

貧乏な僕が会員登録してまで見ているニコ生「山田玲司のヤングサンデー」という番組がありまして。
今回は僕が普段追っていた内容に少しでも触れてくれるかな?と思って期待しているBL回です。
僕はBLという文化について追っている事柄があって、漫画家の本や評論家の本を読んだりするのですが僕が知りたい部分は誰も書いていないのでまとまらずにいます。
それは「何故、BLなのか?」という事です。
ここに言及してBLの本質というのを書いている考察というのは見た事が無いので、その部分を解明ができればなと思いながら見ていました。
以下、放送の時系列に沿ってその時の議題の感想を。
「ニイさんがBLにハマった瞬間の話」
最初はBLに拒否反応を示していたニイさんが、るろ剣の同人誌で左之助受けを見たときにしっくりきた件。

これは、今まで対等だと思っていた男子たちが性的な情報を得る事によって増長して、女性は下に見るようになったと。
ニイさんが対等の友達だと思っていた男子たちに下に見られ尚且つ性的なからかいを受けたのが、BLにハマったスイッチだったんだと思います。
BLにハマる入口は二つあると思っていて。
一つは女性性の否定パターン。
自らの女性としての性が無い世界に仮託していく、女性としてのコンプレックスが無い世界としてのBL。
もう一つは男性性の否定パターン。
こっちの方がニイさんのパターンだと思うんですが、女性を脅かすはずの男性性が受けになることによる男性性が屈服させられる世界としてのBL。
竹を割った性格の言わば男らしい左之助が攻められている。
自分を弱者だと決めつけてからかっていた「男性性」を屈服させられる世界に惹かれたんだと思います。
「BLにおいてリアルで重いものはダメ」
ニイさんの知り合いの漫画家さんが言われた事らしいですが、やっぱり麻酔コンテンツの側面が強い世界なのかなーと思いますね。
でもクリエイティブな仕事をしている人は本質を掘り下げるものなので、作家はどんどん考えが深くなっていくのに対し、読者は相変わらず麻酔コンテンツを求める傾向があるので、大人向けの女性漫画雑誌は売れないと、BS漫画夜話でいしかわじゅんが言っていたのを思いだしました。
「風と木の詩の女性性の押し付けからの開放の話」
最初はジルベールが女性設定だったのが女性ではダメという事で男性に変えた話で。
当時の竹宮惠子先生は世間一般が良しとしている女性性ではなく、女性の本質(色んな面がある)を描く、まだ未踏破の所を描こうとしていたのを抑圧されてそれが形を変えてBLになった所を考えると旧態依然の考え方が生み出した産物なのだとしたら男性としては耳が痛い話だなと思います。
BLは抑圧された女性性の抵抗運動というのもBL導入の裏付けにもなってるかなと。
全てがそうではないとは思いますが。
「Jの総てのラストについて」
Jの総てで結局ハッピーエンドにするという流れは男性作家では描けないとおっくんが言ってますが、Jの総ては「ジルベールを殺したくない」
というのが目的の作品だと思うのでハッピーエンドが正しいんです。

「風と木の詩」は未踏破の面白い作品を描くんだ!!が目的だと思うので同じベクトルの作品ではないんですよね。
元々女性にしようと思ってた所を考えると「BLの元祖」でもない気すらしますけどね。
結果的になってしまっただけであって。
女性の心を仮託する世界で考えると中村 明日美子作品の方がそうであるし。
だから中村 明日美子作品はハッピーエンドなんだと。
「彼女の本棚にBL本が並んでたらヒクか問題」
これは男女どちらにも言える話で、自分の欲望が詰まった棚を見せられたらヒクのはどっちも一緒。
それを男性だけのモノである、偏見を女性に課さないで欲しいと言ってるニイさんはあの当時の気持ちというのが強く残ってるからだと思います。
男はエロい事考えて当然であり、女性は考えてはならないなんて思ってないし、ヤングサンデー空間ではよりフラットな事なので、噛み合わせが悪い話になってますね。
男同士という背徳感もBLには切れない要素だと思うのにここも否定してたし。
「GLの話」
ニイさんのGL好きの人の話で「GLならライドする事によって綺麗で可愛い女の子が警戒することなくスキンシップしてくれるのが良い」という件で。
ロリコンもGL好きも「女性から否定されたくない」というのが根本にあると思います。
男性としてコンプレックスがあるんだけど、女性とは接したい。
だから何も知らない児童を対象として選ぶ、そもそも自分が男性でなければ良い。
これは上記の人だけが抱くものではなく、異世界に行けば俺はもっと女の子にモテモテでましな人生が送れるってコンテンツもあるので。
これも普段ヤングサンデーで話に上がる「スクールカーストトラウマ」が根深いものがあるのっかなと。
「純愛とは何か問題」

