団塊ラジコンおやじは、少年期にUコンをやっていた人が
多いようです。そういう私も、少年時代はラジコンは高嶺の花で
ユビをくわえていました。
その頃はデジカメもなく写真はわずかですが紹介いたします。
自作Uコンとスーパータイガー3
50年前の写真なので、個人情報も関係ないと思い、ぼかしなし。
自作Uコンは無尾翼機。エンジンはOS PET09でした。
何で覚えているのでしょうね。このころはマフラーなしですので
09といえども、けたたましい騒音で飛ばしてましたっけ。
飛行場も学校のグラウンドとか、今ではありえない情況でした。
燃料はメタノール・ひまし油にニトロベンゾール(メタンではありません)を
添加したもの、プラグはニクロム、ヒート用の電池は
鉛蓄電池です。これでも結構遊べましたね。
スーパータイガー3は加藤無線飛行機研究所から発売されている
ラジコンで近所の御兄さんからキットをもらったもの。
確か35クラスのエンジン用でした。でも、中学生が全てをそろえる財力が
あるわけでもなく、結局生地完成くらいまでいたずらして終わりでした。
初めてのラジコンパイロットJR
これは以前にもアップしましたが、初めてのラジコンです。シングルボタン打ちの送受信機の
廉価版がOSよりピキシーとして8,000円くらいで発売されていました。
そのころは27.12MHzでAM変調方式、受信機は超再生と言う組み合わせです。
電波の帯域が広いため、2機同時飛行などありえませんでした。
エンジンはエンヤ09-TVだったと思います。殆ど飛びませんでした。
ちなみに、紙貼りエンビ仕上げです。
絹貼りに挑戦したのが、高一のとき。エサキシルクをドープで貼りました。
そのときの無線機がチミトロン(今はありません)の40.68Mhzのシンクルチャンネルです。
この飛行機は畑で飛ばして、養鶏所の波トタン屋根をぶち抜いて終わり。
エンヤ15だったと思います。それ以外にも、何機か作った記憶がありますが
写真はなしで記憶も、お薄れつつあります。
アストロホッグ
これも、以前にアップしましたっけ。
私の住んでいた、千葉県市川市の国分と言うところに旧練兵場あとに畑になった広大な
敷地を分譲住宅用に開発していた場所で、真間山下の山本ラジコンのおやじが
客を連れてブンブン飛ばしていました。
半世紀前の話だけど、平和な時代があったものですね。
このアストロホッグは有名なラジコン操縦者の若いころですよ・・・・
あのころベコー45と言うエンジンが流行って???(山本ラジコンで)いて
ノーマフラーでガンガン飛ばしてました。少し離れたところに、すでに建った住宅が
あったのですから、たまったものではなかったでしょう。
一度自転車でおまわりさんが来てましたっけ。
習志野自衛隊でアメリカから標的機を仕入れ、日本仕様にグローエンジンに
積み替え、OS12CH(リード式)で飛ばしていたのですから、訳分かりません。
自衛隊員がトラックにのって、何処の許可も取らずに、私営造成地に入りこんで
全長2m以上ありそうな標的機を飛ばしていたのですから・・・信じられます?
50年前の事でも、よく覚えていますが、墜落すると、振動が足に伝わってきました。
これは当時のラジコン技術にも乗ってました。
多いようです。そういう私も、少年時代はラジコンは高嶺の花で
ユビをくわえていました。
その頃はデジカメもなく写真はわずかですが紹介いたします。
自作Uコンとスーパータイガー3
50年前の写真なので、個人情報も関係ないと思い、ぼかしなし。
自作Uコンは無尾翼機。エンジンはOS PET09でした。
何で覚えているのでしょうね。このころはマフラーなしですので
09といえども、けたたましい騒音で飛ばしてましたっけ。
飛行場も学校のグラウンドとか、今ではありえない情況でした。
燃料はメタノール・ひまし油にニトロベンゾール(メタンではありません)を
添加したもの、プラグはニクロム、ヒート用の電池は
鉛蓄電池です。これでも結構遊べましたね。
スーパータイガー3は加藤無線飛行機研究所から発売されている
ラジコンで近所の御兄さんからキットをもらったもの。
確か35クラスのエンジン用でした。でも、中学生が全てをそろえる財力が
あるわけでもなく、結局生地完成くらいまでいたずらして終わりでした。
初めてのラジコンパイロットJR
これは以前にもアップしましたが、初めてのラジコンです。シングルボタン打ちの送受信機の
廉価版がOSよりピキシーとして8,000円くらいで発売されていました。
そのころは27.12MHzでAM変調方式、受信機は超再生と言う組み合わせです。
電波の帯域が広いため、2機同時飛行などありえませんでした。
エンジンはエンヤ09-TVだったと思います。殆ど飛びませんでした。
ちなみに、紙貼りエンビ仕上げです。
絹貼りに挑戦したのが、高一のとき。エサキシルクをドープで貼りました。
そのときの無線機がチミトロン(今はありません)の40.68Mhzのシンクルチャンネルです。
この飛行機は畑で飛ばして、養鶏所の波トタン屋根をぶち抜いて終わり。
エンヤ15だったと思います。それ以外にも、何機か作った記憶がありますが
写真はなしで記憶も、お薄れつつあります。
アストロホッグ
これも、以前にアップしましたっけ。
私の住んでいた、千葉県市川市の国分と言うところに旧練兵場あとに畑になった広大な
敷地を分譲住宅用に開発していた場所で、真間山下の山本ラジコンのおやじが
客を連れてブンブン飛ばしていました。
半世紀前の話だけど、平和な時代があったものですね。
このアストロホッグは有名なラジコン操縦者の若いころですよ・・・・
あのころベコー45と言うエンジンが流行って???(山本ラジコンで)いて
ノーマフラーでガンガン飛ばしてました。少し離れたところに、すでに建った住宅が
あったのですから、たまったものではなかったでしょう。
一度自転車でおまわりさんが来てましたっけ。
習志野自衛隊でアメリカから標的機を仕入れ、日本仕様にグローエンジンに
積み替え、OS12CH(リード式)で飛ばしていたのですから、訳分かりません。
自衛隊員がトラックにのって、何処の許可も取らずに、私営造成地に入りこんで
全長2m以上ありそうな標的機を飛ばしていたのですから・・・信じられます?
50年前の事でも、よく覚えていますが、墜落すると、振動が足に伝わってきました。
これは当時のラジコン技術にも乗ってました。