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【本日のニュース・記事】
■「緊急事態宣言は効果なし!」舛添要一が安倍政権“新型コロナ”無策を痛烈批判
文藝春秋 2020/04/18 2020年5月号
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――4月7日に緊急事態宣言が発令されて1週間が経過しました。
舛添 私は極めて少数派だと思いますが、「緊急事態宣言はやる意味がない」と考えています。
今更やったところで、感染の封じ込めに効果はないだろう、と。
安倍政権は、なぜ緊急事態宣言をしたのでしょうか。
それは、新型コロナウイルス対応の初動の遅れを取り戻そうとしたからに他なりません。
新型コロナウイルスは、昨年12月8日に武漢で発生しました。
日本で初めて感染者が出たのは今年1月15日。
しかし、専門家会議の立ち上げなど、政府が手を打ったのは2月に入ってからでした。
すなわち1カ月以上何もしていなかったわけです。
・致命的だったのは「PCR検査の不徹底」
舛添 安倍政権の初動の失策は、大きく2つあります。
第一には、感染者を症状別に応対する「トリアージ」をしなかったこと。
本来であれば、最初から重症者は感染症の指定病院、中くらいの人は普通の病院、軽症者はホテル……といった具合に、症状別に隔離して対処にあたるべきでした。
隔離施設としては五輪の選手村だって空いている。
しかし、それをやりませんでした。
2つ目が、PCR検査を徹底してやらなかったこと。
これが致命的でした。
感染者の実態が掴めなくなってしまったからです。
少し前、安倍応援団のネトウヨを中心に「PCR検査をしたらイタリアみたいになって医療体制が崩壊する」「それ見ろ。
韓国はPCR検査をやって感染者が増えているじゃないか」という言説が出回りました。
私はこれはまったくの嘘だ、PCR検査はすぐにでも徹底的にやるべきだ、と主張していました。
しかし、政府はPCR検査をやってきませんでした。
ここにきて、PCR検査をやることがいかに重要かが明らかになりつつあります。
・日毎の感染者数に一喜一憂しても意味がない
舛添 アメリカとイタリアでは死者が急増していますよね。
一方、ドイツでは死者が抑えられている。
この明暗を分けた差は何だと思いますか。
ドイツの医療体制が頑強だということもありますが、最大の要因はアメリカ・イタリアはPCR検査をちゃんとしておらず、ドイツは初動から徹底的にやっていたということなのです。
ところが日本は、今この段階に来ても、PCR検査を受けるためには時間がかかっているという。
感染が確認された森三中の黒沢かずこさんが良い例です。
「検査を受けたい」と言っても、受けさせてもらえなかったといいます。
こんなことは、あり得ないことです。
今、日本人は、日毎の感染者数で一喜一憂していますよね。
今日は100人超えた、今日は100人下回った、と。
しかし、これは全く意味がありません。
単に検査数に比例しているだけなので、感染者の実態が把握できていない。
日本はまさに今、アメリカとイタリアの轍を踏むかもしれないのです。
さすがにこうした初動の遅れが致命的なミスであると政府も気づいたのでしょう。
4月に入り、慌てて緊急事態宣言を出しました。
・緊急事態宣言と一斉休校は“北海道のマネ”
――なぜ、政権内で「緊急事態宣言をする」という案が浮上してきたのでしょうか。
舛添 2月末、感染者が急増した北海道で鈴木直道知事が緊急事態宣言と一斉休校を打ち出し、急増していた感染者を封じ込めました。
政府の緊急事態宣言は、これを模したものだろうと私は見ています。
安倍政権が北海道の対応を参考にしているのは間違いありません。
2月27日に安倍首相が唐突に3月中の全国一斉休校を発表しましたが、これは明らかに北海道ケースがうまくいったことを意識したものでした。
鈴木北海道知事は今回の対応で相当、評判を上げました。
安倍政権は支持率を上げるために「この方法は使えるな」と判断したのでしょう。
――緊急事態宣言をすると、政府は何ができるようになるのでしょうか。
舛添 自粛要請が出せるようになるくらいで、政府ができることは、出そうが出すまいが実はほとんど変わりません。
緊急事態宣言を出せるようにするために、政府は新型インフル特措法を改正しました。
私はこの改正法自体、必要なかったと考えています。
そもそも、緊急事態宣言なんて既存の新型インフル特措法の解釈を変えればできることです。
