ワンライフ ~島の暮らしのNPO~

NPO法人「小笠原ネイティヴエコロジーライフ(ONE LIFE)」の活動内容、よもやま話などを紹介していきます。

村上春樹、ありがとう!

2011年06月13日 | 東北関東大震災

先日、作家の村上春樹がスペインの授賞式でスピーチをしました。
その内容がとても素晴らしかったので紹介したいと思います。

毎日新聞
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html

以下記事前文

『 9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)

 「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

 日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)

毎日新聞 2011年6月10日 19時00分』


私たちは今回の震災で、原発事故で本当に見過ごしていた大切なことに気付かされました。
あとは、思い、感じ、動きましょう!

ジャイアン


アースデイ イベント第2段 「ぶんぶん通信」上映会!!

2011年04月26日 | 被災者支援

 

アースデイイベントNo2 4月22日 「ミツバチの羽音と地球の回転」のメーキングDVD「ぶんぶん通信」

の上映会を行いました。内容は祝島での原発反対運動と祭り、スウェーデンでの自然エネルギーについての

取組などです。

昼の部の司会はリエちゃん、ちょっと緊張ぎみ!

昼の部は託児所も開設、主婦を中心に19人が集まり上映後のワールドカフェ(グループミーティング)

もかなり盛り上がっていました。

夜の部はなんと40人も参加者があり意義のある話し合いができました。

参加された皆様、ありがとうございます。スタッフのみなさんお疲れ様でした。

 


EARTH DAY 2011

2011年04月25日 | アースデイ

2011年4月17日   アースデイイベント ハートロック裸足ハイク!!

徳さんが被災地支援で不在のためマークがハートロックカフェをやってくれました。今年はボニンコーヒーを用意しました。おいしかったね!!

天候にも恵まれ47人の参加がありました。

歌、楽器、詩の朗読、太極拳、ヨガと盛りだくさんのメニュー

裸足で地球と、両手で仲間と、心地よい繋がりを楽しみました。

 


東北関東大震災支援ボランティア募集について

2011年04月21日 | 被災者支援

ワンライフのメンバーの村井さん(島の機械整備士)が現在被災地でボランティア作業をしています。
そこで、同乗者を緊急募集しています!

■同乗者の募集 最大2名 ネットの出来る人
 (現地でボランティア活動する場合は車中泊もしくはテント泊)

■活動支援金の募集
 ・七島信用組合 普通 小笠原支店  0001731
             ムライサービス ムライ トクシロウ
 ・ゆうちょ銀行 支店名 058 0五八(注意、この数字です。)
             普通 0599200

 ●活動内容
  ・機械修理・車両メンテナンス・重機修理・捜索(エンジン付きゴムボート利用)
  ・高所作業(ロッククライミング用品活用)・配管漏れ対策
  ・大工作業など少々特殊支援。  有償・無償にて活動

●活動期間
  五月中・下旬まで。 
  活動資金が続くまで、活動資金に余裕が有れば、六月中旬から再度活動資金が続くまで。

■連絡先
  携帯メールアドレス  bonin8121@docomo.ne.jp

    携帯ショートメール  090-4728-3168

※追伸 ・同乗者希望の場合は、いつでも可、
     又個人で用意する物品が有りますので連絡を(特に排泄物ようフタ付バケツ)。

    ・途中同乗を辞めたい場合二、三日前に申告を。
    ・車の燃料代は、シェアを基本。
    ・食料は、300食分(米)・ラーメン80色・レトルトカレー60食有ります。
     1食当たり300円を予定。
     野菜は、個人購入かシェアーで。
    
    *活動での生活は、厳しいので覚悟してください。
     ただし無理はせず活動期間が長いので頑張りません。
                             活動期間途中秋田県


東北大震災チャリティーバザー開催!!

2011年03月28日 | 被災者支援

 

会場は大賑わい!!

ONE LIFEも出店 しました。

ソリエの力作

エネルギー、 原発、家庭菜園、ストッコ、についてのパネル展も開催しました。

りえちゃん ちかちゃん チートン アズ まんぞう がんばって書いてくれました。

 

野菜の苗を販売しました。6200円が売りあがりました。

手作りエコグッズも販売、チートンがずっと頑張って売ってくれました。

5980円の売り上げ!!

