一人でハッピーアイランド

地方の小さな大学で日々考えることなど。
やっぱり、大学ってぬるま湯で天国だなあと思うこのごろです

欺瞞欺瞞に どぅまんぎた

2006年06月19日 | Weblog
タイトル、かなり厳しい(笑)。どぅまんぎた=びっくりしたです。

ある大学のことが新聞に載っていました。それによると、

学生が学生生活や講義について企画を提案する「学生提案プロジェクト」の報告会が行われた。(中略)
教職員ら約130人が出席。大学改善のための提案を行い、実現に向けて活発に議論した。
報告会では教職員と学生が対等な立場で話し合うため「先生」という敬称を使わず、「さん」付けで呼び合った。(後略)


問題は、「教職員と学生が対等な立場で話し合うため「先生」という敬称を使わず、「さん」付けで呼び合った」
というところ。

あのね、
どんなに綺麗な言葉でごまかそうとしても、教師と学生の関係は権力関係でしかない。「対等」ではない。
一方が講義をし成績をつける
一方は講義を聴きテストを受け課題を提出し単位を得る
それは権力関係であって、対等な関係ではできないことだ。
対等というならば、
学生の方が授業をやったり自分の成績を自分でつければいい。
もちろん、
中には、その権力を盾にほとんどパワハラやアカハラに近い行為をする先生もいるだろう。
でもそれは別の問題だ。

たとえ、
学生の気持ちを十分に理解し、優しく、学生の立場で物事を考えてくれる先生であっても、
それは、権力関係が基礎になっていることには変わりはない。
そういうことを踏まえなければ、
教師と学生の信頼関係は築けないのだ。
権力関係でしかないのに、
あたかも、表面だけは「対等」な振りをする。

それを欺瞞という。

欺瞞を基にした信頼関係はありえない。
そんなことを平気で学生にさせる大人は嘘つきでしかない。

教師は学生に対して権力をもってしまうと同時に責任をもつ。
それだけのことだ。

しかし、「さん」づけで呼ばれて対等になったつもりになっている教師はおそらく善意だと思う。
しかし、無知だ。大人は無知では許されない。

そんな、対等ごっこなんかしてないで、
きちんと大人としての責任を正面から引き受けようよ。その方がずっとたいへんなことなんだけどなあ。
私には、その対等ごっこが責任逃れの言い訳にしか見えない。

私は、卒業生には 「○○さん」と呼ぶようにお願いしている。
卒業してしまったら、もう教師ー学生の関係ではないから。
歳は違えども同じ社会人として、できればお互い尊敬しあって付き合っていきたい。
というのは、実は建前で(笑)、本当は、卒業したんだからもう「先生」としての責任はないよ、という逃げなのだけど。
それでも、かつての「先生」はやはり「先生」でしかない。

だけど、現役の学生に「○○さん」なんて呼ばれたくない。
金返すから帰ってくれ!

何度も書いているけど、
私は、そんな大人の発言をするキャラではない。

本当は、
「ま、いいんじゃない。適当で」
「おら、おら、単位が欲しけりゃ、一単位一万円でどうだい?」
「私にそんな口のきき方するなんて、どうやら単位はいらないみたいだねえ」
「今年は、単位のバーゲンセール。ほら、もってけ泥棒!」
「欲しい人にはいくらでもあげますよ単位。私の何かが減るわけじゃないし」
なんて冗談を毎日かましている方が好きなのに。

(すみません、本当はやっぱり時々かましてます)

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