もっと言えば、法的根拠がなくたって、リーダーが「今は緊急事態です」と国民に語りかけるだけで意味がある。
・先に給付と補償を決めておくべきだった
舛添 ところが、おそらく安倍首相の秘書官が「法律がないとできませんよ」と囁いたのでしょう。
だから改正法という案が出てきたわけです。
法律を変えれば、「せっかく“伝家の宝刀”を作ったのだからこれを使わないといけないな」となる。
それで緊急事態宣言をするに至った。
緊急事態宣言なんかをする前に、もっとやるべきことはたくさんありました。
まさにトリアージやPCR検査などがそう。これらは緊急事態宣言をしなくてもできることでしょう。
法律を変えることが大切なのか、国民の命を守ることが大切なのか。
安倍政権がやっていることは、まったくもって本末転倒です。
――緊急事態宣言による自粛要請は、経済へ与える影響が大きいと思われます。
舛添 自粛要請によって、日本経済は危機に陥るでしょう。
すでに倒産した企業がいくつか出ていますし、失業者も今後増えていく。
政府は「108兆円の緊急経済対策を打つ」と自信満々に言っていますが、実はそのうち真水はわずか39兆円。
GDPの1割にも満たない金額ですから、効果はほとんど期待できないでしょう。
さらに最近になって与党間で「1世帯30万円給付」とか「一律10万円給付」などと議論がなされています。
これは果たして自粛要請をした後に悠長にする議論でしょうか。
すでに営業できなくなり、食っていけなくなる人が出ているんですよ。
本当に国民のことを考えるのであれば、給付や補償の話を決めてから緊急事態宣言をするべきでした。
・トランプのコロナ対策は何が間違いだったか?
――各国の状況はどうでしょうか。たとえば、アメリカは3月13日に国家非常事態宣言を出しました。
舛添 アメリカの新型コロナの対応は後手後手に回っています。
あっという間に感染者数は世界一になってしまいました。
アメリカと日本の状況は、非常に近いと思います。
トランプ大統領は、何がダメだったのでしょうか。
ひとことで言うならば、感染症対策に政治的イデオロギーを持ち込んでいることだと思います。
感染症対策は、科学・医学・疫学でやるべきで、イデオロギーは絶対に持ち込んではならない。
そのタブーを犯したから失敗したのだと思います。
「オバマケアは廃止する」「民主党時代のものは負の遺産」
トランプは一貫してこう言っています。
今回の新型コロナ問題で、オバマケア廃止により無保険者が増加傾向にあることは、事態を悪化させています。
だがそれを認めようとはしません。
そして、今回の新型コロナに関しても、3月10日の段階で「たいしたことではない。
すぐに終息する」などとタカを括っていました。
ところが、感染が拡大してくると「チャイナ・ウイルス」と差別的な発言をしたり、WHOを非難したり、責任転嫁をするような言動に出ています。
・中国と韓国を参考にしなかった安倍政権
舛添 安倍政権の対応にも、トランプ氏と似た部分があるのではないか。
私はそう思えてなりません。
とりわけ中国や韓国の新型コロナ対応への視線にそれを感じます。
私は、彼らには見習う部分は多いと思います。
たとえば韓国はかなり初期からPCR検査を徹底的にやり、ドライブスルーで受けられるような体制を整えました。
その結果、直近では1日の感染者数が30人を切るところまで押さえ込むことに成功していますし、何よりもPCR検査を徹底したことで、感染経路不明者がわずか2%台です。
中国は発生源の国でもあるのだから症例の宝庫です。
これを使わない手はないはずです。
ところが、安倍政権は隣国の知見を一切参考にしませんでした。
イデオロギー的に中国・韓国が好きではないのは、別に構いません。
しかし今はそんなことで物事を判断している場合ではない。
使える部分は使うべきでした。
結局、ただ無策を重ね、挙げ句の果てには感染者数が増えて慌てふためき緊急事態宣言を出したというわけです。
・ドイツとイギリスは“緊急事態宣言”など出していない
舛添 欧州に目を向けても、たとえばドイツやイギリスは、そもそも緊急事態宣言など出していません。
ジョンソン英首相、メルケル独首相は当初、集団免疫論に基づいて終息させようと判断しました。
私も最終的な解決手段は、集団免疫論だと思っています。
1つの集団(国家)の中で、6、7割の人が免疫をもてば、それが鉄壁になって封じ込める、という考えです。
