☆ぱんだ☆だよ~ん!   

山口から~日々のこと。願いは、穏やかな生活!義父母二人の介護もあり、なかなか落ち着けない毎日を過ごしてマス。

5週間も放置~(-_-;)

2013-03-14 09:26:33 | 日常

とにかく慌ただしい日々でした。

子ぱんだちゃんの体調不良、あいかわらず 月一くらいで 登場の蕁麻疹

先日クラスメイトのお母さんと少しお話したのだけど、その子も蕁麻疹が時々出ているとか。

子ぱんだちゃんの仲良しさん、この1年くらい 夜になると蕁麻疹が出てるっていうし・・・

蕁麻疹!いやになります。

子ぱんだちゃんの体調不良の上、自分自身、首のデキモノを切られた後がイケナイ

痛いのです。耳や顔の一部が未だに痺れて 気持ちが悪くって、不眠になっています。

 

そんななか、2月24日 悲しい知らせが届いたのです。

兄が亡くなりました。

本当は従兄なんだけど、叔父が海外赴任の為 我が家で中高6年一緒に育った仲です。

背が高くって すら~っとしていて かっこよくって 自慢の兄でした。

高校の頃は かなりの数の彼女からの電話、私がとっては「今いません」ガッチャとか

遊びに来ていても 邪魔してばかりいました。

数年前に 離婚してから一人暮らしをしていたのですが

不摂生が祟ったのでしょうか?   悲しいことになってしまいました。

くわしいことは また 泣いてしまうので書けませんが

コンビニ弁当、外食ばかりは 体に絶対よくないって 大きな声で叫びたいです。

 

兄の両親は昨年続けて亡くなっていますが、育ての親である 私の両親は

悲しくて、辛くて、まだ 立ち直っていません。

特に母は・・・子ぱんだが慰めても 表情が無いのです。心配です。

なるべく籠らないように考えないようにと いろいろしてみるのですが。

そっとしておく方がよいのでしょうか。

 


3月11日

2013-03-14 08:37:26 | 日常

3月11日

2年たちました。

被災地から 離れたこの山口にいても 早いような、長いような、複雑な月日の流れ。

日頃は見ないテレビで式典をみました。

高校生の母への思い、妻子への思いを聞いていて 涙があふれて止まりませんでした。

 

2年前の3月11日、この日私は 絵本サークルのお別れ会にお昼を挟んで参加していました。

夕食の買い物を済ませ 3時に帰宅したら 翌日から出張のため早く帰宅していた主人が

テレビにかじりついていました。すぐには理解しがたい光景が次々に映し出されていきます。

信じられない、信じたくない。なんとも言えない恐怖に襲われこの日は眠ることができませんでした。

いまでも、この時の地震や津波の様子が映し出されるのを目にすると

恐怖や不安につぶされそうになってしまいます。

テレビでみていただけの自分ですら これだけのショックが残っているのだから

被災された方々の 心の、体の傷はどんなに大きいものなのか・・・

 

3月11日の数日まえから 新聞のテレビ欄には「あれから2年・・・」「復興」「大地震」

なんて 番組の内容があふれはじめ 当日も特番もありましたが

翌々日からは 関連のものが急に少なくなっています。

(絆だとか 正確な情報開示もされていないのに 安全だとかの ごまかすような報道ならいらないのだけど)

 

これから 毎年3月11日はやってくるのだけど その日だけとか前後だけに特集が組まれていくのだろう・・・・

そして それは 感情的な・・・感傷的なもの?になるのではないかと (勝手に)思ってしまいます。