図録187・THE新版画
渡邊庄三郎の挑戦
私はこの図録を京都の美術館えきの美術展を見た際に購入しましたが、その美術展は茅ヶ崎市立美術館などでも巡回展示されています。茅ヶ崎を見逃したので、京都旅行の際に見ました。
明治時代前半までは江戸時代の浮世絵の後継者たちが活躍していましたが、後期には衰退して行きました。その中から、新しい版画を模索する動きが始まりました。1つは創作版画であり、もう1つが渡邊庄三郎の新版画です。
創作版画は原則として原画作成、彫、摺りを1人で行います。後には原画に芸術性が有れば彫、摺りに拘らず、創作版画と呼ぶことも有りましたが、創作版画の中で圧倒的な存在感を示したのが棟方志功です。
一方、渡邊庄三郎は絵師ではなく、版元です。江戸時代の版元のように絵師、彫師、摺師の連携プレーで版画を作成します。外国人を含む様々な画家に声を掛け、新版画の世界を広げて行きました。伊東深水、川瀬巴水、笠松紫浪など鏑木清方門下の画家も起用しましたが、小原祥邨や吉田博など、その他の画家も参加しました。
Ⅰ 新版画の誕生
1909年に渡邊版画店を立ち上げた渡邊庄三郎は、滞日中のオーストリア人フリッツ・カペラリの水彩画を見て新しい木版画の構想を持ち、カペラリに木版画を作成させ、それを樋口五葉に見せて新版画を興し、鏑木清方門下の新鋭にも原画を依頼するようになりました。
・あやせ川の雪(高橋松亭、1915年)江戸浮世絵の構図を受け継いでいますが、バレんの摺り跡を活かした作品は新版画の萌芽だそうです。
・鏡の前の女(フリッツ・カペラリ、1915年)最初期の新版画です。
・傘(雨中女学生帰路の図)(フリッツ・カペラリ、1915年)北斎に似た構図の絵が有るそうです。
・化粧の女(樋口五葉、1918年)これは展覧会には出品されず、図録には参考図版として載っていました。五葉の作品としては「浴場の女」が展示されていました。魅力的な作品ですが、ネットには見えません。
・ベナレスの水辺(チャールズ・バートレット、1916年)バートレットはインドやセイロンを旅行してから来日し、水彩画を基に木版画を作成することを庄三郎に依頼しました。
・横浜根岸の雪(チャールズ・バートレット、1916年)バートレットは日本でも描きました。
・ホノルルの波乗り(チャールズ・バートレット、1919年)バートレットはハワイに移住しましたが、そこで描いた絵を日本に持ってきて木版画にしました。波乗りの男はデューク・カナハモクと言う伝説のサーファーです。
・ホノルル漁夫(チャールズ・バートレット、1919年)
・対鏡(伊東深水、1916年)清方門下の俊英一番手です。この紅色を出すのに苦労したそうです。
・遊女(伊東深水、1916年)
・四代目尾上松之助の蝙蝠安(山村耕花、1917年)江戸時代の役者絵に比べ写実的です。
・初代中村雁治郎の紙屋治兵衛(名取春仙、1916年)春仙は役者絵を描いていました。
・泥上げ船(伊東深水、1917年)美人画の深水の社会派作品です。
・近江八景の内 堅田の浮御堂(伊東深水)、1918年)
・塩原おかね路(川瀬巴水、1918年)帝展入選を果たせずにいた巴水が新版画に活路を見出した記念碑的作品です。巴水にとって塩原は幼少時に何度も訪れた思い出の地でした。これをきっかけに、全国を旅して風景を描き、旅の画家と呼ばれるようになりました。
Ⅱ 多彩な美人画の世界
・新美人十二姿 初夏の浴(伊東深水、1922年)
・眉墨(伊東深水、1928年)
・現代美人集 湯の香(伊東深水、1930年)
・新美人十二姿 こたつ(伊東深水、1931年)
・洗い髪(伊東深水、1916年)
・髪(伊東深水、1953年)
・舞踏(小早川清、1934年)大正から昭和初期のモダンな時代の絵です。
・対鏡(平野白峰、1936年)白峰は深水の絵を参考にしたと言われていますが、その印象は全く違います。
Ⅲ 新たな風景画の展開
・都南八景の内 馬込(高橋松亭、1922年)やや古風な所が持ち味。