分かりやすくいうならば、ワクチンの完成までは時間がかかるから現実的手段として「気がつかないうちに感染して治っちゃった」という人を増やせばいいのではないか、ということです。
ジョンソン氏もメルケル氏も、当初はその理論でいこうとしたのです。
しかし理論としては正しいけど、最終的には「それはやめよう」という政治判断を下しました。
疫学理論をしっかり学び、それを基に方針転換をしたわけです。
行き当たりばったりの政策を続ける安倍政権、そしてコロナウイルスを甘く見ていたトランプ政権とは雲泥の差です。
繰り返しますが、この優秀なリーダーが率いる2つの国は緊急事態宣言を出していません。
しかし、打つべき手はちゃんと打っている。
日本は見習うべきではないでしょうか。
・元凶は取り巻きの「官邸官僚」たち
――政策には、官僚が密接に関わっています。舛添さんは、「文藝春秋」5月号掲載の記事で、新型コロナウイルス対応における官僚の責任を追及されていました。安倍政権と官僚の関係の問題点はどこにあると見ますか。
舛添 今回のコロナ対応が失敗した元凶は、間違いなく「官邸官僚」つまり、安倍首相の取り巻きの官僚たちだと私は考えています。
たとえば、首相補佐官の今井尚哉氏(経済産業省)、和泉洋人氏(国土交通省)などは、第二次安倍政権の発足時からずっと官邸に居座っています。
なんだかんだ言って、首相をはじめ国会議員は選挙の洗礼を受けていますから、あまり無茶苦茶な政策はしないんです。
それなりのブレーキがちゃんとかかる。
ところが、彼らは違う。
それがないから、完全な「独裁」になる。
しかも、5年も6年も総理の側にいるわけで、並の閣僚など見下しているわけです。
そんな連中が、外界と断絶した“孤島”の官邸にいるわけですから、世間の感覚がわからなくなって当たり前です。
「アベノマスク2枚」がそれを象徴しています。
1世帯2枚でなんとかしろ、と言われても普通の家庭は困惑しますよね。
さらに安倍首相は4月12日、ツイッターにミュージシャンの星野源さんの音楽に合わせて自分が寛ぐ動画をアップしましたよね。
これもおそらく官邸官僚のアイデアでしょうが、自宅にいたくても仕事に行かざるを得ない人たちへの配慮が全くありませんでした。
徹底的にズレている。
むしろ今、打ち出すべきは、クオモNY州知事のように、不眠不休で働く政治リーダーの姿、必死に戦う姿であるべきです。
しかし、官邸官僚は、もはや“普通の感覚”がわからなくなってしまったのでしょう。
「絶対的な権力は、絶対に腐敗する」
今回のコロナ危機は、奇しくも歴史家のジョン・アクトンが残したこの言葉の通り、官邸の感覚がいかに国民とずれているかということをあぶり出したのでした。
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「緊急事態宣言は効果なし!」舛添要一が安倍政権“新型コロナ”無策を痛烈批判
文藝春秋 2020/04/18 2020年5月号
https://bunshun.jp/articles/-/37305
本日は3つの記事をご紹介いたします。
2つ目の記事はこちらです。
■緊急事態宣言の効果は絶望的なほどほぼ皆無だ
東洋経済 2021/05/02
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結論から言うと、今回の「第3回目の緊急事態宣言」は、おそらくほとんど効果がないだろう。
その理由は3つある。
・日本の緊急事態宣言はもともと効果がほとんどない
第1に、3度目であること。うんざりしている。
飽きている。よく「コロナ疲れ」「自粛疲れ」と言われるが、より人々の感情に近い表現は「うんざり」か「飽きている」ということだろう。
第2に、発出した理由が不明瞭である。大阪が危機的なのはわかるが、東京は、感染者数、病床ひっ迫度合いからいっても大阪ほどではない。
「蔓延防止措置」というのをつくって、まさにそれがぴったりなのに、そしてそれが発出されて、その効果がまだまったくわからないうちに、緊急事態宣言だ。
2度目はなかなか出さなかったのに、しかも、2度目の緊急事態宣言解除は、感染者数が増えてきたところで解除。
要は「出したくないのだ、政府は」と思われていたのに、なぜか今回は唐突に出した。
納得感がなければ、政府の要請やお願いには、誰も応じないだろう。
第3に、緊急事態宣言はもともと効果がほとんどないからだ。
実は、1度目も2度目もほとんどなかったのだ。
だから、今回はなおさら効果がないに決まっている。
この3つを、一つひとつ言い換えてわかりやすくしてみよう。
第1点。
