みかん半分が、淹れたてのコーヒーカップの中にダイブして、みかんコーヒーとコーヒーみかんができた。
両方とも飲まなかったし食べなかったけど。
どこまでええかっこしいなのかわからないが、家に帰ってゆっくりしていると途端にもう無視できない花粉症の症状に襲われる。
気を張っているときは出づらいというが、寝かせてもらえないのが辛い。
目の周りというか顔全体が痒いし、粘膜全体が荒れている感じがする。
そのうち眼球が腫れぼったくなってコンタクトが入らなくなる。
寒が戻るということに、あろうことか安心している自分がいる。
展覧会の原稿を先生に見せる。
私がこの教室に入るときに、今思えばブルーハーツのライブをYouTubeで初めて見た夜のように、半切に漢詩を書く姿を見て一瞬で固まってしまった、その先生が見てくれる。
私の原稿を見て、ダメだしと作品の創り方をアドバイスしてくれる。
結局、谷川俊太郎の「五行」を書くことに決めた。
1作品(45×240cmを3枚)書き上げるのに、約2時間。
字が細かいので墨は乾きやすく、座って書けるので腰にも負担が少ない。
家でも何とか、巻物みたいにたたみながら書くことはできる。
「小雅」という筆は細い線が書きやすく、かつ渇線も出しやすい。
筆を赴くままに遊ばせる、という自由さはないが素人向きでとても扱いやすい。
ここから、今書いただけの原稿を一度やり過ぎまで壊す。
そしてぎりぎりのバランスを探る。
・・・というところまで書き込めたらいい、とは思っている。
産みの苦しみとはよく言ったものだが、それはそのあとの成果物の喜びあってこそだ。
中途半端にやっていると産みの苦しみのみが残ってしまう。
創作って楽しい、と心から言いたい。
今回はお手本があるわけではないから、なかなか先生のパフォーマンスをしてもらうことはできない。
私は先生が自分の作品を創作しているのを見られるのであれば、お金を払ってでも見たいと思う。
ときどきしたくなるないものねだり。
もう既にないから、今それを言っても絶対叶わない絶対の安心感に乗っかって、それを欲しがっているだけだ。
今なら声高々に、それが欲しいと言える。
そう、ずるいのだ。
両方とも飲まなかったし食べなかったけど。
どこまでええかっこしいなのかわからないが、家に帰ってゆっくりしていると途端にもう無視できない花粉症の症状に襲われる。
気を張っているときは出づらいというが、寝かせてもらえないのが辛い。
目の周りというか顔全体が痒いし、粘膜全体が荒れている感じがする。
そのうち眼球が腫れぼったくなってコンタクトが入らなくなる。
寒が戻るということに、あろうことか安心している自分がいる。
展覧会の原稿を先生に見せる。
私がこの教室に入るときに、今思えばブルーハーツのライブをYouTubeで初めて見た夜のように、半切に漢詩を書く姿を見て一瞬で固まってしまった、その先生が見てくれる。
私の原稿を見て、ダメだしと作品の創り方をアドバイスしてくれる。
結局、谷川俊太郎の「五行」を書くことに決めた。
1作品(45×240cmを3枚)書き上げるのに、約2時間。
字が細かいので墨は乾きやすく、座って書けるので腰にも負担が少ない。
家でも何とか、巻物みたいにたたみながら書くことはできる。
「小雅」という筆は細い線が書きやすく、かつ渇線も出しやすい。
筆を赴くままに遊ばせる、という自由さはないが素人向きでとても扱いやすい。
ここから、今書いただけの原稿を一度やり過ぎまで壊す。
そしてぎりぎりのバランスを探る。
・・・というところまで書き込めたらいい、とは思っている。
産みの苦しみとはよく言ったものだが、それはそのあとの成果物の喜びあってこそだ。
中途半端にやっていると産みの苦しみのみが残ってしまう。
創作って楽しい、と心から言いたい。
今回はお手本があるわけではないから、なかなか先生のパフォーマンスをしてもらうことはできない。
私は先生が自分の作品を創作しているのを見られるのであれば、お金を払ってでも見たいと思う。
ときどきしたくなるないものねだり。
もう既にないから、今それを言っても絶対叶わない絶対の安心感に乗っかって、それを欲しがっているだけだ。
今なら声高々に、それが欲しいと言える。
そう、ずるいのだ。