被災者受け入れの提案もしました。

外来種駆除により殺して埋めているヤギについて有効利用の署名をやりました。

アカギの選定木で焼いた天然酵母 パンドコンプレも販売しました。

店を出している内に完売してしまったそうです。

マーク作ONE LIFE看板 アートだね!!

左下に書いてある言葉が今回のONE LIFEの行動のすべてを現わしそうです!!

Give a man a fish. Feed him for a day.

Teach a man to fish. Feed him for llife.

考えてみてね!!

 

 

 

 


東北関東大震災支援について

2011年03月27日 | 東北関東大震災

地震の被害にみまわれた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
ここ小笠原では大津波警報で一時避難はありましたが、大きな被害はありませんでした。

しかし、生活物資のほとんどを本土に依存しており、
島内でも本土からの食糧・燃料が来ないのでは?と不安を持ち、
村役場からの案内にもありましたが、
節電、節エネルギー、文化・運動活動の自粛が促されました。
日本赤十字社への募金も島内各所に設置されました。

そんな中、被災地に向けて自分たちにできることはないかと、
多くの人が考え・動き・ワンライフでも現在調整中です。

「島の自給」を目標に活動しているワンライフにとって、
より島内の食糧生産、新しい持続可能な暮らしを実践することを急務とし、
さらに自分たちが今の暮らしを維持しつつ、
さらに被災した皆様に今できる事を模索しています。
詳しくはホームページをご覧下さい。

また、今周りに土があり種がある方へ。
種を蒔きましょう!

●友人より、皆さんでシェアしたいです↓

・原爆被災時の医師対応
http://otsukako.livedoor.biz/archives/30327358.html

・世界からの祈り
http://www.youtube.com/watch?v=IxUsgXCaVtc

・祈りのメッセージ
「皆さん
どうかお願いがあります。

みなさんからの祈りをお願いします。
 
今、福島原発で、
命がけで我々の国この日本を、
日本国民を、
あなたを、
あなたの家族を救う為に、
懸命に仕事をしている人々がいます。
 
どうか祈って下さい。
 
作業が成功することを。
自衛隊特殊化学防護隊の隊員たちは志願者です。
しかも年齢は55歳から上で、
もう子育ても終わったので、
思い残す事は無いと志願者となったようです。
 
その様な志願者が50名。
時事通信社の記事があります。
東電が全国の電力会社、協力企業に助けを求めました。
志願者です。
 
決死隊として原発の内部作業をする原発関係者のベテランを募ったのです。
 
中国電力の原発勤務40年というある男性が、
この作業は自分達のようなベテランがやるべきだ、
自分は定年まで後一年であるし、
子育ても終わったとして志願したそうです。
 
ご家族は、
静かに思いを語る自分の夫であり、
子供たちの父親の決意に、
何も言えなかたそうです。
 
その方の娘さんは、
今までと違う父のもの静かな顔を初めて見たそうです。
 
翌朝、いつも出勤する時のように、
『じゃあ、いってくる』と言って玄関を出たそうです。
 
原発での作業中は、放射線による被爆があります。
 
国が定める限界被爆単位100ミリシーベルト。
それが250ミリシーベルトになりました。
何故なら彼等が望んだからです。
100ミリシーベルトではすぐ時間が経ってしまい数分では作業ができないからです。
だから彼らは国に250ミリシーベルトに上げてくれと言いました。
その為の自分たちへの被爆量は覚悟の上です。
 
そのおかげで、
昨日、あと一歩で臨界点と言う所で臨界が止まったのです。
 
もし臨界点に達していたら…
 
私達は今、
この時を
この時間を
過ごしていません。
 
家族と恋人と仲間、
友人とこの時間が無かったかもしれないのです。
半径300キロ生物の生存率は、
限りなくゼロに近かったんです。
 
今のこの時間は、
彼等のおかげなのです。
お願いです。
みなさん祈ってください。
作業が成功するように
祈ってください。
 
みなさんの思いを送ってください。
 
放水作業が無事終わりました。
 
明日の作業も成功するように…。
 
隊員たちが無事であるように…。
 
どうか祈ってください。
どうかお願いします。
 
そして家族、友人、仲間、一人でも多く方々に
知ってもらい、
祈って欲しいので伝えてください。
お願いします。」


この冬の母島畑

2011年01月22日 | Weblog

母島、今冬の畑はというと、
春菊、小松菜、チンゲン菜、大根、伏見甘長とうがらし、博多長ナス、ゴーヤが収穫できています。


大根とからし菜はこぼれ種で次々に発芽して大きく育っています。
本来シーズンのトマトは遅れに遅れて、今やっと花を咲かせています。
昨日は1歳の次女・と冬野菜の最後の種まきをしました。

