鳥人間コンテストを見たという感想を書いていたらいつの間にか、私の大好きな渡邊悠太パイロットのことを書き始めて止まらなくなりました。
めちゃめちゃ長文になっています。
もし今年、鳥人間コンテストを見て気になった方は読んでみて下さい。
2019年は滑空機部門の最長記録保持者「大木祥資」さんが出場しなかったことや、天候不順で飛べなかった機体も多かったために滑空機部門についての放送は軽め。
その代わりに人力プロペラ機部門にたっぷり尺が割かれていました。
結果は、2017年に優勝した40km(2017年時のルール上最長距離)の記録保持者、BIRDMAN HOUSE伊賀の渡邊悠太パイロットが、さらに記録を更新して、60kmという2019年のルール設定上最長距離まで到達して優勝しました。
2位が38km。3位が19kmですから、やはりBIRDMAN HOUSE伊賀、渡邊悠太パイロットの記録は際立っています。
渡邊悠太パイロットは、今でこそ「絶対王者」のような風格を見せ、また番組でもそのような扱いですが。
最初は出場経緯の方が注目されていた人物でした。
初出場は2016年。その時の番組が付けた肩書きは「8年間、たった一人で人力プロペラ機を作り続けてきた男」。
学生時代に東京大学の鳥人間サークルに入るも、出場が叶わず。それでも夢を諦められずに就職後も人力プロペラ機を作り続けていたのです。
鳥人間コンテストは、運営上や安全上の面から、出場することはけっこう難しいらしいです。
企画書(機体の設計など)を事前提出して、出場できるかどうかの審査があるそうです。
すでに結果を残しているような強豪チームならば出場しやすいようですが、新規のチームはかなり難しい。そこは最高学府である東大だとしても、出場の壁は高いようです。
在学中に鳥人間コンテストに出場できなかった渡邊悠太パイロットはその後、DMG森精機という1流の工作機械メーカーに就職。やはりそこは東大生。賢い。
F1マシンや航空機のボディの製作も手がけることがある会社だそうで、その技術力は世界トップレベルだとか。
これが鳥人間コンテストのためにという考えがあったのかどうかは、本人のみぞ知るところです。
さてこの伊賀の一流メーカーに就職した渡邊悠太パイロットですが、さすがに新人の趣味でいきなり会社の機械を使わせてもらうことはできなかったと思われます。
新人として会社の仕事はキッチリとこなし。しかし鳥人間コンテストへの情熱は消えることなく、少しずつ自ら環境を整えていきます。
まずは会社で鳥人間サークルを設立。
煽り文句で前述の通り「たった一人で」と宣伝されていますが、サークルは4人から始まったとの情報もあります。おそらく会社のサークルなので名前を借りたり、緩く参加してくれる人が他数名いたのだろうと思われます。
しかし渡邊悠太パイロットは本気です。同時に自転車競技にも打ち込みます。これも会社の自転車部に入ったとの情報もあります。実際、ヒルクライム(山登り)の大会で3回優勝しているようです。
大学生チームだと複数名のメンバーがいるので、パイロットは練習だけに打ち込む場合もあります。渡邊悠太パイロットは、初期は「基本的に一人」なので、機体製作はもちろん、初めからパイロットも自分しかいないと考えていたのでしょう。また、自ら飛びたいという気持ちもあったと思います。
そして会社で、ひたむきに人力プロペラ機を作り続ける渡邊悠太パイロット。次第に協力者も増え、さらには上司から業務後に、機体のパーツを作るために会社の工作機械を使用する許可を貰います。
この上司の人は、2016年にボートに乗ってサポート役をしてましたね。凄い心温まる光景でした。
ちなみに勝手な予想ですが、現在は機体製作はバリバリ業務時間にやっていそうな気がします。
さて、そんな経緯を経て、ついに2016年の鳥人間コンテストに出場が決まりました。
この頃には前述の上司も含めて、製作に関わる仲間も増えてきていたようです。
ところが出場の1ヶ月前。テストフライトで機体が破損。
渡邊悠太パイロットは一度は出場を諦めたそうです。ところが、この頃には「飛びたい」という夢が一人のものではなくなっていました。仲間たちが頑張り、時には徹夜をして機体を修復して、出場することができるようになりました。
