ホラー映画万歳

改名しました。
今後は『LED値引き中』で行きたいと思います。
どぞ、よろしく。

機動戦士Zガンダム  星を継ぐ者 SIDE:A

2005-08-25 01:46:39 | ガンダムに感謝
2005/日本 原作、脚本、監督、絵コンテ
         富野 由悠季


ちょっとどころか、だいぶタイムリーじゃない映画です。

でもね、面白かったのです。

ガンダムに飽きているエエ大人の方こそ見て欲しいです。

視聴者の方の角が取れて何でも受け入れられるようになったのかも知れませんが、それより何より見せ方を変えるだけで見え方がマルデ変わるのは面白い。

巧く纏められた流れるような話の展開と(ガンダムマニアはZの内容を知っているわけですが)新規に録音されたであろう迫力有る効果音の適切な場面での使用により懐かしい物語を見ているようでありながら全くの新作を見ている気分に陥ります。

この感覚はとても不思議な感覚でしたが、不快感は有りませんでした。

この作品で富野監督は見ている人間に『何か』を伝えようとしています。それはみれば伝わると思います。

次回も私は見に行きますね。




機動戦士Zガンダム  星を継ぐ者 SIDE:B

2005-07-14 23:57:50 | ガンダムに感謝
2005/日本 原作、脚本、監督、絵コンテ
         富野 由悠季

長いですよ。興味が無い方はゴメンナサイ。(用語解説はしません。)

LED。Zガンダム行きま~す!!


正直言って富野監督を笑いに映画館に足を運んだのだ。
今更「Zガンダムかよ?」と・・・。

だが面白い。

何処が如何面白いのか説明は難しい。
でも単純な感想を言わせて貰うと実に面白かったってのが本音だった。

エンジン全開、本気もド本気で富野監督は映画を創っていた。

ハッキリ言って最近の彼の仕事ぶりは『終わっている』と感じさせるに充分過ぎるほどレベルの低い創作活動ではなかったか?と思う。

しかし良く考えて見たらこの監督は自分の作品を世に送り出しながら『多くの若手育成』も手掛けており、純粋に自分100パーセントな作品作りは永い期間行なってこなかったのも事実なのだろう。

やふーBBの監督インタヴューで恐ろしく高慢チキなコメントをブチカマシ。私の『アニメ道』において最も影響を与えながら、ぞれでいて最も私の大好きなアニメ『機動戦士ガンダム』をコテンパンに自らの手で破壊して行く富野監督。

『愛憎入り混じる』とは正に富野監督にこそ送りたい言葉なのだ。

心の底から私は富野監督が憎たらしいが、同時にまた、心の底から尊敬してもいるのだ。こんな人物は私のそう長くない自分史の中にも滅多に登場するものではないだろう。


さて、実は私はZガンダムが嫌いだった。

この作品は多くの人がそう思っただろうけど、あらゆる点で『新しいガンダム』を待ち望んでいた私の期待を大きく裏切り、その後延々と続いてしまう『ガンダム』なる『一つのジャンル』を産み出す事になる最初の大きな大きな間違いの第一歩だったからだ。

私が当時から今に至るまでに感じていた『Zガンダム』の間違っていたと感じていた事を一つ一つ書いていきたいと思う。

1、空を飛ぶモビルスーツ(以下MS)を登場させた事。

たぶん私の感じている最大の間違いがコレです。
『機動戦士ガンダム』で空前のガンプラブームが巻き起こるのだが、余りに人気が出たためにバンダイは色々とTVに登場しなかったバリエーションのMSを『こんなのもありますぜ』と世に送り出してきた。
それがMSVと呼ばれるもので、水中専用、砂漠仕様、飛行試験型、等の色々と機能特化型のMSを登場させて私達を楽しませてくれたのだった。
だが『Z』に於いてMSが可変して尚且つ空を飛んでしまったら、それは『兵器として完成』してしまった事を意味する。兵器として空を飛べる事はトンデモナイアドバンテージになる事は誰でも理解してくれると思う。戦場では制空権を確保しない事には何も出来はしないのだから。
可変型MSとは飛行形態から人型ロボットに変形して地上でも戦闘が出来るのである。シリーズ二作目にして早くも『万能型兵器』にMSはなってしまったのだ。
これはMSから数々のバリエーションを奪う事にもなった。
基本的に可変型MSは『万能型MS』を目指して開発されているのである。ナンデモ出来るってのは実はツマラナイのだ。長所短所が無いとチームワークの演出を描くにしてもとても演出上やりずらい。さらに『万能型MS』同士の戦いは似たような戦い方ばかりになってしまう。
余り深く考えないでMSの飛行をやってしまった為に、この部分で非常に後のメカデザイナーやシナリオライターは苦労する事になったと思われる。