もう来月からは春・夏野菜の作付け開始です。(スイカ、メロン、ピーマンなど)
母島の亜熱帯気候ではもちろん日本本土と作付け時期が大きく異なります。
百姓初心者としてはおおいに悩むところです。
島の農家さんに時期を教えてもらい、介護の仕事の時は年配者から昔の作付けを聞きほじっています。

皆さんが普通に食べる野菜の栽培は島では少数派です。
耕作面積の小さい島では主に換金作物(トマト、パッション、オクラ等)を栽培するのが主流です。
なので、葉物や人参、大根、里芋、サツマイモ、生姜など普通の野菜は島ものはごく少数なんです。
島の自給率アップのために普通野菜を頑張りましょう♪

自給率5%以下の島の現状。
これはかなりヤバイです。
日本の縮図です。
これからはグローバルではなくローカルな循環社会を目指さないと暮らしが続きません。
小さな一歩ですが、僕にできることからやっていきたいと思います。
そして、子供たちにそれを伝え、遺していければと思います。
頑張るぞー!

ジャイアン


2010 ワンライフ GIVEME リスト

2010年12月08日 | Weblog

同じく、GIVEME のリストです。


ジャンル 内容               人


島の野菜、果物                ぐれちえ


島特有の野菜の種。            バリトン
畑手伝い                    ジャイアン
野良仕事手伝い全般            ジャイアン
バナナの小さな苗              みかみ




生活

子守                            りえ
子守                            ちか
棚、机を作って欲しい                 りえ
事務所の整理、事務の手伝い           良一
雨の日の小曲から東町の車の相乗り。      バリトン
急に診療所に行く時やどうしても車でなきゃ行けないときの車の貸し出し     すがちえ
台風養生が必要な場合、情報を知らせて欲しい                     康子
英語を教えてほしい                                       チキラ
船外機付きアウトリガーカヌーを売りたい人、                       岡崎
 貸したい人と置く場所に関する情報  
父島の賃貸部屋、事務所、倉庫、不動産に関する情報                 岡崎
物干し竿                                              みかみ
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パソコンなどメカ系

パソコンのHPづくり                              りえ
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レンタル

カヤック       ジャイアン


その他
  
 仕事のお休み。 バリトン
 著作権・肖像権フリーの小笠原で撮影された写真(自然、風景、               ばっぷ
 動植物、水中写真、人、暮らし、祭りなど・・・タテヨコのサイズが
 1200x1600ピクセル以上で、雑誌・書籍への掲載に耐えうるレベルのもの)
個人ブログ、ウェブサイトなどで月刊ウェブマガジン                        ばっぷ
『地球放浪』をご紹介ください



以上です。


2010 ワンライフ GIVEYOU リスト

2010年12月08日 | Weblog

先日ぐれちえちゃんがまとめてくれたGIVEYOUの表です。

表形式だと容量が足りないらしく、テキストでUPしてみました。

 

ジャンル  内容                                          人 
                                               
食 

 パン作り                                     りえ 
 パン作り                                    すがちえ 
 パン作り(天然酵母または白神こだま酵母)              ぐれちえ 
 天然酵母のパンをたき火で焼くこと                   良一 
 黒米(差し上げます)                            りえ 
 パパイヤのお裾分け。                          バリトン 
 ケーキを焼く(種類は要相談)                      ぐれちえ 
 お袋直伝のキャロットケーキ(材料は島物ではありませんが)  ちきら 
 ベジタリアン向けの料理や、知識をシェア出来るかも…     みかみ 
   
   
農 

 木をきること                                      良一 
 植物の水遣り、簡単な草刈(1時間程度)               りえ 
 農作業手伝い、草刈                                ぐれちえ 
 自然農情報提供                                 ジャイアン 
 家畜世話代行                                    ジャイアン 
 自家採種の種提供                                 ジャイアン 
 母島農作物集め                                 ジャイアン 
   
