。


今日もつつがなく過ぎますように
感謝をこめて
つる姫

私の好きなものは笑顔。笑顔は世界を救うと信じるつる姫のブログです。

コメント一覧

つる姫
ブライトあいさん
蛍の季節ですよね。
お友達の、蛍の幼虫、にも興味があります。

蛍の光は、子供心にもとても神秘的で、不思議なものでした。

田舎で育った事は、宝物だと感じます。
虫を捕まえて、死なせてしまう事に、罪悪感がなかった時期もあります。
それを一概に残酷というのか、どうなんでしょうね。

都心でも人工的に見れる場所もありますが、行ってみたいとはあまりおもわないです。
可能であれば、来年のこの時期は、蛍をみに帰省したいな。

素敵な一日を♪
ブライトあい
たった今、ボルダーの友人のブログを読んだら
「これってもしかしたら蛍の幼虫じゃないかしら」って
写真入りで書かれてた。

で、こちらにお邪魔したら素敵な絵と共に
懐かしい田舎の蛍風景のお話。

夏の蛍狩り、近所の子供たちと竹ぼうきと瓶や虫かごを
もって出かけたものです。
暗闇の中、子供たちが「ほっ、ほっ、ほ~たる来い!
こっちの水はあ~まいぞ!」と声をかけてました。

こういうゆったりと時間の流れる時代を体験出来たことが
何よりもいい思い出となっています。

つる姫さん、また絵を描くゆとりが出来てよかったですね💛
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