まず若い世代は、緊急事態宣言無視だ。
そもそもテレビを見ない、持っていない。
だから、テレビで大臣がわめこうが、知事が国を罵ろうが、そもそもそれを知らない。
政治家たちのアリバイ作りのパフォーマンスはそもそも認識すらされていない。
彼らにとっては、1回目の緊急事態宣言のときは、コロナ危機への異常な自粛、という目新しいイベント。
初めてハロウィンに参加するような気分だ。
だから、1回イベントを消費すれば、次は目新しいイベントではないから、まったく関心の対象に入らない。
だから、支持とか不支持とか従わないとかではなく、関心の外にある。
「緊急事態宣言? で、何か?」という感じだ。
一方、中年世代はどうか。
テレビをつけると、官邸と知事の非難合戦、罪の擦り付け合い、まさにうんざりだ。
アリバイ作りよりも、テレビに出る暇があったら、病院を説得してくれ。
2度目からは、もううんざりで今回はあきれ果てているから、これもテレビは見てはいるが、馬耳東風だ。
政治家の叫びは趣味の悪いBGMにしか聞こえない。
そして、高齢者は、ただ怯えているだけだ。
テレビでコロナの話が出れば出るほど、それがどんな話であれ、恐怖がさらに刺激されるだけ。
金持ち高齢者はさらに家に引きこもり、巣ごもり消費に慣れていないから、ただ、怯えて貝になっているだけだ。
・もはや「政治的資本」がマイナス状態に
第2の点。
緊急事態宣言を出せば出すほど、政治不信は強まる。
第1弾の接触8割削減の主張や「ロンドン、ニューヨークの次は東京だ」という脅しを続けた「自称(他称)専門家」により、専門家不信は確定した。
科学的根拠無視で、感情で情緒的に行動することが「専門家は信用できない」ということの裏づけに正当化されることになった。
この結果、いい政策だろうが、悪い政策だろうが、人々を政策でコントロールするのは不可能になる。
政治家の言葉においては、効果は完全にゼロである。
むしろ、しゃべればしゃべるほどマイナスで、へそを曲げて政府のしてほしい行動の逆をしたくなる。
この結果、人気取り、八方美人、世論調査支持率だけが頼りの政治家たちは、無駄な、余計な、愛想、ばら撒きを国民に行い、強い、妥当な指示を国民にまったく出せなくなる。
びくびくしながら、中途半端なお願いを続ける。
中途半端だから効果はほとんどなく、本当は、自分たちがへそを曲げてわがままだったことが理由であるにもかかわらず、感染拡大の理由をすべて政府の下手な政策のせいにすることが常態化し、素人も専門家も、メディアに習って、政府をひたすら攻撃することになる。
いわゆるポリティカルキャピタル(政治的資本)を緊急事態宣言第2弾で完全に失い、いまやすべての政府の措置は、ポリティカルキャピタルを毀損するどころか、もはや「マイナスのキャピタル」状態で、債務が増加、蓄積する一方になっている。
細かいところを見ても、もう収拾がつかないレベルだ。
なぜか百貨店などの商業施設は休業を要請される。
百貨店でクラスターが発生した例も聞かないし、ロジックもわからない。
問われた田村憲久厚生労働大臣は、百貨店に来るときに人流ができてしまうのが問題だ。
だから、百貨店自体は問題がなくても、人の流れを抑えるために、休業をお願いする、と。
なんだそりゃ。百貨店は訴訟を起こすべきだと思うが、一事が万事、こういった風である。
これでは説得力がない。
「ソーシャルディスタンス」「3密」という流行語大賞ワードは実はまったくの間違い、無意味な概念だった。
要は唾液の飛まつだから、密でも誰もしゃべらない、朝の通勤電車ではうつらない。
逆に言えば、距離があっても、広い空間にたった3人でも、カラオケで感染対策をせずに大声で歌えばあっさりうつる。
データを駆使していないどころか、科学的思考がないどころか、普通のロジック、いやその手前の、少し理屈を考えることすら放棄して、感情的、情緒的に迷走している。
やっているふり、奔走している振りをしている知事たちはそれでいいかもしれないが、実生活はそれではたまらない。
生活にとっては不要不急だが、オリンピックもアリバイ作りのパフォーマンスと違って、実際に事を実行する、実行委員会は現実を考えてしまうと動かざるをえないが、そうなると批判を浴びる。
これでは何もできない。
こうして、日本は迷走をしているのである。
しかし、最も致命的なのは、3回とも緊急事態宣言はそれ自体では、まったく効果がなかったことだ。
つまり、日本政府は感染症拡大を防止する手段を何も持たないに等しいのである。
・「1回目」の正体は「恐怖の支配」だった
