見出し画像

早起きは三文の徳

エロ絵皿のナゾを暴いた元御庭番

 江戸時代のエロ本といえば、大胆な描写の春画が有名だが、広まったのは版画技術が確立されてからのようで、吉宗の時代はまだ珍しく「あぶな絵」と呼ばれ、ご禁制だったという。しかし、けさの「暴れん坊将軍」は高級なエロ画を巡るものだった。

 ある男が川で斬死体となって発見された。死体は50センチ四方くらいの木箱を抱いたままだった。中身は女性の裸身を描いた豪華な金の大皿。

 報告を受けた大岡忠助(横内正)も吉宗も驚く。しかもオランダ語が書かれていた。吉宗と忠助は南蛮の国に密輸しているのだろうと推理する。それを一枚盗んだ男が殺され、皿ごと川に落ちたのだった。ひょんなことから表に出た抜け荷事件だが、その裏には一つのサイドストーリーがあった。

 抜け荷をしていたのは上州鬼塚藩の江戸家老と廻船問屋だったが、鬼塚藩は数年前に御家騒動があり、御庭番(吉宗の密偵、忍者)の左源太(三ツ木清隆)と又七郎(高岡健二)が送り込まれたことがある。そのときは、正体がバレ、又七郎は脚を撃たれ倒れるが、左源太に「お前には上様に報告する御庭番としての義務がある」と言って、無理に江戸に走らせる。しかし、死んだと思われていた又七郎は何とか生き延びて江戸に戻って、弥助というりとして負傷した時の命の恩人の孫のおいね(牧口昌代)とともにひっそりと暮らしていた。ところが町で左源太と偶然出会い、声を掛けられる。しかし、彼はバックレる。吉宗に江戸に戻っていたことを報告しなかった後ろめたさからだった。

 吉宗は、おいねから本当の事情を聞くが、

 それを近くの木の陰で聞いていた又七郎にも気付いていた。

 吉宗はおいねに「又七郎は、あの時死んだんだ。今はいない。彼は魚屋の弥助だ」と、又七郎にも聞こえるように言い、彼のわだかまりを解消しようとする。又七郎はその場で土下座した。

 その恩に報いようと、弥助は昔取った杵柄で、廻船問屋に忍び込み、抜け荷の日時と場所を突き止める。

 その知らせを聞いた吉宗は、船着き場で悪者を一掃し、江戸家老を成敗する。弥助とおいねは祝言を上げて、町人として生きていくことになった。

 ちなみにきょうも、御庭番・疾風(菅野玲子)の変装潜入捜査があった。最近多いね。


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る