令和6年2月27日、UクラブとTクラブ合同で水戸の茨城県立歴史館、水戸偕楽園、水戸城址、大串貝塚ふれあい公園をめぐる行事を
おこないました。
当日は、快晴で20人乗りの中型観光バスで、狭山を8時に出発、圏央道~常磐高速~北関東自動車道経由で水戸に向かいました。
道中、不思議な建物があり皆さんの意見ではなにか宗教施設ではないかといっていますが?
10時半頃、茨城県立歴史館に到着しました。
茨城県立歴史館は、茨城の原始・古代から近現代に至る歴史の流れを概観できる歴史館です。偕楽園公園の一部である広い敷地のなかに、茨城県指定文化財である
旧水海道小学校本館など歴史建造物があります。
旧水海道小学校本館がこの建物です。
ここで参加の皆さんの記念撮影です。
歴史館の中で、皆さん持参のお弁当で昼食を取り隣接の偕楽園に向かいました。
水戸偕楽園は、金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園のひとつに数えられています。天保13年(1842年)7月、水戸藩第九代藩主徳川斎昭公により造られました。
「偕楽園」という名は、「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」という中国の古典『孟子』の一節から名付けられました。
現在、偕楽園には約100品種、3000本の梅が植えられています。
偕楽園名物「無類絞り」の梅です
孟宗竹林の通り道です。
庭園のなかの好文亭(後楽園のなかに藩主の居所としてでなく庶民とともに利用することを目的とした濡縁の間)を見学そます。飲食の類を三階まで運搬するための木製の
滑車を利用した昇降機とか物見引手と称する建具連動式障子など斉昭の進取の気質が見てとれます。
好文亭の内部です。
バスで水戸城址にむかいます。
水戸城は、国内最大規模を誇る土造りの城です。鎌倉初期に、馬場小次郎資幹が館を築いたのが始まりです。室町時代には江戸氏の支配が約170年続き、戦国時代
の天正18年(1590年)、小田原征伐の際に、秀吉側の佐竹氏が馬場城を攻め取り本拠とし、この時から名称が「水戸城」となりました。
関ヶ原の戦いで、家康方に参戦しなかったことから秋田への国替えとなり、徳川頼房公が水戸に封じられるとともに、水戸徳川家の居城となりました。
水戸城大手門
水戸城大堀切り
おなじ大堀切
水戸城からバスで大串貝塚ふれあい公園に向かいました。
「大串貝塚」は文献に記載されている貝塚としては最も古いものですが、『常陸国風土記』に、「身体きわめて大きく、丘の上にいながら手は海辺の貝をほじくった。
食べた貝殻が積もり丘となった」とタイダラボー伝説が書かれています。この巨人伝説を再現した「ダイダラボー」像が1992年に作られました。
台座5mを含め、総高20mで、奈良の大仏より大きい姿です。
此処を最後に往路と逆コースで狭山に帰りました。
おこないました。
当日は、快晴で20人乗りの中型観光バスで、狭山を8時に出発、圏央道~常磐高速~北関東自動車道経由で水戸に向かいました。
道中、不思議な建物があり皆さんの意見ではなにか宗教施設ではないかといっていますが?
10時半頃、茨城県立歴史館に到着しました。
茨城県立歴史館は、茨城の原始・古代から近現代に至る歴史の流れを概観できる歴史館です。偕楽園公園の一部である広い敷地のなかに、茨城県指定文化財である
旧水海道小学校本館など歴史建造物があります。
旧水海道小学校本館がこの建物です。
ここで参加の皆さんの記念撮影です。
歴史館の中で、皆さん持参のお弁当で昼食を取り隣接の偕楽園に向かいました。
水戸偕楽園は、金沢の兼六園・岡山の後楽園とともに日本三名園のひとつに数えられています。天保13年(1842年)7月、水戸藩第九代藩主徳川斎昭公により造られました。
「偕楽園」という名は、「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」という中国の古典『孟子』の一節から名付けられました。
現在、偕楽園には約100品種、3000本の梅が植えられています。
偕楽園名物「無類絞り」の梅です
孟宗竹林の通り道です。
庭園のなかの好文亭(後楽園のなかに藩主の居所としてでなく庶民とともに利用することを目的とした濡縁の間)を見学そます。飲食の類を三階まで運搬するための木製の
滑車を利用した昇降機とか物見引手と称する建具連動式障子など斉昭の進取の気質が見てとれます。
好文亭の内部です。
バスで水戸城址にむかいます。
水戸城は、国内最大規模を誇る土造りの城です。鎌倉初期に、馬場小次郎資幹が館を築いたのが始まりです。室町時代には江戸氏の支配が約170年続き、戦国時代
の天正18年(1590年)、小田原征伐の際に、秀吉側の佐竹氏が馬場城を攻め取り本拠とし、この時から名称が「水戸城」となりました。
関ヶ原の戦いで、家康方に参戦しなかったことから秋田への国替えとなり、徳川頼房公が水戸に封じられるとともに、水戸徳川家の居城となりました。
水戸城大手門
水戸城大堀切り
おなじ大堀切
水戸城からバスで大串貝塚ふれあい公園に向かいました。
「大串貝塚」は文献に記載されている貝塚としては最も古いものですが、『常陸国風土記』に、「身体きわめて大きく、丘の上にいながら手は海辺の貝をほじくった。
食べた貝殻が積もり丘となった」とタイダラボー伝説が書かれています。この巨人伝説を再現した「ダイダラボー」像が1992年に作られました。
台座5mを含め、総高20mで、奈良の大仏より大きい姿です。
此処を最後に往路と逆コースで狭山に帰りました。