では、昨年の1回目の緊急事態宣言は、なぜあんなに効果があったように見えたのか。
まず、そもそもあの時点では、日本の新型コロナ感染の拡大は極めて限定的だった。
もともと危機ではなかったのである。だから、どんなことをしても収まったはずだった。
そして、マスクや手洗いに慣れていたから、拡大のリスクは欧米の他国などに比べれば、大きくなかった。
このとき人々が自粛を狂ったように行ったのは、若い人々が自粛というイベントに興味を持ったからであり、30歳前後から中年にかけての人々にとっては、自粛を推奨するのが賢い行動に見えたからであり、意識高いように見えたからである。
そして、それを裏付けたのがロンドン、ニューヨークの悲惨なテレビ映像であり、欧米の「進んだ」ものをいち早く取り入れるのが、古くから、そして今も日本の「進んだ」人々の行動だと、これらの世代は思っているから、専門家もインテリ風の人々も、今風に言えば意識高い系の人々も「進んだ」「知見」を、実際は風説の流布なのだが、SNSで拡散することに努めた。
この行動は、人々を恐怖に陥れた。
とりわけ、高齢者は「あんたは死ぬ」と脅されたように受け止めた。
さらに、テレビ世代の中高年や高齢者は、芸能人がコロナで死亡すると、恐怖に支配されるようになってしまった。
感情、情緒、印象がすべての行動を支配する。日本においては特にそうであり、日本でなくとも、恐怖の下では、人間はそうなってしまう。
これが極めて「効果的」であったために、人々は異常な自粛を積極的に行ったのである。
したがって、1回目の緊急事態宣言が効いたように見えたのは、緊急事態宣言自体ではなく、欧米がやられたという情報による、恐怖の支配によるものであった。
そして、2回目の緊急事態宣言の効果も、同様に「恐怖による支配」に過ぎなかった。
1回目よりも効果が薄かったのは、政治が「Go To」にこだわり、意味不明の行動をとったこともあったし、2度目で飽きていたこともあった。
それでも年末年始にはそれなりに、自粛が広まった。
しかし、その理由は、緊急事態宣言にあったのではなく、東京の陽性確認者数が、あっというまに1000人という4ケタにのり、それがすぐさま2000人を超えたからであった。
この数字の急増は恐怖を広めた。
この数字に対する恐怖感、東京2000という恐怖感が東京を支配し、なぜか、東京以外も支配し、ついでに「東京2020」への批判、否定的な見解も広まった。
・「3度目の緊急事態宣言」が解除されるとき
では、3回目の今回はどうか。
官邸はずるがしこいことに、実は、この恐怖支配のメカニズムに気づいているのではないか。
今回、もうすでに脅しは2回で使い切ってしまい、これまでのものは何も通じないから、目新しいもの、ということで、やたらに変異ウイルスを繰り返し強調している。
すべては変異のせい。
ワクチンが遅れていても、変異ウイルスには効かないかも、と論点をすり替え、これまでの政策とも矛盾を指摘されても、すべて変異ウイルス、これが世界を変えたかのような主張をして、また人々を恐怖に陥れようとしているようにしか、筆者には見えない。
ここまで官邸に対して邪推をするのも申し訳ないが、少なくとも結果的には、人々を抑制させるのは、恐怖である。
今恐怖をあおっているのは、変異ウイルスだけだ。
いまや、世界の先進国でいまだにコロナパニックになっているのは、日本だけだ。
アメリカ、英国などもすべて前向きで、経済が活況だというデータしか出てこない。
感染者数対比の経済活動の停滞比率のような、いわばコストパフォーマンスのような指標があれば、日本は世界一だろう。
コロナのウイルス自体の危機の程度に対する経済抑制効果の大きさは、世界一だ。
もしウイルスの意思が人間の経済活動抑制にあったとすれば、「ウイルス天国日本」ということになる。
その理由は、恐怖に支配されやすい、感情に支配されやすい社会であることに尽きる。
論理に支配されている社会であれば、感情を利用して政策を行う政権は、すぐに交代することになっていただろう。
日本においては、高齢者は恐怖に支配され、若い世代は欲望に忠実である。
これが、今回の緊急事態宣言が「効果がない」と断言できる理由だ。
そして、効果がなかったとしても、期限である5月11日あるいは短い延長をして、感染状況の大幅改善が実現しなくとも、緊急事態宣言は解除されるだろう。
そのときは「政府官邸は、そもそも、感染抑制のためではなく、政治の都合で緊急事態宣言の発出も解除もしただけだった」という批判を浴びることになろう。
