てけてけのアサイチ日記

こども達や、孫たちの世代のために!・日本を守りたいと希いつつ、
日本をこよなく愛する戦中生まれが、綴ります。

<1964年、東京オリンピックの聖火台を、鋳造した所>に、追記しました。

2015年02月16日 | 聖火台・あれこれ

  当時はこのような工場が有りました。

この建物の中で聖火台は鋳造されました。

 川口内燃機鋳造㈱ 飯塚工場 (第二工場と呼ぶ人もいた)

本社工場は、川口市朝日町にあって昭和15年11月から取引を頂きお世話になっています。

普通木型の仕事は、鋳物屋さんから、注文を頂くものですが、こと聖火台に限り

そうではなく、弊社から仕事の紹介をさせていただきました。

昭和32年のこと(月までは資料紛失により分らず) ご恩返しの一端が出来たと自負していた父親を思い出します。・・・後日改めて、掲載したい!・・・

 当時の担当者(工場長)から、電話を頂くと、直ぐに飛んで行きました。その事が気に入っていただいたようで今思えば、懐かしいところでございます。

もう少し見る↓

http://blog.goo.ne.jp/organic831_miya_002/e/5cd37cae9acb60bdb015d320dca8482f


真っ赤に錆び付いていたので、見兼ねて家族で手入れを始めましたた!・時は2011年6月頃

2015年01月22日 | 聖火台・あれこれ

 

 

   

 宗信寺 川口市上青木2-31-8 日蓮宗 長陽山 

に設置の鋳鉄製天水桶

設計 山下誠一・  製作者 鈴木文吾

聖火台とは縁の深いお二人です。

私たち親子も聖火台が、機縁で知り合いになりました。

↑本堂に向かって左側・ 上部はゴミよけ用のステンレス製の網です。

↑本堂に向かって右側(網のない方が本来の姿で、格好いいです)    

聖火台製作者の鋳物師・鈴木文吾さんが、生前よく私の仕事場(細工場)に    

立ち寄っては、ごま油でどうの、こうのと話をしていましたが、こちらは納期に

追われて仕事をしていましたので、いつも、上の空でした。

今となればもう少し、確りと聞いておけば良かったのにと、後悔しています。

   

 

 

 


1964年、東京オリンピックの聖火台を、鋳造した所

2015年01月21日 | 聖火台・あれこれ

〒332-0023 埼玉県川口市飯塚3-14

現在は移転して公園になり、一とき避難広場になっている。

地図UR       Lhttp://yahoo.jp/crV3cn

 

 

  当時はこのような工場が有りました。

この建物の中で聖火台は鋳造されました。

 川口内燃機鋳造㈱ 飯塚工場 (二工場と呼ぶ人もいた)

 当時の担当者から、電話を頂くと、直ぐに飛んで行きました。

その事が気に入っていただいたような気がします。

今思えば、懐かしいところでございます。