「名もなき道を」
著:高橋 治
~あらすじ~
かつて、旧制高等学校で教師を務めていた男は、自分の死に際して、ある一人の生徒を思い出す。「あの男の人生はなんだったのか。自分は教師として、本当に彼に尽力したのか…」そこで、元教師の意識は途切れ、回想に入っていく。回想は、元教師が聞き役となりながら、かつて生徒だった一人の男を廻る様々な立場の人間が、「彼」にまつわる思い出を語っていくというもの。「彼」とは、田舎のたった一つの病院の跡取り息子として生まれ育ちながら、医者とはならず、司法試験を20数回、落ち続けたあるいは受け続けた…。そしてその志し叶わず、不慮の死を遂げた男。
残念ながら、今は諸事情により絶版になっているらしく、私は図書館で借りて読みました。
ドラマチックな展開があるわけではなく、ただ一人の男の人生を、老教師が辿りゆく物語です。しかし、生涯に二十数回司法試験に挑み続けたというだけでも、人は「なぜ?」と思うでしょう。老教師もまた、「なぜ」と思い、かつて教えた忘れ難い生徒を訪ねてゆくのです。そして初めて知る彼の過去や生い立ちで、解けゆく謎もあれば、さらに深まる問いもあります。
老教師は決してその元生徒の男の人生に、「こうだったのだ」という納得も評価も、最後まで持てないままだったと思います。一人の男の人生を「果たして彼は幸せだったのか」と問い続ける老教師。私はそこに、この物語の救いがある様な気がしました。老教師だけでなく、その元教え子をめぐる様々な立場の人間が、「彼は幸せだったのか」と考えるのです。そして「自分は一体彼に何を出来たのだろうか」と。
そして、高橋治さんの骨太でありながら繊細に心の襞を描く筆致が、ぐいぐいと物語を読ませてくれました。高橋さんの筆には、その元生徒である男を限りない優しさでもって描き、理解しようとした息遣いが感じられました。
人が生きる意味とはなんなのか。タイトルの「名もなき道を」は、旧制高等学校の寮歌だそうです。人は誰しも、名もなき道を、今日もただひたすらに歩いていくしかないのでしょうか。
著:高橋 治
~あらすじ~
かつて、旧制高等学校で教師を務めていた男は、自分の死に際して、ある一人の生徒を思い出す。「あの男の人生はなんだったのか。自分は教師として、本当に彼に尽力したのか…」そこで、元教師の意識は途切れ、回想に入っていく。回想は、元教師が聞き役となりながら、かつて生徒だった一人の男を廻る様々な立場の人間が、「彼」にまつわる思い出を語っていくというもの。「彼」とは、田舎のたった一つの病院の跡取り息子として生まれ育ちながら、医者とはならず、司法試験を20数回、落ち続けたあるいは受け続けた…。そしてその志し叶わず、不慮の死を遂げた男。
残念ながら、今は諸事情により絶版になっているらしく、私は図書館で借りて読みました。
ドラマチックな展開があるわけではなく、ただ一人の男の人生を、老教師が辿りゆく物語です。しかし、生涯に二十数回司法試験に挑み続けたというだけでも、人は「なぜ?」と思うでしょう。老教師もまた、「なぜ」と思い、かつて教えた忘れ難い生徒を訪ねてゆくのです。そして初めて知る彼の過去や生い立ちで、解けゆく謎もあれば、さらに深まる問いもあります。
老教師は決してその元生徒の男の人生に、「こうだったのだ」という納得も評価も、最後まで持てないままだったと思います。一人の男の人生を「果たして彼は幸せだったのか」と問い続ける老教師。私はそこに、この物語の救いがある様な気がしました。老教師だけでなく、その元教え子をめぐる様々な立場の人間が、「彼は幸せだったのか」と考えるのです。そして「自分は一体彼に何を出来たのだろうか」と。
そして、高橋治さんの骨太でありながら繊細に心の襞を描く筆致が、ぐいぐいと物語を読ませてくれました。高橋さんの筆には、その元生徒である男を限りない優しさでもって描き、理解しようとした息遣いが感じられました。
人が生きる意味とはなんなのか。タイトルの「名もなき道を」は、旧制高等学校の寮歌だそうです。人は誰しも、名もなき道を、今日もただひたすらに歩いていくしかないのでしょうか。