1960年代生まれの音楽めも。

あの時観た映像や好きな音楽をクリップしておくブログ。

う~む。

2016-02-17 21:17:12 | その他
一連の流れ?繋がりで。

日本国憲法には「精神的自由」と「経済的自由」という概念があり、いま「精神的自由」が危機に面しているのかもなのだそうですね。
 ・憲法をわかりやすく
 ・精神的自由 経済的自由
そしていま、報道は危機に面しているのかもなのだそうです。
 ・「週刊ポスト2016年2月26日号」2016年2月17日
 ・再び

イマの時の趨勢、時代の先端の姿、ということなのか?それとも?

 2016年2月22日追記。
  ・気のせいかもしれないし、気にしすぎなのかもしれないけど、やっぱり、なんかヤバくない?
   ・やっぱり、ヤバい?
  ・「(若者の)政治への関心を社会にアピールした」という記述が、ちょっと気になる。
   「安全保障関連法に反対をアピール/賛成をアピールした」という記述なら、個人的には安心するんだけど。
   その記述が彼らの気持ちの的を射ているのだとすると、「安全保障関連法に反対/賛成」が主眼なのではなくて、
   「若者は政治に関心を持っていると思ってもらいたい」が主眼みたい。
   ・何を誰にアピールするのか。複雑な気持ちにさせる記事の記述(の仕方)

 2016年3月2日追記。
 「自主規制とか忖度とか、過剰同調圧力やそれによって生じる萎縮が今ぐらい蔓延(まんえん)していることはない」。
  ・「私たちは怒ってる」高市氏発言に抗議 岸井氏降板語る(朝日新聞)|dメニュー(NTTドコモ)
   そうなのか。もしかしてだけど、いま流行の「コミュ力」っていうのは、正確には「いま流行の“『コミュ力』という言葉を使って他人を脅す手合”」は、
   もしかしたらこれとシンクロしている?または、これの別名の可能性あり?
   生きて生活していて、「コミュ力」がゼロでいいってことはあり得ない。でも一方で、社会のなかでの役割や立場や原則を無視していいってこと
   にはならない(もっと広く一般に、「正しさ」がゼロでいいってことにはならない)。
   ゼロとか過剰とか、「コミュ力」と「原則(正しさ)」の間で、どちらの極端(偏り過ぎ)もヤバい、大事なのはバランス、ということなのかも。


コメントを投稿