   
漁 

 ササョなら欲しい方は銛でついて来ます。               良一 
 釣行時、大漁のときのお裾分け。                   バリトン 
   
   
生活 

 子守(1歳以上くらいから)                      りえ 
 子守                                     すがちえ 
 子守                                     ぐれちえ 
 子守                                     ちか 
 犬の世話(メス犬に限る)                       りえ 
 犬の散歩                                  すがちえ 
 お茶飲み(紅茶、フレーバードティーを用意してお相手します)                        りえ 
 車あづかります(港への送迎など)                                              りえ 
 島富屋カーは一日2回近く街に行くので、時間が合えば乗り合い可。(昼12時前、夕方4時前)      りえ 
 欲しいものがあゆみの店にあるかの、まめなチェック                                         すがちえ 
 街の用事の代行(ただし、わたしの仕事が街、勤務のときだけ)                                すがちえ 
 モーニングコール                          すがちえ 
 緊急時などの送迎                          ぐれちえ 
 縫い物(簡単なもの)                        ぐれちえ 
 内地での用事                           康子 
 女の子の洋服・雑貨                       康子 
 上京中の家の管理                        ジャイアン 
 衣装、小道具作り                          ちか 
 テレビ番組録画                         等史 
 Podcast 録音                          等史 
   
   
健康 

 太極拳教えます。                                  クニ 
 ヨガ                                            ちか 
 マッサージ                                       ちか 
 マニアックな呼吸法や浄化(クリヤー)の方法教えます     みかみ 
   
   
趣味 

 シーカヤックとサーフィンなら教えてあげられます。         良一 
 阪神タイガースの応援。                          バリトン 
 ジョギングや山歩きを一緒にやれる                   すがちえ 
 山歩きのお供                                   ぐれちえ 
 ディジュやベースギターでセッション(腕前はともかく)      ちきら 
 挿絵かき(ごく簡単なものなら。。)                      りえ 
 アウトリガーカヌーの指導(子供クラブを結成したい。      良一 
 まずは小学校低学年くらいから)  
   
   
パソコンなどメカ系 

 自転車の修理、整備、パーツ交換・取り寄せ。                      バリトン 
 自転車修理                                                ジャイアン 
 ステレオ装置などのセッティングや接続。                        バリトン 
 パソコンのハードの増設、調整。                               バリトン 
 OSの再インストールや外付け機器の増設。                    バリトン 
 パソコン教えます(エクセル、フォトショップ、ホームページ作成)        ジャイアン 
 電子書籍づくり(アドバイス、編集・デザイン・レイアウト、配信まで)    ばっぷ 
  *但し、データ容量・制作内容・配信形態などに制限や規制が  
    あるため詳細については要相談。  
 ウェブサイトなどのデザイン・コピー(文章)制作                   ばっぷ 
 パソコンの技術                                           岡崎 
 インターネットにおける需要の調査と集客                       岡崎 
   
   
レンタル 

 ボディボード                                               ちか 
 ベースギター                                              ちきら 
 soul、funk、jazzbossa等のCD                            ちきら 
 ヨガや楽健法、マクロビ系のマニアックなな本                     みかみ 
    ロードバイク・MTB (身長などサイズ相談の上で)         バリトン
   
   
   
その他 

島に居る時で良ければ、良ちゃんの事務所整理、事務の手伝いしますよ          康子 
 生き物についてお教えできます(鳥や鯨はいつでも、昆虫や                 ちきら 
  カタツムリなどその他は知り合いの研究者の方々に問い合わせます)  
 個人的な悩みを紐解く当事者研究のやり方についてお話できます             みかみ 
   
   

 

以上です。

なにかありましたらバリトンまで連絡ください。


コーヒーの木、現況 2010年11月

2010年11月19日 | 父島 農

ワンライフ農園の最初のコーヒーの木は順調に実をつけています。

初年度に植えた苗も粗放的な農園活動の中、立派に成長しています。




ただ、今年植えた苗が切り開いた斜面が中心だったこともあり、
木立でなくホナガソウなどの草木におおわれて、
あまりよろしくない状態になっております。




農園に行った方、歩きで侵入できる場所から、
苗を抜いたり折ったりしないよう、すこしづつハサミなどで、
草のジャングルからコーヒー苗を救出しましょう


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