初めて琵琶湖のプラットホームに立った渡邊悠太パイロット。感慨深そうな表情をしていました。うずまきナルトが横にいたら「うれしい時には、泣いてもいーんだぜえ!」と声をかけていたと思います。
なお実況の羽鳥アナは、すでに目に涙を浮かべていました。
私は境遇のナレーションとVTRの中盤、「10年20年」がBGMとして流れた頃には号泣していました。
まだ泣かない渡邊悠太パイロット。出場することではなく、あくまで飛ぶことが夢。
そしてついに初フライト。最初こそ不安定な挙動もありましたが、その後は安定した飛行。初出場で17kmのビッグフライトを行いました。
この年の優勝は日本大学理工学部航空研究会で21kmのフライト。BIRDMAN HOUSE伊賀の渡邊悠太パイロットは3位。初出場とは思えない立派な記録です。
着水した後の渡邊悠太パイロットは、素晴らしい記録にも関わらず「自分は情けなかった」と泣いていました。誰もが彼の健闘を心から讃えていたと思いますので、「情けなかった」の真意は本人にしか分かりません。
協力してくれた仲間たちへの思いが極まって、もっと飛びたいと思ったのか。
後の大記録から考えれば、もっと飛べるはずの機体であったいうことだったのか。
この時点では視聴者は「夢が叶って良かった」「これで満足せずにまた出場して欲しい」と、応援してあげたい人が出てきたなという印象でした。
ところが渡邊悠太パイロットは、私たち視聴者の、鳥人間コンテストファンの思いを良い意味で裏切ります。
2017年。
再び渡邊悠太パイロットは琵琶湖のプラットホームに立ちます。
その時に羽鳥アナが読み上げた情報によると「昨年の良い結果を受けて、社長から表彰された。祝賀パーティーも開かれた。会社が一気に応援ムードになり、まあまあの額の補助金も貰った」とのことでした。
羽鳥アナはとても嬉しそうにこの情報を語っていました。
そしてテレビで見ていた視聴者は、番組の流れ的に渡邊悠太パイロットが新記録を出すのではないかと薄々気が付き始めていました。
元々番組の冒頭から新記録が出る旨は予告されていました。そして渡邊悠太パイロットの前に、新記録の最有力と思われていた東北大学WindnautsのOBであり、優勝経験のある宮内空野パイロットがフライトを行なっていました。学生時代も越えられなかった自分の限界を越えたいとのことで、社会人チームROKKO WORKSを結成しての鳥人間コンテストへの参戦。宮内空野パイロットは、30kmを越える好記録。自身の2006年の優勝時の記録を越えていました。しかし2008年に東北大学Windnautsの後輩たちが出した、その時のルール上の最長記録、そして2016年までは番組最長記録でもあった36kmは越えていません。
なので散々番組の予告で流していた「新記録」を出す可能性がある有力チームは、この時点ではBIRDMAN HOUSE伊賀か、2016年の優勝チーム日本大学理工学部航空研究会の2チームだけでした。
テレビの画面上からは、昨年とは違う渡邊悠太パイロットの落ち着きが伝わってきます。さらに素人目にも分かる機体の美しさ!チームメンバーが機体の汚れやホコリを払っているのですが、機体が滑らかで歪みがないためか、拭いている人が鏡のように機体に写っています。
ただごとではありません。
ただ、それだけ期待されていても、呆気なく離陸直後に落ちることもある鳥人間コンテスト。
そうならないかドキドキしながら見つめていました。
するとなんと、全く危なげない、全くブレない安定した離陸、飛び立ちです。
ホッとすると、なんとフライト序盤が編集されて、いきなり折り返し目前が映し出されました。驚愕です。普通はその十数キロを飛ぶためのドラマが映し出される訳ですから。
これはただごとではないと誰もが気がつき始めます。
途中、渡邊悠太パイロットの乗る人力プロペラ機は、上手い具合に飛べるので高度が上がりすぎてプロペラを回す=ペダルを漕ぐことを休む場面までありました。プロペラが回らなくなったのでトラブルかと思い、リポーターや羽鳥アナは焦っていましたが、渡邊悠太パイロットやサポートメンバーは余裕の表情。
そして20km地点を折り返します。