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■緊急事態宣言の効果は絶望的なほどほぼ皆無だ
東洋経済 2021/05/02
https://toyokeizai.net/articles/-/426289
最後3つ目の記事はこちらです。
■4度目宣言「効果あるのか」 苦境飲食店、募る不満―緊急事態初日・東京
時事通信社 2021年07月12日
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東京五輪の開催が迫る中、新型コロナウイルスの感染再拡大を受けた4度目の緊急事態宣言が12日、東京都で発令された。
夜の歓楽街では仕事帰りの会社員らを熱心に呼び込む客引きの姿も。
「効果はあるのか」。酒を提供する飲食店を締め付ける政府の措置に、苦境にあえぐ居酒屋店主や酒類問屋らは反発した。
「お酒あります」。
飲食店がひしめく夜の新宿・歌舞伎町では、従業員らが盛んに行き交う人々に声を掛けていた。
都の感染防止ステッカーと「お酒OKです」の張り紙を並べて掲示した店も。
都職員や警察官が「緊急事態宣言発令中」などと書かれたボードを手に練り歩き、若者らに帰宅を呼び掛ける姿も見られた。
宣言に従い、酒なしで営業する焼き鳥店の店長は「裏手で目に付きにくい店は従っていない。都も指導する様子がない」と不満を漏らす。
近くで飲食店向け広告会社を経営する男性(41)は「営業中の店に客が流れ、宣言の意味がない」と冷めた様子で語った。
要請に応じ、同日から酒の提供をやめた台東区の居酒屋「天正」の女性店長(45)は「宣言に効果はあるのか」と憤りを隠さない。
これまでも時短営業などを続けてきたが、効果を実感できなかったという。
売り上げも感染拡大前の4割程度に沈んだまま。
都内の五輪会場は無観客が決まり、「旅行者の需要もなくなった」と不安そうに語った。
打撃は卸売業者などにも広がる。
「酒だけが悪いのか。納得いかない」。
中央区の酒類問屋には宣言決定以降、注文のキャンセルが相次ぎ、12日は開店休業状態となった。
大会中も五輪会場周辺にある飲食店からの注文は見込めず、担当者は「相当の痛手だ」と肩を落とした。
中野区の問屋「キョクジュ」の男性社長(56)は、政府が休業要請に応じない飲食店との取引停止を求めてきたことに、「商売自体を否定された気分。一度取引をやめると二度と購入してもらえない」と憤慨。
五輪開催の一方で飲食業を厳しく規制する姿勢に、「あまりに矛盾が多過ぎる」と訴えた。
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■4度目宣言「効果あるのか」 苦境飲食店、募る不満―緊急事態初日・東京
時事通信社 2021年07月12日
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021071200852&g=soc
【参考】
■緊急事態宣言による損失 五輪の経済効果を上回る
テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト 2021-07-31
https://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000224194.html
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野村総研は緊急事態宣言による経済損失が、オリンピック・パラリンピックの経済効果を大きく上回るとする試算をまとめました。
試算では、神奈川など4府県に緊急事態宣言が適用されることで生じる経済損失は9400億円としています。
さらに、東京都などでの期限の延長を合わせると、4回目の緊急事態宣言による経済損失は2兆1900億円に膨らむということです。
東京オリンピック・パラリンピックによって見込まれる経済効果1兆6771億円を大きく上回ることになり、五輪効果は「完全に相殺されてしまう計算」としています。
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■緊急事態宣言による損失 五輪の経済効果を上回る
テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト 2021-07-31
https://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000224194.html
