私の家の神棚には、赤い顔をした酔っ払いのような福助がある。
数回、収めようとするたびに祖母のことが偲ばれて収められないで
半世紀以上過ぎた。
子供心に、妹のそれは顔が白く、なんで私のは白くないのか・・と
いつも思って不満だった。
その下の妹の時は、市松人形のように手足も動き、お腹を押すと音
が出て、座ることもできた人形だったような・・。男の子のような
人形だったように思う。
遊ばれたので壊れるのも早く無くなってしまったのだと思う。
福助と遊ぶわけにはいかない。
しかし、年月が過ぎ、いろいろと人の生き死に出会ってみて、私が
生まれた時のことをイメージしてみた。
父方の祖母は、父が末っ子にも関わらず、父に老後の面倒を見て欲しい
と願ったという。
まあ、母も優しい人間なのでそういうことに異存はなかったと見える。
その大好きな息子に子供が生まれたのだから祖母は喜んだはずである。
父のそれまでの苦労を思うと丈夫な子供に育って欲しかったに違いない
のだ。
それで色白の福助をやめて健康そうな、酔っぱらいのような福助が
私のお雛様ということになったのだろう。
あくまでも空想である。
そんなことを思うとき、必ず初節句にはエピソードがつきものの
ような気がする。
私は、Mちゃんは、内孫ということになるし、うちにあるお雛様で
いいのではと思い、早めにお雛様を出しておいた。
しかし、私が半世紀以上も生きてきて、福助を思い、しみじみできるのは
何もないよりは豊かになれるのである。
「これはMちゃんのお雛様」と言って私が生きているうちはMちゃんを
思い、飾ってあげたいと思っている。
それで先日、三越で娘とお雛様を見たときに、二人で「うわ~可愛い」
とつぶやいた太ったお雛様に後ろ髪を引かれる思いで帰ってきた。
そして即、娘にお願いしようと決断、購入して貰ったというわけである。
なぜその場で決めなかったかの理由は、夫がいたからである。
夫のマイペースには、心を穏やかにしてお雛様に向き合えない(笑)
からである。
祖父母揃って孫のためにと仲良くお雛様を選べない
ところが未熟者の私の家らしさである。
「おれはそういうことしてもらったことがないから・・」と。
「お雛様は無理でしょう?男なんだから」に笑い合って
終わりである。

小さく太っているのがいい。
江戸時代からの御所人形というと男の子が裸で「きんたろうの腹巻」
のようなものをしているのが多いが、時代とともに、いろいろ
きれいな着物を着せるようになってきたのかもしれない。
それと女性の力もUPしてきたので女の御所人形の出現か?
わずか高さ、15センチ未満で横の方が長い感じの御所人形である。