私色のシンプル感謝道(みち)!

『ありがとう』を忘れなければ、
寄り道・回り道もきっといい思い出になるはず。。
臆することなく人生を楽しみたい♪

本屋さんで・・・

2009-07-18 01:41:11 | Weblog

昨日いつもと違う本屋さんに行った。
慣れてないので勝手がわからずウロウロ・・・


たまにはこういうのも良いかも。
いつも行く本屋さんでは行くコーナーが決まって
いるので、似たような本しか目につかない。


目新しい本が沢山見つかった。
その中で、ある本の帯に書いてある文章に目が
釘づけに・・・


『素直で正直、器が大きなアホであれ!』


おぉぉぉぉ~~ これこそ私の理想像


・・・というわけで、中身をパラパラとチェックし始めたその時
『蛍の光』の音楽が・・・営業時間終了


結局中身をチェックする時間が足りず泣く泣く帰路につく羽目に。
タイトルと著者の名前だけをしっかり頭に叩き込んで後で調べよう~♪


帰宅してPCを立ち上げて早速検索開始~=3
と思いきや、『あれ!?』タイトルなんだったっけ?
著者は?? 見事に頭の中から消えうせていました


『あほ』 『器』 など思いつく限りの単語で検索したけど
なかなか見つからず諦めかけたその時、ヒットしたあるブログ
にその本の感想が書いてありました~(ヤットミツケタ~♪)


『アホは神の望み』 著者:村上和雄


なんでも、『バイオテクノロジーの世界的権威・村上和雄教授が、
神様に好かれる「アホ」な生き方を提言します。』ですと


早速明日購入しようと思います~!
また読み終わったら感想など日記に書きたいと思います♪








自分で選択するということ!

2009-07-17 14:49:31 | Weblog



Unknown (伊勢白山道リーマン) 2009-07-17 13:44:39

憑依されたかも知れません。 (今回も匿名です。)
2009-07-16 23:21:56 さんへのコメント

・・・今、憑依されていなければ良いのか?
これからはどうか?
つまり、3本供養をしていけば良いです。
後は自分のストレスに負ける弱さです。
霊的な事は、感謝の先祖供養で十分であり、
あとは現実界での努力次第ですよ。


ごもっとも!
おっしゃるとおりでございます~!


けど、人間って心配事が尽きない生き物ですよね~


じゃあ、どうすればいいんだ~!?


そういう時は不安に自分の意識を合わせると、それを
助長するような不安な波動を持つ人やら出来事、もちろん
私達の目には見えない存在をも余計に自分が引き寄せて
しまう結果になってしまっているような・・・
だからその不安の原因は自己責任のような気がします


その意識を少しでも意図的に切断して、良い方向に持って
いけるのが『生かしていただいてありがとうございます』
の最強の祝詞なのかな。。。


私は『感謝想起』と『線香供養』を基本に自分の
人生をやりなおす事をを選択しました。
不安や恐怖の種は私の周りのあらゆるとこ
ろに存在しています。
それにいちいち反応するのはしんどいし、面倒です。


この考えを基本に不安や恐怖を感じたときは
『感謝想起』に徹する事にしています。
不安の気持ちが強いときははじめはただの口先だけです。
何度も『生かしていただいてありがとうございます』
を繰り返していくうちに不安よりありがとうが強くなって
きます。この方法は私にとっては今までで最も実践力のある
有効な方法です。


覚悟を決めて何かを選択する事を決めた人間の心は
強いような気がします。
不安でゆらゆら揺れている自分を感じたとき、自分自身で
選択したものがあるかどうか問うてみるといいかもしれません。


自分で選んだ道ならば、人に相談せずとも自分でまたあらたな
選択をして進んでいけるような気がしてます。
それを積み重ねていく事がオリジナルであり、ゆるぎない自分を
手に入れる方法なのかな~なんて思う今日この頃



基本は『今』

2009-07-16 11:11:50 | Weblog



随分昔、あるマラソン選手のお話を何かで読んだことが
ありました。その選手がどうやって完走するまでの
体力や精神力を保っているのかについて書いていました。


42.195キロを走破する途中辛くなり、走るのをやめたくなる
時もあります。そんな時、次の電柱まで我慢して走ろう。
せめて次の電柱まで・・・そう思いながらそこまで頑張って
走る事ができた時、もう一つ先の電柱までならまだ走れそうだ
と思い、また次の電柱まで走ります。
これを何度も繰り返しているうちに完走しているのだそうです。


