ヨコワ漁に同行させてもらった。
早朝3:00、出漁するかどうかの確認の電話を漁師にかけ、4:30に港へ。
冬のこの時間は、夜の闇。
漁師のおかみさんが見送ってくれ、漁場へむけて出航した。
ここ数日は順調にヨコワが釣れているそうで、漁場は隠岐の島・五箇沖。
燃料を節約するため、速度を落として航行。
めざす灯台を教えられ、舵を任される。海は時化。舵を取られ、ふらつきながら進む。
遠くに見えるのはイカ釣り漁船幸丸。きっと大漁だろう。
漁場に着いたのは6:30前。仕掛けのセットからやらせてくれる。
水の抵抗で仕掛けが潜るように設計された潜航板の先に擬餌針がついた縄を船でひっぱる。
水中では潜航板が踊り、仕掛けがヨコワを誘う。
さあ、どうだ。
いきなり、4つの仕掛け全部にヨコワがかかった。
今日は大漁になる、という思いが頭をかすめた。
見よう見まねで魚を引き上げ、船内の生簀へ。
このヨコワは生きたままマグロ蓄養業者に出荷するため、一切手を触れず傷つけないように注意を払わなければならない。
その後、何尾か追加したものの、夜明けの狙い目の時間は終了。
切れた仕掛けを直していると、手元に集中したせいか一気に船酔いに見舞われる。
耐えれなくもないが、無理をして邪魔になるといけないので優しい言葉に甘えて30分横になった。睡眠不足もあったのだろう。短い時間で夢を見た気がする。
「大丈夫か」の声で目を覚ました。
外に出て仕掛けを見ると、潜航板が浮かんできた。かかった。
急いで仕掛けを引き上げながら、体調が回復しているのを確認。
そこからまた、ぽつぽつと釣れ続ける。
いつもそうだが、釣っている最中はどんなに揺れても何ともない。
しかし、どんどん海は荒れ、船内に波しぶきがかかるようになる。
まさに冬の日本海。
自然と「兄弟船」の歌詞が思い出された。なるほど、漁師と演歌は合うはずだ。
本命はヨコワだが、シイラが釣れたりマルソウダが釣れたりする。
遊びの釣りと違い、外道が釣れた時のがっかり感が著しい。1円にもならないので少しでも早く海に返し、仕掛けを投入する。
この日は、午後からさらに海の状況は悪くなる予報だ。同じ漁場に来ていた漁師たちが帰り始めたのを機に、10:30に仕掛けを引き上げた。
そこから海上生簀までまた2時間。荒れ狂う波をかき分け、船は進む。
行きとは違い、体が慣れて船の揺れが心地よく感じられた。
この日の漁獲は全部で30尾ほど。
前日と比べるといまいちだったようだ。
港に帰り、出荷しなかったヨコワをいただいた。
いままでとはちがう、1尾のありがたみ。
この魚を獲るのがどれだけ大変か、身をもって知った。
「稼ごうと思ったら少々の時化でも漁に行かないと」などと思ったこともあった。
口で言うのは簡単。やってみろって。反省した。
養殖の国産マグロがいかにして人々の口に入るのか、想像してみてほしい。
いや、見てほしい。
ここが出発点で、様々な人の苦労があって届けられる。
一方で、求められていない魚をたくさん取りすぎているのも事実。
値段が安く売られるのは、需要と供給のバランスが崩れているから。
それと、市場における情報のミスマッチ。
これだけの苦労をして獲った魚をいかにして食べる人の喜びに変えるか。
使命感を強くした貴重な1日となった。
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