今日の道場での練習中の休憩の時、黒帯のMさんに、
「松濤館の型と糸東流とでは、型にどんな違いがあるのか?」
と質問され、ピンアン初段から五段と、松濤館の平安初段から五段の違いを説明した。
ピンアン初段は平安二段だとか、細かな解釈の違いなどを説明した。
とにかく、手刀受けからして全然違うのだから、大変だ。
しかもウチの総師範は、武道としての空手をするのだ、という考えなので、他流派のことは比較的否定的だからまた気を使う・・・
私自身、それぞれ短いとはいえ、3つの流派を経験し、自分なりの空手の解釈というものもある。個人的に崇拝している園田先生の教えもある。
私は、やはり園田先生の言われるとおり、伝統空手、他流派をすべて一まとめに否定すべきではない、と思う。その点では、今教えていただいている総師範の考え方には、一理あるがもろてを上げては賛成できないでいる。
「空手の父」と呼ばれた船越義珍先生の功績は素晴らしいものであるし、現在脈々と伝えられている松濤館空手は、首里手としての技の系統を感じ取れる素晴らしいものだと思う。
そして、創始者宮城良順先生により伝えられた剛柔流では、那覇手独特の技と修練法がまさに脈々と伝わっている。これもまたすばらしいものだ。
そして我が糸東流では、首里手、那覇手に、さらに泊手他、まさに融合した技と修練法が伝わっている。
現在では、同じ流派でも、伝わる中で解釈が変わってきたりと言う事もあるが、基本は同じだと思う。
そして私は生涯空手を誓い、出来れば昔の達人がそうだったように、鍛えに鍛えた肉体と、鋼のような打突部位をもち、技が技の持つ意味と力が発揮できるよう、精進していきたいと思う。だから、今の道場ではマキワラを突けとは一言も言われないが、突くのである。それが私の武道としての解釈だからだ。
そう考えると、行き着くところは園田先生の教えになる・・・と思う。
柔らかな決心で、生涯空手道に邁進しよう。