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a green hand

はじまりのみち

先日、明石の友からWOWOWから録画したという「はじまりのみち」というDVDが送られてきた。

木下恵介の自叙伝である。
時代は、昭和20年、木下恵介が自分の作りたい映画ができないことから、監督をやめると松竹に辞表を出したところから始まる物語だ。
その映画の題名は「陸軍」

[はじまりのみち」であるが、脳溢血で倒れ体の不自由な母親〈田中裕子)を兄弟と一人の荷車引きの3人で長い距離をリヤカーに載せて疎開先まで運ぶ道すがらのストーリーである。
弟、木下恵介〈加瀬亮)兄、敏三が〈ユースケ・サンタマリア)便利屋〈濱田岳)の4人が主たる役である。


木下恵介というと私にはTVドラマの「木下恵介劇場」のイメージだけだ。

「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」も「喜びも悲しみも幾年月」も木下恵介だったのか・・と。

映画を観ても監督が誰かとまで気が回らない年齢の時に見たものである。

「喜びも悲しみも幾年月」は父が娯楽好きだったのだろう。
町の小さな映画館まででかけ、家族みんなで見た記憶が蘇ってくる。



木下恵介の「陸軍」という映画の最後のシーンにクレームがついた。

ラストシーン、陸軍で我が息子が大勢で行進し出征する場面である。
息子の行進を追いかけるように人垣をかき分けてかき分けしながら一緒に進む母親の姿に監督の思いが重くのしかかる。

その場面が延々と続く。


「誰も喜んで戦地に息子をやる母親などいない」

その時代、不謹慎な言葉を隠した、母の真の心が表現されていて見る者の涙をさそう。
この場面は木下恵介が作った「陸軍」の映画の最後の場面がそのまま使われているという。

昔の女優の心の動きの表現は、きっと現在の者にはできないに違いにない。
それは時代が育むものだなとつくづく思う。


私はこういう母の愛を扱ったものには、涙がどこから来るのだろうという具合に流れてくる。
悲しいこと、哀れなこと、可哀想なことには涙がでないのだが・・・。

あちこちで見かける濱田岳の演技に今回始めて役者の名前を知ることとなった。


「木下恵介劇場」だが、私はこのTVを見なかったなら今の私がいないような気がする。
つくづくこのご縁が不思議である。

将来の進路を決めたきっかけとなったのが「木下恵介劇場」なのだ。

詳しくは覚えていないが養護施設の子供達とその先生を扱ったドラマであった。

先生役に感動したに違いない。
誰が演じていたのだろうと今になると気になる。
想い出した。
馬渕晴子だ。

私は「そういう子供たちの役に立ちたい」がスタートだった。
中学生の頃の私である。

昭和20年、木下恵介が松竹に辞表をだしたままであったなら、そして、この「はじまりのみち」が無かったなら、私の人生もまた違っていたと思えるのだ。

残念ながら施設に勤めることは家庭の事情が許さず、幼児教育の道になってしまったが・・。
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