彼が完走する秘訣は身近なところに一時的な目標を置いて
とりあえずそこまで到達する事だけを考えて走りました。
そして、目標の電柱に到達した時やっと次の電柱の存在が
はっきり見えてきます。はじめからゴールばかりに拘り
過ぎて、残された長い道のりを想像していたら、気が遠くなって
途中で断念していたかもしれません。ゴールに気をとられて
足元に注意がいかなくなって転倒する事だってあるかも
しれません。


彼はゴールを意識しないで電柱の事ばかりを考えて
走っていたわけではないと思います。
それぞれの電柱の延長上にゴールを見ながら走って
いたのだと思います。


私達の登山もそんなものではないでしょうか・・・


魂のゴールなど無いのかもしれません。
ゴールだと思うとまたそこがスタート。
それの繰り返しなのかもしれないな~。と思います。


想像してみたところで限りがあります。自分の思い描く
限りの先の先を思い描いてそれを目標にする事はもちろん
素晴らしいと思いますが、拘りすぎたり、そこに執着したり
すると目の前のことがおろそかになるような気がします。


リーマンさんの示してくださっている内在神というものも
終着点ではなく、もしかしたら通過点でしかないのかも
しれません。その先の事は実際そこに到達してみないと
わからないような気がします。
それを知りたいのなら、まずはそこまでたどり着いて
自分の目で確かめることかな~なんて思います。


ゴールばかりに気をとられながら進むより、
たんたんと・・・『今』を大切にする一歩一歩の積み重ねが
気づいたら思いのほか遠くまで来ているのかもしれません。


私の基本はやはり『今』を大切に生きる事です

すでにあるもの。

2009-07-15 02:17:17 | Weblog



きっと私達のDNAには太古から今に至るまでの
全ての要素が凝縮されているのだと思います。
長い歴史の中では良い事も悪い事も色々あったと
思います。それらの全ての結果が『今』です。


内在神(原点)に戻るというのは、その自分の中に
凝縮されているエッセンスを思い出すという事
なのかもしれません。


すでに自分の中にあるもの。
当たり前になりすぎて忘れてしまっているもの。
それらのものを少しずつでも思い出して長い歴史の
中での先人達の多くの努力と犠牲の上に成り立っている
今の自分達の生活を正しく見ることができるようになれば、
あらゆる存在に嫌でも感謝し、思いやりを持たずには
いられなくなるような気もします。


そして、その思いこそがきっと自然環境が破壊され、
人間の争いばかりの世の中の方向性を光へ導いて
くれるのだと信じたいです。


すでにあるものを思い出す鍵が『線香供養』と『感謝想起』
なのだと思うのです。そして、そこまでたどり着いた私達が
目にするものは・・・。


そこまでたどり着いて初めてそのまた向こうの風景が見えるの
だと思います。


その時何が見えるのか・・・それはその時の楽しみに取って
おきたいと思います






急がば回れ!

2009-07-12 02:32:32 | Weblog


再々登場している最近線香供養をしている友人から
電話がありました。


線香供養を初めてしばらくは寝込んで大変だった彼女も
調子が良くなってきて、鬱になってから今までで一番長い
間安定状態が持続しているようで安心していました。


今回の電話ではその彼女の様子が少しおかしかったので、
どうしたのかと思って訪ねてみたところ、鬱状態には
入ってはいなかったようですが、少し落ち込んだ様子でした。


最近随分調子が良かったので、人の事が気になりだし、
自分より心の状態が不安定な人たちに救いたい気持ちから
関わっていってたようでした。
どうやらそれがきっかけでまた落ち込み出したようでした。


線香供養を初めて調子がよくなりだしたときに、私は
彼女に一時的に良くなっても決して安心せず、まずは
自分の線香供養と感謝想起に専念するようにと口をすっぱく
なるほど言っていました。


彼女は下町気質の優しい性格で、人が困っていたりしたら
放っておけない性格だという事がわかっていたので
釘をさしたのでした。


私も似たような性格をしていますので、彼女の気持ちも
わかるのですが、そんな性格だから、私自身も失敗を
してきた事が今ようやくわかってきてまずは自分の足元を
固める事に専念しています。
彼女にも、余計なトラブルはできれば避けて、まずは自分に
専念して欲しいとの気持ちからの助言でした。


