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【雑学】高田とつく市はいくつある?

2004年06月16日 08時56分56秒 | 塾長の日記
小生、大和高田市に近隣する香芝市に住んでおります。昔、地理で学習したときは新潟県高田市と大和高田市の2つしか知りませんでした。答えは最下段にあります。ロータリークラブ名では記憶通り、現在、新潟県に高田、奈良に大和高田ロータリークラブと2クラブです。

■残念ながら(何が残念なんだ?!)、「高田市」は今はもう存在しません。かつて新潟県には高田藩15万石の城下町であった「高田市」がありましたが、1971年4月29日に「直江津市」と合併して「上越市」となったために、今では「高田市」はなくなりました。

ところが、全国には「高田市」が存在するのです。岩手県の「陸前高田市」、奈良県の「大和高田市」、大分県の「豊後高田市」です。「陸前高田市」は1955年1月1日、「大和高田市」は1948年1月1日、「豊後高田市」は1954年5月31日にそれぞれ市制を施行しています。新潟県の「高田市」が市制を施行したのは明治44年(1911年)9月1日と古く、このため後発の三市は同一市名を避けるために旧国名を「高田」の上に冠することになりました。

ところで、2004年3月1日に広島県に「安芸高田市」が誕生しました。すでに「高田市」が存在しないため同名回避ではありませんが、先行する「陸前高田市」「大和高田市」「豊後高田市」への遠慮が働いたのかもしれません。

●同じような例として、既に消滅した福岡県の「八幡市」との同名回避例である「近江八幡市」に対して、1977年11月1日に京都府に誕生した「八幡市」の場合はそのまま八幡市を名乗りました。もっとも、近江八幡市(おうみはちまんし)と八幡市(やわたし)では読みが違うので、その分遠慮がなかったのかもしれません。

●町や村が昇格して市となる場合や合併などで市の名前を変更する場合に、同名の市がすでに存在する場合には混乱を避けるために、後発の市は名称を変更して届け出るのが通例となっています(昭和45年3月の自治事務次官通知によって同名の市とならないよう配慮が求められている)。これは書いた場合に同一であってはいけないのであって、読みが違っていてもダメです。また、読みが同じでも書き方が違えば問題ありません。

■最後に4市の概要は次の通り
●安芸高田市 あきたかたし 広島県中央部の田園都市。南は広島市、東は三次市、北は島根県に接する。標高400~900mの中国山地の山々にかこまれ、江の川上流の可愛川(えのかわ)が市の南部と北東の市境をながれる。南部八千代町の上根峠(かみねだお)と向原町(むかいはらちょう)の中心部に瀬戸内海と日本海の分水界がある。2004年(平成16)3月1日、吉田町、八千代町、美土里町、高宮町、甲田町、向原町の高田郡内全6町が合併して成立。面積は538.17km²(一部境界未定)。人口は3万4823人(2002年3月時点の合計)。

●陸前高田市 りくぜんたかたし 岩手県南部にある都市。市街地は三陸海岸の広田湾奥にあり、陸中海岸国立公園の南端に位置する漁業の町である。1955年(昭和30)高田町、気仙町、広田町、小友村(おともむら)、米崎村、矢作村(やはぎむら)、竹駒村、横田村の3町5村が合併して市制施行。面積は232.27km²。人口は2万6526人(2002年)。

●豊後高田市 ぶんごたかだし 大分県北部の田園都市。国東半島北西部を占め、周防灘にのぞむ。1951年(昭和26)高田町、草地村、河内村、西都甲村(にしとごうむら)、東都甲村の1町4村が合併し、54年に呉崎村を編入して豊後高田町に名称変更。さらに同年、田染村(たしぶむら)を編入して市制施行した。55年に封戸村(ふべむら)の一部を編入。面積は124.57km²。人口は1万8538人(2002年)。
ただし、平成17年にはさらに市町村合併がある。市名の変更あるか不明?

●大和高田市 やまとたかだし 奈良県北西部の商工業都市。奈良盆地の西部に位置し、平坦な市域の各所で宅地化がすすみ、人口増加がつづいている。1948年(昭和23)市制施行。56年に陵西村(おかにしむら)、57年に天満村(てんまむら)を編入した。面積は16.48km²。人口は7万4824人(2002年)。

▼使用画像はマイクロソフト社クリップアートを編集

答えは・・・4市

市町村雑学

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