この折り返しも、人力で動かしている機体を180度ターンさせるので通常はとても大変なことです。
折り返しをしようとして失敗して、体力を消耗して落ちるということもよく見受けられます。
ところがアッサリ折り返しを完了する渡邊悠太パイロット。
そしてスタート地点へと戻る途中、なんと鳥たちが渡邊悠太パイロットの機体と併走?一緒に飛ぶ場面までありました。
もう誰もが確信します。
この人は新記録を出すと。
そして36kmを越えて、さらには2009年のルール改正から誰も辿り着くことのなかった、限界距離の40km。すなわちスタート地点へとたどり着きます。
指定地点の水域に無事着水。
人力プロペラ機部門の絶対王者誕生の瞬間でした。
2018年は最長60kmにルール改正されましたが、台風の接近により競技は中止。
そして今年2019年。
またまたルール上の最長記録60kmを達成してしまうのです。
機体の美しさ。圧倒的なフライトの安定性は放送で見られる通りです。
そのあまりのレベルの高さから、DMG森精機という会社の凄さ、技術力を感じます。会社員が一人で始めたサークル活動だったはずのBIRDMAN HOUSE伊賀は、今は企業チームになったように感じられました。
それ故か、ネット上では学生チームと社会人チームは分けた方が良いのではないかという意見も見受けられました。とはいえ今も学生記録という分類もありますし、運営上それでジャンル分けすることも難しいように思います。
そもそもBIRDMAN HOUSE伊賀が出てくるまでは、人力プロペラ機部門は学生チームが有利と言われていました。人力プロペラ機はずっとペダルを漕いでいるので、体力のある若い学生の方が有利。実際に2016年以前は優勝チームは学生チームばかりです。
今のところBIRDMAN HOUSE伊賀だけが飛び抜けているという状態です。
たった一人で人力プロペラ機を作り続けていた男が、今やルールについて考えさせるまでになっている。とんでもないことです。
一ファンとしては、渡邊悠太パイロットの益々の活躍と、すべての参加者及び視聴者(ファン)が楽しんでいけるように、良い方向に続けていってもらいたいです。
そしてなによりも。
今年も感動をありがとう!!!
めちゃめちゃ長文になっています。
もし今年、鳥人間コンテストを見て気になった方は読んでみて下さい。
2019年は滑空機部門の最長記録保持者「大木祥資」さんが出場しなかったことや、天候不順で飛べなかった機体も多かったために滑空機部門についての放送は軽め。
その代わりに人力プロペラ機部門にたっぷり尺が割かれていました。
結果は、2017年に優勝した40km(2017年時のルール上最長距離)の記録保持者、BIRDMAN HOUSE伊賀の渡邊悠太パイロットが、さらに記録を更新して、60kmという2019年のルール設定上最長距離まで到達して優勝しました。
2位が38km。3位が19kmですから、やはりBIRDMAN HOUSE伊賀、渡邊悠太パイロットの記録は際立っています。
渡邊悠太パイロットは、今でこそ「絶対王者」のような風格を見せ、また番組でもそのような扱いですが。
最初は出場経緯の方が注目されていた人物でした。
初出場は2016年。その時の番組が付けた肩書きは「8年間、たった一人で人力プロペラ機を作り続けてきた男」。
学生時代に東京大学の鳥人間サークルに入るも、出場が叶わず。それでも夢を諦められずに就職後も人力プロペラ機を作り続けていたのです。
鳥人間コンテストは、運営上や安全上の面から、出場することはけっこう難しいらしいです。
企画書(機体の設計など)を事前提出して、出場できるかどうかの審査があるそうです。
すでに結果を残しているような強豪チームならば出場しやすいようですが、新規のチームはかなり難しい。そこは最高学府である東大だとしても、出場の壁は高いようです。
在学中に鳥人間コンテストに出場できなかった渡邊悠太パイロットはその後、DMG森精機という1流の工作機械メーカーに就職。やはりそこは東大生。賢い。
F1マシンや航空機のボディの製作も手がけることがある会社だそうで、その技術力は世界トップレベルだとか。
これが鳥人間コンテストのためにという考えがあったのかどうかは、本人のみぞ知るところです。