線香供養や感謝想起によって自分自身の変化を感じている方は
沢山いらっしゃる事だと思います。私自身何か変化と言われれば、
大したことではないかもしれませんが、精神的に随分安定してきた
ように感じています。人が大変な思いをしているのを見たり
苦しんでいる姿を見ることはとても辛く、手助けしたい気持ちは
私にももちろんあります。


でも、今は心を鬼にして自分で決めた境界線以上深入りはしない
ように心がけています。
5%運動も、一度の縁を示すだけにしています。
彼女に勧めたときもそうでした。後は相手の人に縁があるかどうか
に委ねるしかありませんし、それ以上の関わりを持てるほど
自分もまだまだ成長しきっていないように思うからです。
いつも身の程をわきまえるように自分に言い聞かせるように
しています。


『急がば回れ』と言いますが、まずは自分がしっかりする事。
5%の一員に確実になることを私は大切に思っています。
自分がそうならないのに人に薦めることはできないと思っています。


珍しくヘナチョコな私が人に説教しました~(^^;;
『自分がしっかりしてないのに人のことに気を取られて不安定に
なるなんて、子供達にも申しわけないわよ!』と。


あくる日、元気な声で彼女から電話がありました。
またあらたな気持ちで安定するまで自分に専念すると言って
くれました。まだまだこれからもありそうですが・・・(^^;;
ひとまずは安心しました。


私も人に説教している場合ではないのかもしれません~(汗)
また自分自身の生かされている奇跡に感謝の毎日を送りたいと
思います~

これでいいのだ~

2009-07-10 15:24:00 | Weblog
過去と未来より今 (伊勢白山道ブログより抜粋)

肝心な「今」を、過去と未来の為に悩み浪費しています。
霊的に一番重要なのは、「今」の心境です。
今の心境が、過去が幸福だったか不幸だったかを決めます。
今の心境が、未来の自分を、これから構成して行きます


人は毎日不安や悩みが尽きないようにできているようです。
確信の持てないものに不安を感じるのはしょうがないと
思います。だって人間ですもの~


私は伊勢白山道に辿りつくまでに、ある縁をきっかけに、
自分が望んでもいなかった奇異な体験を嫌というほどしてきました。
それがあったからここにたどり着けたと言えばそうなのですが・・・


『正神に奇異はなし』というリーマンさんお言葉は、私の体験と
照らし合わせてみても全くそのとおりだと思いました。


今はもうありませんが、ひょんなことから多くの奇異体験を
してきた私は、もしかしたら本来あるべき正しい姿からかけ離れて
しまっていたのでは・・・と思ったことも正直ありました。


そんな時色々考えました。
自分がどんな存在なのか・・・考え込んで気にする心労
自体も漏電ではなかろうか・・・。自分のエネルギーを無駄に
使って成長の妨げになっているのではないだろうかと・・・


もし、自分が正神からかけ離れた存在であったとしたら、
すべき事は何だろう・・・答えは自分の思いつく限りの良心に
従って生きると共に線香供養と感謝想起をする事でした。
ただただ上書き修正するのみです。
もし、今までもちゃんと内在神に背くことなく生活をして
きていたとしたらこれからすべき事は・・・この答えも結局同じ
でした。。上書き修正も、内在神をより太く育てる事も・・・


どちらにせよ、私のすべき事はひとつしかありません。
今までの自分が善くても悪くてもする事は同じなんだ・・。
そう思ったとたんにとても気が楽になりました。
自分の事を善いや悪いや判断する無駄な労力がその時から
必要なくなりました。
心底『これでいいのだ~』と思えるようになりました。


そして、悩みや不安を作り出しているのはやはり、社会では
なく、自分の心の内なのだとあらためて感じたのを覚えています、


過去がどうであれ、『今の心境』が自分の未来を善くも悪くも
変えていくのだと私も思います。


もし、過去の事で自分を責めるような気持ちになっている方や
未来への不安に押しつぶされそうになっている方がいるとしたら、
伊勢白山道にご縁があるのだから、とにかくその思いのエネルギー
を感謝に変えてみて欲しいです。


