ONCC 6期生「歴史と文学の魅力に迫る」摂津教室

魅力の若井先生・鈴木先生・斉藤先生に学ぶ特別講座

第18回講座:日野富子

2018-11-15 | 日記

11月12日(月)鈴木先生

日野富子

1440~1496年。 室町幕府8代将軍の正室(御台所。応仁の乱のとき、政治を意欲を失った義政に代わり、幕政に関与。実子の足利義尚を9代将軍に。

(1)日野富子のイメージ

①「応仁記」

富子が我が子義尚を将軍の後継者とすべく、山名宗全と結び、義視(義政弟)を推す細川勝元と対立→応仁の乱

  富子が応仁の乱の元凶

②「応仁記」の問題点

「応仁記」は、応仁元年(1467年)の記述のみ(乱終結は1477年)

1467年8月には、義視は細川勝元を中心とした東軍から離脱し、山名宗全を中心とする西軍へ→記述なし

富子、義尚は一貫して細川勝元と行動を共に→「応仁記」は半世紀のちの創作とする見方

 

(2)足利義政の将軍就任まで

①「籤引き将軍」

②6代義教の恐怖政治

鎌倉府、守護大名、公家、寺院などすべての階層に弾圧

日野家の大弾圧

嘉吉の変(1441年)

③兄の早世と将軍就任

7代義勝(父義教、母日野重子、義政兄)早世(1443年)→弟義政(14歳)8代将軍に

(3)義政時代の政治(応仁の乱以前)

①義政執政の特質:1443~1449年 将軍不在期→管領による政治

1449年 義政、将軍に就任

1455年 日野富子、義政の正室となる

②飢饉:1459~1473年 不作、飢饉、疫病

義政、室町御所改築

③将軍後継者

1464年11月 弟義視を還俗させ養子に

1465年11月 富子に義尚誕生

(応仁の乱)

①幕府内の二大勢力の形成

管領である畠山・斯波氏

細川(管領)・山名氏(侍所長官)

②乱の勃発

1467年正月 畠山両派の衝突

     5月 細川勝元派と山名宗全派の衝突

細川勝元派(東軍)対山名宗全派(西軍)

 

③乱の経過と富子の執政

1472年 戦意を喪失した細川勝元と山名宗全が内々で和平交渉←周囲の反対

1473年 山名宗全(70)、細川勝元死去(44)

義尚9代将軍に就任(9歳)

1474年 講和成立

1477年 富子、西軍の義統に1000貫文貸し付ける(或いは譲渡か)

 →富子は財力で乱を最終的に終活させた

 又、財力は乱で困窮した朝廷に対して多く使われた(天皇に居処を提供(内裏は戦火焼失)、内裏修理、多額の献金など)

 →公家から感謝、執政したために財が集積し、また多額の財を政治に使う

④義政と富子のその後

将軍職は義尚に譲ったが、寺社統制権とそれに付随する外交貿易権は譲らず→貿易による莫大な富を掌握

1490年 義政死去→富子出家、政治の第一線から退く

(5)日本中世の女性

①女人政治

前関白、一条兼良→日野富子「小夜の寝覚め」(教養、修養の書)

②ルイス・フロイス「日欧文化比較」にみる日本の女性の独立性

 

 


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