・星の夜(高橋松亭、1924~27年)ゴッホの星月夜とは対極です。
・旅みやげ第一集 陸奥 三嶌川(川瀬巴水、1919年)旅の画家のスタートです。
・旅みやげ第一集 若狭 久出の濱(川瀬巴水、1920年)
・東京十二題 こま形河岸(川瀬巴水、1919年)巴水は東京も沢山描いています。
・東京十二題 五月雨降る山王(川瀬巴水、1919年)
・日本風景選集 十八 嶌原九十九嶋(川瀬巴水、1922年)
・旅みやげ第三集 房州太海(川瀬巴水、1925年)
・東京二十景 芝増上寺(川瀬巴水、1925年)巴水の代表作です。
・東京二十景 駒込の月(川瀬巴水、1930年)増上寺と並ぶ代表作です。
・清州橋(川瀬巴水、1931年)
・鎌倉八幡宮(川瀬巴水、1931年)
・上州法師温泉(川瀬巴水、1933年)湯に浸かっているのは巴水自身とのこと。如何にも旅の画家。
・日本風景集 東日本編 平泉中尊寺金色堂(川瀬巴水、1935年)
・日本風景集Ⅱ 関西編 京都清水寺(川瀬巴水、1933年)
・東海道風景選集 日本橋(夜明け)(川瀬巴水、1940年)
・雪庭のサンタクロース(川瀬巴水、1950年)戦後に描かれた海外向け月刊誌の表紙です。
・霞む夕べ 不忍池畔(笠松紫浪、1932年)笠松紫浪も清方門下です。
・浅草観音堂大提灯(笠松紫浪、1934年)紫浪は東京を描き続けました。
・春の夜 銀座(笠松紫浪、1934年)
・雨の新橋(笠松紫浪、1935年)
・春雨 湯島天神(笠松紫浪、1935年)
・白骨温泉(笠松紫浪、1935年)東京以外の絵も有ります。
・旅芸人(古屋台軒、1921年)
・猟師の話(吉田博、1922年)吉田博は洋画家出身の版画家です。当初は渡邊庄三郎版画店から発行したが、やがて自分のスタジオを作って独自の画風を確立しました。そのせいか、この版画展への出品は1点です。吉田博は巴水と並び称されましたが、アップルのスティーブ・ジョブスは巴水に惚れ込んでいたそうです。
・香港の港(エリザベス・キース、1924年)
・芦ノ湖の雨(伊藤孝之、1929年)私はこの人も印象的だと思います。
・明けゆく岳川(伊藤孝之、1932年)
・夜の浅草(石渡江逸、1932年)これも良い。新版画は巴水だけじゃないことを知りました。
・避暑地の昼(伊東深水、1941年)深水の別の一面を見た感じです。写真が小さいのが残念。
Ⅳ モダン役者絵
・屋根の上の狂人(伊東深水、1921年)これも深水。
・梨園の華 十三代目森田勘彌のジャン・バルジャン(山村豊成、1921年)山村豊成は耕花の改名です。
・五代目中村歌右衛門の淀君(名取春仙、1926年)創作版画 春仙似顔絵集の1枚です。役者絵の春仙のこれが本領。迫力あります。
・新派似顔絵集 大河内伝次郎の丹下佐善(名取春仙、1934年)一世を風靡した「しぇいはたんげ、なはさぜん」です。
・女優 酒井米子(山中古洞、1929年)酒井米子は新派から時代劇の女優となった人です。
・中村歌右衛門 雪姫(川瀬巴水、1951年)巴水には珍しい役者絵です。
Ⅴ 花鳥新版画の魅力
・白猫(高橋弘明、1926年)高橋弘明は高橋松亭の改名です。風景画が多いと思いましたが、こういう絵も有ります。
・孔雀(小原祥邨、昭和初期)小原祥邨は古邨とも号し、花鳥新版画の第一人者ですが、この絵は小林古径の孔雀を想起させます。ただし、古径の孔雀は正面を向いていました。
・石榴に鸚鵡(小原祥邨、昭和初期)ワルシャワで開かれた国際版画展で、ダントツの人気だったそうです。
・雪中群鷺(小原祥邨、昭和初期)
・月夜池辺の狐(小原祥邨、昭和初期)
・金魚鉢に猫(小原祥邨、1931年)
・山葡萄に四十雀(小原祥邨、昭和初期)
・鯉と緋鯉(小原祥邨、1935年)
《図録のコピー》
写真の無かった深水の眉墨、湯の香、髪、巴水の中村歌右衛門を図録からコピーしました。写真が小さかった深水の「避暑地の昼」もコピーしました・
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