とても簡単にできる事ではないと思います。私もそうです。
でも、努力していくうちに、その努力が習慣となれば、
いつの間にか『癖』になります。


『過去と未来より今』(伊勢白山道ブログ7/10)
でリーマンさんがおっしゃっている、『型』を習慣化することで
それが『癖』となり、そのうち真に自分のものとなって
いくような気がしました






心優しき人へ・・・

2009-07-04 11:45:34 | Weblog

心が優しく良心のある人ほどよく悩み、傷つきます。
まだまだ自分が未熟で足りないと・・・


人間は不完全で足りないものから学ぶために生まれて
きているように思います。
私なんて足りない所だらけで良い所を探す方が
ずっと簡単なぐらいですが、足りないところが多いから
却って悩まずに済んでいるのかもしれません。


私から見れば素晴らしく魅力的で素敵な方が、良心の
呵責にさいなまれて、苦しんでおられるのを見るほど
辛いものはありません。


そういう方に限って一般的な人よりずっとずっとご自分の
良心にそって生活しておられるというのに・・・


人間は完璧で在る必要はないと思っています。
足りないところがあるから何かを求め、成長していくんだと
思います。足りないから悩む。そして悩んで改善しようとする。
それでいいのだと思います。


それが生きるということだと私は思っています。


悩みがあるという事は生きている証だと思えばいいんです。
自分を責めすぎて、決して否定したり自分自身を傷つけたり
しないで欲しいです。
外から見たら人の悩みなんてわかりません。
でも、みんな悩みを持っていますし、自分の直すべきところも
自分が一番よく知っています。みんな同じなんです。


悩んでいるときは、大勢の仲間も乗り越えようとしている
人生という試練を自分も受けている事を、そしてそんな思いを
しているのは決して自分だけではないという事を、思い出せば
いいのだと思います。


苦しすぎてそんなこと考えられる余裕が無い時だってあります。
その時は大いに苦しみ、じっとその苦しみが過ぎ去るのを耐えれば
必ず過ぎ去って解決の糸口が見える時がきます。


そんな苦しい時でも自分ができる事があるのは心の支えに
なるものです。
毎日の『線香供養』と『感謝想起』はそういう時にこそ
心の支えになるのかもしれませんね



    『生かしていただいてありがとうございます』


ありのままに・・・

2009-07-02 01:18:00 | Weblog


人の発した思いや意見を受け取る側は自分の
尺度・見方でしか受け取る事ができません。


リーマンさんのブログを読んでいても、同じ文章なのに
読み手によって受け取り方・感じ方もさまざまなのだと
思います。


自分の今までの経験や、感覚から感じ取った自分オリジナルの
解釈をしているということなのでしょう。。。


私はヘナチョコなので、リーマンさんが伝えたい事をそのまま
自分が理解できているとは思っていません。
ブログに置かれた言葉を自分の成長の度合いに応じて理解して
感じて・・・少しずつ歩んでいけばいいだけの事だと思います。


人と比べて自分がどうとかそんなことは関係ないように
思います。所詮私が見る他人の姿はほんの一部分でしかなく、
その奥に隠された理由や事情などわかるわけがないと思って
います。自分の理解の度合いでの解釈しかできません。


自分の足で歩くという事は自分の歩いている場所より上でも下
でも無く、今現在いる場所で足を進めるしかありません。


上ばかり気にして遠くを見てばかりでは足元の石ころをよける
事もできませんし、下ばかり見て、自分はこんなに高いところに
いるんだ~と有頂天になっていても、後ろを振り返って上を
見上げると、延々と上に向かって道が続いているかもしれません。


自分が今いる場所が未熟であろうが無かろうが、結局はそこから
歩みを進めるしかありません。


もしも、自分の解釈が未熟でまだまだ理解が足りないとしても、
それを受け入れ、そこからスタートしなければ、登る事ができません。
足し算と引き算しか習った事がない小学生に微分積分を解くことは
できません。足し算→引き算→掛け算→割り算・・・と言う風に
段階を踏んでいけばいいのだと思います。


自分にとって一番の審神者(サニワ)は自分自身ということだと
思います。それが、オリジナルなのかもしれません。


ありのままに・・・素直に自分を受け入れて・・・ただ、生かされている
事への感謝と自分の内なる神の存在を忘れることなく日々の生活を
送りたいと思います



   生かしていただいてありがとうございます