フラッシャー自転車 マニアの日記

1970年代に一斉風靡したフラッシャー付自転車。現役バリバリのオーナーのちょっとおかしな奮闘日記。

「光自転車」について

2007年07月21日 00時47分49秒 | Weblog


このメーカーを知っている人はかなり通である。ネットでもなかなか同社の歴史を知ることは出来ない。どなたか知っていたらぜひ教えていただきたい。私が知る限りでは松下自転車に吸収されたこと、重い車体ばかりで当時、評判が悪かったということだけ。

運よく26インチダッシュディスクフラッシャー(オイルディスクブレーキ付フラッシャー仕様)の新車を手に入れる事ができた。丸石はじめ私が所有する3台が新車。箱入りのまま保管するほど私はオタクではないので、すべて組立ててボディーカバーをかけ屋内保管している。

さて、このダッシュディスクフラッシャーはご覧のように当時の価格で¥59,500。ユーザー登録ハガキに10円切手を貼れと記載がある。ハガキ10円は1972年(昭和47年)2月1日~1976年1月24日までの約4年間適応されており、この間に生産発売されていたことが伺い知れる。仮に33年前の1974年車だった場合、当時ターゲッターであろう13歳の少年は、今46歳になっている。さらにハガキの職業欄には「農業」の選択項目がある。実に時代を感じる。

今、ハガキは50円の時代。単純換算すると現代での価格は約29.7万円となる。どんなに安く換算しても20万円の価値はあっただろう。高価である。当時、親にねだっても難しかった訳だ。私はこれを昨年、かなり高額で入手した。馬鹿かもしれない。

フラッシャーとあるがこのタイプは光が流れず点滅する実にモダンなスタイル。
シマノのオイルディスクがおごられていたが、長年の劣化で実動不能だった。現役で昭和レトロな自転車に精通する自転車屋に持込んだ。当時の各社オイルディスク用のエア抜き治具を今だに持っている驚くべきこの老舗をもってしても保守パーツがないため圧力がかからず機能回復することはできなかった。涙を飲んでブレーキのみ現代のキャリパタイプにASSY交換したが、これでも注目度は並大抵なものではない。

私には現代の自転車は皆、同じに見える。特に子供たちが乗っている自転車はカゴもないプチマウンテンタイプばかり。かわいそうだなとも思う。すべてとは言わないが...
個性がないから大切にしない。雨ざらし放置。どうしてそこらにポイッと止められるのだろう。街のあちこちに放置された山のような自転車を見ると可哀想でたまらない。

今、私と同じように熱っぽく昭和の自転車に乗る同胞は日本に何人いるのだろうか。そんなことを思いながらいつボディカバーをいつはずそうか、ずらっと並んだ自転車を眺めるのだ。

自転車におけるフロアシフト

2007年07月13日 19時37分02秒 | Weblog
東京は雨続きで撮影がなかなかできない。
開設以降、数人の方だがご覧いただけていることがとても嬉しい。

唐突だが...

「自動車」が大衆化しはじめた頃、ほとんどのシフトレバーはハンドルの左側に着いていた。
やがてフロアシフトに移行しはじめた頃、ちょうど自転車の変速ギアも次々に開発されはじめた。

この新しい自動車のフロアシフトスタイルは、当時の自転車にも反映されていくことになる。
現代の自転車の変速ギアレバーはハンドルグリップ近くについており、ここぞという時に素早くギアチェンジできる。しかしフラッシャー自転車はじめ当時のスポーツ車は、サドル近接前方に位置するため前傾姿勢を少しおこし身体をひねるようにしないとギアチェンジできない。これはかなり無理な姿勢になり、危険性も帯びている。100人いたら98人は扱いにくいと答えるだろう。

このような矛盾要素がフラッシャー自転車には数多く搭載されている。
こんな自転車が、モノが溢れかえっていない30年以上も前、各社が競って世に送りだし売れまくった時代があったのだ。カッコだけではたして機能は薄いのか、そういう部分を真面目に見つめ直してみたい。

カタログをだけを見て、寝むれぬ日々をおくった少年時代を思い出しながら...



ブログ開設! 

2007年07月12日 02時18分02秒 | Weblog
小学生の頃、あこがれだったフラッシャー自転車。(方向指示器付の自転車のこと)

あれから30年近く経過した今、トラウマのごとく愛車で街を走る。
買い物にでかけ愛車に戻ると携帯で写真を撮られ「なつかしいですねぇ」とか、交差点ではクルマに追いかけられることも。

「そうか、俺だけじゃねぇ、同世代の人たちは覚えているんだ」と感激。
組み立て前の新車はバイクの金額に近かったけど、こんなに貴重なものを
1台だけでなく数台入手できた俺は幸せ者かもしれない。

愛車の写真をまじえブログにつづろうと思う今宵であった。