なぜか、毎回大型連休に発動される緊急事態宣言。
お盆の時期、お正月の時期、そしてゴールデンウィーク。
大型連休には、なぜか、必ず緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が発令されます。
まるで何かの意図があるかのようなタイミングではないでしょうか。
テレビでは「専門家」と呼ばれる方々が当たり前のことを、当たり前にコメントして、コロナへの不安を煽るばかり。
「ワクチン接種して、家にいなさい」とでも言わんばかりの、同じ発言が並んでいるように感じます。
度重なる緊急事態宣言。
大きな問題は、日本全体の経済への影響です。
緊急事態宣言の影響の少ない業界の方々は、なかなかピンと来ないお話かもしれません。
ただ、飲食店やサービス業などは、その影響力は計り知れません。
実際、店舗運営や接客する業種に従事する人数は非常に多く、倒産による失業やボーナス等の手当て削減などの影響は大きいのではないでしょうか。
また、飲食やサービス業との取引する業者も多く、卸や生産者、製造業にも、その悪影響は広がっていきます。
さらに、官公庁等の公的サービスも一部ストップする影響から、都市機能の一部も停止するという影響も避けられません。
「私は飲食業でもないし、接客業でもないから関係ない」という方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、間接的に、都市機能の停止、経済行動の縮小、お金の循環等、地域地域の経済の縮小悪化は、ボディーブローのように、その町全体に広がっていきます。
地方経済の縮小や悪化は日本全体に広がり、「関係ない」と言われる業種にまで不況は影響していきます。
日本経済の悪化は中小企業のみならず、日本を代表する大企業の業績にまで影響を与え、リストラや多くの社員のボーナス等賃金にも悪影響を及ぼします。
個人個人の収入が減少すれば、さらに消費は停滞、ますます日本経済は悪循環にはまっていきます。
緊急事態宣言不況ともいえるのかもしれません。
そして、この緊急事態宣言の大きな問題は「経済悪化」だけにとどまりません。
大型連休での移動制限は「家族との絆」にも影響を及ぼします。
長い間、親や親戚、旧友と会わないままですと関係性は薄れていきます。
離れ離れでコミュニケーションもなくなれば、その関係性や絆は薄まっていくのではないでしょうか。
私は、実は、これが緊急事態宣言における最も大きな弊害だと考えています。
なぜなら、私は、人と人との絆が、私達日本人にとって、非常に大事なものだと思っているからです。
農耕民族の日本。
力を合わせて農作物を育て、収穫してきました。
力を合わせて魚を取り、力を合わせて様々なモノを製造してきました。
「力を合わせて」日本の経済を作り上げてきました。
戦後、何もない日本の、唯一の武器。
それが「絆」。
兄弟や家族、友人や先輩後輩。
勤務先の方々とも力を合わせて様々な苦難を乗り越え、大きなプロジェクトを成し遂げてきたのが、日本ではないでしょうか。
身近な人々との「絆」が、人間関係における「信用・信頼」を生み出してきたのかもしれません。
日本人が、例え、初めて会った方に対しても「信用・信頼」を持ちえたのも、身近な方々との「絆」が背景にあるのではないでしょうか。
それが「日本人の思いやり」の原点かもしれません。
「思いやり」は、身近な方々との絆や信頼関係があってこそ、持ちえると言えるのではないでしょうか。
ただ。
度重なる緊急事態宣言。
この人間関係の分断により、日本の大きな価値「絆」が薄らぐ可能性があります。
緊急事態宣言と、まん延防止等重点措置による人間関係の危機。
コロナの危機、経済の危機も大きいですが、この人と人との「絆」の危機は、最も日本にとって大きな打撃となるのではないでしょうか。
そういえば、以前、あるアンケートで、死を迎える方々が最後に残した後悔のランキングを見たことがあります。
その上位に連ねていたが、家族や友人との関係性でした。
疎遠になった方々との復縁や、もっと自分から積極的に声をかけて会っておくべきだった、という内容でした。
人との関係は、辛いこともあります。
ただ、何事にも代えがたい「幸せ」とつながっていることも多いのかもしれません。
そこには、人生における、かけがいのない「一番大切なモノ」が、あるのではないでしょうか。
今一度、私たちは、緊急事態宣言によって失うものは何か、しっかりと深く、考えることが必要なのかもしれません。