Jの総てと同級生の話で純愛とは何かという件。
BL=男性同士の恋愛を扱うものとカテゴライズするならば、どちらもBLであると思う。
だから違いはなく、Jの総ては性描写が多いのでエロティクスエフでの連載だし、同級生はOPERAでの連載。
この辺からニイさんの喧嘩腰に拍車がかかりまともなディスカッションが出来なくなってきています。
作品において男女では対等に夢を追う二人を描けない、なぜならば女性が夢を捨てて男性について行くのが良い女とされ、女性はそもそも夢を追う事が許されないと。
それが純愛であると言ってるんですが。
この考えが2015年の作品群を経ての2016年では説得力に欠けると思います。
それは2015年の始めの「アナ雪」で男より信頼できるのは女であり血縁最強から始まり。
セーラームーンのリブートでも歌詞に「王子様に運命投げず、自ら戦う意思」とあるように、タキシード仮面が殆ど活躍しない役に立たないイケメンだったし。
もう男に頼るという幻想が無くなった2015年だったんですね。
東京タラレバ娘も「結婚しなくていいじゃん、男に頼らなくてもいいじゃん」だし。
男女のパートナーでなくても女性同士で暮らせば男性なんかに頼らなくても暮らしていけるし。
BLがというかニイさんが男性性との闘いの入口としてBLに入った人だと思うので、男性が敵でないと成り立たないメンタリティとしてのBLだと思うので、一昔前ならそうだったろうけど今はもう説得力に欠ける意見だなと思いました。
・まとめ・
僕が今まで見てきたものよりも、自分さらし度が高い分本質に迫った僕が知りたい部分が見えたと思います。
BLを語るというのは本来、自分の暗い所や自分の性癖との対峙になってしまうと思うので。
同じくBLが好きな人に話すならいざ知らず、全くの門外漢それを説明するのは恥ずかしいし必ずしも解ってもらえるものでもないし。
それを腹くくってやってくれたのが凄いですよね。
男性の漫画文化の変遷って結構単純で、男の沼もそんなに多くは無いんですが、女性の漫画文化って幼少期のりぼん・ちゃお・なかよし以降の年齢帯が読む雑誌ってとても多くて。
いきなり世界がどわっと広がるのが男性の比じゃない。
それは即ち、女性の世界ではパプアニューギニアぐらい部族が沢山分かれいて、その数だけ沼があり趣向があると。

それは女性の社会性の高さであるのか、はたまた男性性からの圧力で細かく砕かれて散り散りになったものなのか。
当然、BL界でも同じことが言えてなかなか説明が難しいと思います。
僕と一緒に放送を見ていた彼女(BLもいける人)が、この人は夢寄りの腐でガチ勢ではない気がすると言っていました。
これが当たっているかは分かりませんが、この世界に明るくない人にとっては全く分からないというなんとも説明のし辛い世界なのだと。
成り立ちはどうであれBLとは何かを一言でざっくり説明するとおそらく「信仰」だと思うんですよ。
この世界に自分の思いを仮託して、その世界観を生きることの拠り所とする。
これはBLだけに限らず、ジャニーズもそうだしアニメもそうだし「沼」と呼ばれるものはこういった傾向があると思いますが。
心の不安を支えてくれる存在が欲しいと誰もが思うもので、それの大きな団体が宗教であるし人や作品の場合もあると。
その心の不安がBLの場合旧態依然の男社会が女性に敷いてきたものがこじれて生まれた文化だとするならば、男性としては申し訳ないし2015年の感じを見ると変わっていくのかなとも思います。
今回の放送でBLの成り立ちの一遍でも見れたのがとても面白い放送だったと思います。
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