4月22日(火) ティエンイの物語(フランソワ・チェン著)
ひとりの人生のすべてがこめられた本は稀である。もっと稀なのは、さまざまな人たちの人生を奥深いところで結び合わせた本だ。
稀ななかでも、さらに稀なのは、異質なふたつの世界をひとつに繋ぎ、それらのあいだに、不可思議にして普遍的な意思疎通を魔術のように紡いでいるものは何か、それを感じとらせてくれる本である。フランソワ・チェンが、このみごとな作品において成し遂げたことである。
――ジャン・マンブリノ
日中戦争から、内戦を経て共産党政権の樹立、中華人民共和国の大躍進政策とそれにつづく大飢饉、そして文化大革命……。
そこに生きた三人の男女、語り手のティエンイ(天一)、彼が「戀人」と呼ぶユーメイ(玉梅)、「友」と呼ぶハオラン(浩郎)の天職と運命を滔々と描く。愛と友情はひとつになって三人をつなぎ、誰かひとりが欠けたら、他のふたりの人生はありえないほどに強い絆が、読む者の胸を打つ。
革命を逃れて二十歳でフランスに渡った著者が七十歳を前に、ありえたかもしれない別の人生を自らに重ねて書いた小説『ティエンイの物語』は、
広く感動を呼んでフェミナ賞を受賞。詩人書家フランソワ・チェンは2002年、アジア人として初めてアカデミー・フランセーズ会員に選ばれている。
4月29日(火) フランス組曲(イレーヌ・ネミロフスキー著)
父は別れ際、長女ドニーズに小型のトランクを託した――「決して手放してはいけないよ、この中にはお母さんのノートが入っているのだから」。[…]憲兵の追跡をかわして逃げのびていく日々、ドニーズは父の言葉どおり、子どもにとってはかなり重いトランクを懸命に運び続けた。[…]ドニーズはそれが母のプライベートな日記のようなものなのだろうと考えていた。ところが実際には、それはイレーヌ・ネミロフスキーが不吉な予感にとらわれながらも、それを振り払うようにして書き続けていた最後の長編小説だったのである。その内容は2004年、ついに一冊の本として出版された。
本書はトランクの中から忽然とよみがえったその作品の全訳である。(解説より)
20世紀が遺した最大の奇跡アウシュヴィッツに散った作家のトランクに眠っていた、美しき旋律―1940年初夏、ドイツ軍の進撃を控えて南へと避難するパリの人々。占領下、征服者たちとの緊迫した日々を送る田舎町の住人たち。それぞれの極限状態で露わとなる市井の人々の性を、透徹した筆で描いた傑作長篇。’04年ルノードー賞受賞。
1940年初夏、ドイツ軍の進撃を控え、首都パリの人々は大挙して南へと避難した。このフランス近代史上、最大の屈辱として記憶される「大脱出」(エクソダス)を舞台に、極限状態で露わとなる市井の人々の性を複線的かつ重層的に描いた第一部「六月の嵐」。ドイツ占領下のブルゴーニュの田舎町を舞台に、留守を守る女たちと魅惑的な征服者たちの危うい交流を描く第二部「ドルチェ」。動と静、都会と地方、対照的な枠組みの中で展開する珠玉の群像劇が、たがいに響き合い絡み合う。
著者は1903年キエフ生まれ。ロシア革命後に一家でフランスに移住したユダヤ人。42年アウシュヴィッツで亡くなった。娘が形見として保管していたトランクには、小さな文字でびっしりと書き込まれた著者のノートが長い間眠っていた。命がけで書き綴られたこの原稿が六十年以上の時を経て奇跡的に世に出るや、たちまち話題を集め、本書は「二十世紀フランス文学の最も優れた作品の一つ」と讃えられて2004年にルノードー賞を受賞(死後授賞は創設以来初めて)。フランスで七十万部、全米で百万部、世界でおよそ三五〇万部の驚異的な売上げを記録(現在四十カ国以上で翻訳刊行)、映画化も進行中である。巻末に収められた約八十ページに及ぶ著者のメモや書簡からは、この奇跡的な傑作のもう一つのドラマが生々しく伝わって来る。流麗なる訳文で贈る、待望の邦訳。
全体が5部構成、総ページ数一千ページという巨大な一巻になるはずだった。1940年11月から、逮捕される42年7月までのたった1年半程度で第1部、第2部の全てが書き上げられたという事実に驚くとともに、執筆のための紙がなくなることを恐れながら、薄い紙に愛用のブルーのインクで極度に小さい文字をびっしりと記し続けたイレーヌの必死の努力があった。
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