さてこの伊賀の一流メーカーに就職した渡邊悠太パイロットですが、さすがに新人の趣味でいきなり会社の機械を使わせてもらうことはできなかったと思われます。
新人として会社の仕事はキッチリとこなし。しかし鳥人間コンテストへの情熱は消えることなく、少しずつ自ら環境を整えていきます。
まずは会社で鳥人間サークルを設立。
煽り文句で前述の通り「たった一人で」と宣伝されていますが、サークルは4人から始まったとの情報もあります。おそらく会社のサークルなので名前を借りたり、緩く参加してくれる人が他数名いたのだろうと思われます。
しかし渡邊悠太パイロットは本気です。同時に自転車競技にも打ち込みます。これも会社の自転車部に入ったとの情報もあります。実際、ヒルクライム(山登り)の大会で3回優勝しているようです。
大学生チームだと複数名のメンバーがいるので、パイロットは練習だけに打ち込む場合もあります。渡邊悠太パイロットは、初期は「基本的に一人」なので、機体製作はもちろん、初めからパイロットも自分しかいないと考えていたのでしょう。また、自ら飛びたいという気持ちもあったと思います。
そして会社で、ひたむきに人力プロペラ機を作り続ける渡邊悠太パイロット。次第に協力者も増え、さらには上司から業務後に、機体のパーツを作るために会社の工作機械を使用する許可を貰います。
この上司の人は、2016年にボートに乗ってサポート役をしてましたね。凄い心温まる光景でした。
ちなみに勝手な予想ですが、現在は機体製作はバリバリ業務時間にやっていそうな気がします。
さて、そんな経緯を経て、ついに2016年の鳥人間コンテストに出場が決まりました。
この頃には前述の上司も含めて、製作に関わる仲間も増えてきていたようです。
ところが出場の1ヶ月前。テストフライトで機体が破損。
渡邊悠太パイロットは一度は出場を諦めたそうです。ところが、この頃には「飛びたい」という夢が一人のものではなくなっていました。仲間たちが頑張り、時には徹夜をして機体を修復して、出場することができるようになりました。
初めて琵琶湖のプラットホームに立った渡邊悠太パイロット。感慨深そうな表情をしていました。うずまきナルトが横にいたら「うれしい時には、泣いてもいーんだぜえ!」と声をかけていたと思います。
なお実況の羽鳥アナは、すでに目に涙を浮かべていました。
私は境遇のナレーションとVTRの中盤、「10年20年」がBGMとして流れた頃には号泣していました。
まだ泣かない渡邊悠太パイロット。出場することではなく、あくまで飛ぶことが夢。
そしてついに初フライト。最初こそ不安定な挙動もありましたが、その後は安定した飛行。初出場で17kmのビッグフライトを行いました。
この年の優勝は日本大学理工学部航空研究会で21kmのフライト。BIRDMAN HOUSE伊賀の渡邊悠太パイロットは3位。初出場とは思えない立派な記録です。
着水した後の渡邊悠太パイロットは、素晴らしい記録にも関わらず「自分は情けなかった」と泣いていました。誰もが彼の健闘を心から讃えていたと思いますので、「情けなかった」の真意は本人にしか分かりません。
協力してくれた仲間たちへの思いが極まって、もっと飛びたいと思ったのか。
後の大記録から考えれば、もっと飛べるはずの機体であったいうことだったのか。
この時点では視聴者は「夢が叶って良かった」「これで満足せずにまた出場して欲しい」と、応援してあげたい人が出てきたなという印象でした。
ところが渡邊悠太パイロットは、私たち視聴者の、鳥人間コンテストファンの思いを良い意味で裏切ります。
2017年。
再び渡邊悠太パイロットは琵琶湖のプラットホームに立ちます。
その時に羽鳥アナが読み上げた情報によると「昨年の良い結果を受けて、社長から表彰された。祝賀パーティーも開かれた。会社が一気に応援ムードになり、まあまあの額の補助金も貰った」とのことでした。
羽鳥アナはとても嬉しそうにこの情報を語っていました。
そしてテレビで見ていた視聴者は、番組の流れ的に渡邊悠太パイロットが新記録を出すのではないかと薄々気が付き始めていました。