2、MSのデザインとカラーリングを属する軍によって差別化を図る事をしなかった事。

これも大きな問題で『Z』ではMSのデザインをデザインコンペで決定していたのだが、これにより複数のデザイナーが『Z』には参加する事になる。だが、そのデザインラインは各自全く異なるものだったのだ。別にコレをエウーゴなら誰々のデザイン、ティターンズなら誰々のデザイン、アクシズなら誰々のデザインと分ければ各陣営のMS開発思想の演出もでき、尚且つ複雑になりがちな『Z』の世界も簡単に理解されやすくなっていただろう。
しかし実際は各デザイナーが自由気儘にデザインしたMSが各陣営にバラバラに配置され、全く系統の異なるMSがチームを組んだり、似たようなMS同士で戦うとゆう演出としては最低なモノが画面上で繰り広げられる事になる。(前作では連邦のMSは角ばっていて、ジオンのMSは流線型と結構差別化が出来ていた。)
しかしこれ等の問題も各陣営に乗っ取った陣営色を打ち出せば問題を回避できたはず。つまりエウーゴなら『白』ティターンズなら『黒』アクシズなら『桃』と解り易くやってくれれば良かったのだ。
だが此処でも実際は各陣営で好き勝手なカラーリングが施されたMSが画面を埋め尽くす事になり、『Z』の解りづらい内容に拍車をかけた。


3、放映当時のアニメから得られる情報が少なく、またビデオ等でチェックしないと誰が何の事を言っているのか訳が解らなくなる事。専門用語を出すのは構わないが、Zガンダム内でしか通用しない専門用語も頻繁に登場してしまった事。

一番解りやすいところで『ゼダンの門』と呼ばれる場所が登場するのだが、何故この名前になっているのかの説明はTVでは無かったと思う。


4、前作のキャラクター達をカッコ悪く描いた事。

本当に吃驚するほど『あの人』も『この人』も『あんな人』までカッチョ悪く描かれた前作での『英雄』達に対する演出の数々に富野監督には殺意を抱いたほどである。


5、戦闘シーンを基本的にビームの打ち合いばかりにし、ビームライフルの音をヘボくした事。

これはMSが空を飛べる事と関係してくるのだが『Z』では本当に戦闘シーンがヘボイ。
飛べないMSはフライングアーマーと呼ばれる物にしがみ付いて戦闘を行なうのだが巨大な凧にへばり付き片手だけを前に突き出してライフルの打ち合いをする。
これが本当にカッチョ悪かったのだ。
飛行シーンだと作画枚数がケチれるとか製作者のスケベ根性は無視してもアノ演出をカッコ良く描くには中々の根性が必要だと思う。
さらに前作と大きく変更がなされたのがビームライフルの『音』で「ズキューーーーーーン!!」とカッチョ良く響いていたライフルの『音』が「ピシューーン!!ピシューーン!!」と情けなくなるような『音』に変更されていたのだ。
もうこうなってくると絶対に富野監督は『わざと』『Z』の戦闘シーンをカッコ悪く演出していたとしか思えない。この部分は確信犯であっただろうと思われる。


6、バンダイのプラモデル製造技術が追い着いていないのに、雑怪奇な可変型MSを多く登場させてしまった事。

当時のもデラー少年達には本当に衝撃だったのだが、『Z』の複雑すぎる変形は子供心にも無理が多いのは簡単に理解が出来た。メッサーラやギャプランは制作可能でもガブスレイ、バウンドドック、ガザシリーズ等は放送当時は絶対に無理だと感じたものだった、今現在でも難しいんじゃなかろうか?まあこのバンダイのヘタレな制作姿勢が多くのガレージキットメーカーや原型師を産み出すのだから世の中何がどう転ぶかは解らない。


7、戦争とは悪と正義の『二次言論』ではなく。複雑に絡み合った『利害関係』で成り立っている事を『Zガンダム』では描いているのだが、視聴者に理解しやすくは創っていない事。

『Z』では暗に富野監督のサンライズ及びバンダイ批判が作品中で行なわれており、シナリオ自体ど~でも良さげだった感が否めない。さらに新しく入ってきた新人達の『宇宙人』ぶりにも相当参っていた様で、ジェネレーションギャップに苦労していた事は凄く理解できる。
前作の『機動戦士ガンダム』から『Z』制作までおよそ五年の歳月が流れているのだが、この期間内に於いて余りに各個人のガンダム観に差が出ていたのである。




さて、そもそも『戦争』に対する考え方なり自分なりの考察がないとこの『ガンダム』とゆう作品の見え方はまるで変わってくる。
この『Zガンダム』とゆう作品は、私から見てほぼ『純粋』な戦争アニメだった『機動戦士ガンダム』の続編でありながら、作品中で監督である富野氏の言いたい事は『視聴者の果てしない欲望に対する警告』であったり『製作会社の消費者への擦り寄りへの警告』だったりだと思っている。
ハッキリ言って戦争などこの作品では描いていない。
視聴者の要望に迎合して『作品』を唯の『商品』にしてしまうと、この先のロボットアニメに未来が無い。と「Zガンダム」制作決定の時点で監督は気付いていたのだろう。

そして『作家』富野 由悠季が最初に踏んだ踏み絵こそ自らの創った『ガンダム』とゆう作品の続編である『Zガンダム』とゆう作品だったのだろう。

この人は先見の明の無い愚者ではない。

ガンダムの続編を作るとゆう事がどうゆう事が良く解っていた筈なのだ。

正直ヒットして欲しくなかったに違いない。

世間でボロクソに叩かれてガンダムなるジャンルを産み出すなどとゆう不幸な出来事を避けたかったに違いない。

だが現実は皆さんの知ってのとーりな訳になってしまった。

20年の刻を超えてやっと富野監督は自ら踏んでしまった踏み絵『Zガンダム』にケリを付けに還ってきた。

この作品が終わる刻。

日本のロボットアニメの新たな歴史が始まると思う。