元々番組の冒頭から新記録が出る旨は予告されていました。そして渡邊悠太パイロットの前に、新記録の最有力と思われていた東北大学WindnautsのOBであり、優勝経験のある宮内空野パイロットがフライトを行なっていました。学生時代も越えられなかった自分の限界を越えたいとのことで、社会人チームROKKO WORKSを結成しての鳥人間コンテストへの参戦。宮内空野パイロットは、30kmを越える好記録。自身の2006年の優勝時の記録を越えていました。しかし2008年に東北大学Windnautsの後輩たちが出した、その時のルール上の最長記録、そして2016年までは番組最長記録でもあった36kmは越えていません。
なので散々番組の予告で流していた「新記録」を出す可能性がある有力チームは、この時点ではBIRDMAN HOUSE伊賀か、2016年の優勝チーム日本大学理工学部航空研究会の2チームだけでした。
テレビの画面上からは、昨年とは違う渡邊悠太パイロットの落ち着きが伝わってきます。さらに素人目にも分かる機体の美しさ!チームメンバーが機体の汚れやホコリを払っているのですが、機体が滑らかで歪みがないためか、拭いている人が鏡のように機体に写っています。
ただごとではありません。
ただ、それだけ期待されていても、呆気なく離陸直後に落ちることもある鳥人間コンテスト。
そうならないかドキドキしながら見つめていました。
するとなんと、全く危なげない、全くブレない安定した離陸、飛び立ちです。
ホッとすると、なんとフライト序盤が編集されて、いきなり折り返し目前が映し出されました。驚愕です。普通はその十数キロを飛ぶためのドラマが映し出される訳ですから。
これはただごとではないと誰もが気がつき始めます。
途中、渡邊悠太パイロットの乗る人力プロペラ機は、上手い具合に飛べるので高度が上がりすぎてプロペラを回す=ペダルを漕ぐことを休む場面までありました。プロペラが回らなくなったのでトラブルかと思い、リポーターや羽鳥アナは焦っていましたが、渡邊悠太パイロットやサポートメンバーは余裕の表情。
そして20km地点を折り返します。
この折り返しも、人力で動かしている機体を180度ターンさせるので通常はとても大変なことです。
折り返しをしようとして失敗して、体力を消耗して落ちるということもよく見受けられます。
ところがアッサリ折り返しを完了する渡邊悠太パイロット。
そしてスタート地点へと戻る途中、なんと鳥たちが渡邊悠太パイロットの機体と併走?一緒に飛ぶ場面までありました。
もう誰もが確信します。
この人は新記録を出すと。
そして36kmを越えて、さらには2009年のルール改正から誰も辿り着くことのなかった、限界距離の40km。すなわちスタート地点へとたどり着きます。
指定地点の水域に無事着水。
人力プロペラ機部門の絶対王者誕生の瞬間でした。
2018年は最長60kmにルール改正されましたが、台風の接近により競技は中止。
そして今年2019年。
またまたルール上の最長記録60kmを達成してしまうのです。
機体の美しさ。圧倒的なフライトの安定性は放送で見られる通りです。
そのあまりのレベルの高さから、DMG森精機という会社の凄さ、技術力を感じます。会社員が一人で始めたサークル活動だったはずのBIRDMAN HOUSE伊賀は、今は企業チームになったように感じられました。
それ故か、ネット上では学生チームと社会人チームは分けた方が良いのではないかという意見も見受けられました。とはいえ今も学生記録という分類もありますし、運営上それでジャンル分けすることも難しいように思います。
そもそもBIRDMAN HOUSE伊賀が出てくるまでは、人力プロペラ機部門は学生チームが有利と言われていました。人力プロペラ機はずっとペダルを漕いでいるので、体力のある若い学生の方が有利。実際に2016年以前は優勝チームは学生チームばかりです。
今のところBIRDMAN HOUSE伊賀だけが飛び抜けているという状態です。
たった一人で人力プロペラ機を作り続けていた男が、今やルールについて考えさせるまでになっている。とんでもないことです。
一ファンとしては、渡邊悠太パイロットの益々の活躍と、すべての参加者及び視聴者(ファン)が楽しんでいけるように、良い方向に続けていってもらいたいです。
そしてなによりも。
今年も感動をありがとう!!!