1960年代生まれの、音楽メモ。

あの時聴いた音楽や好きな映像をクリップしておくブログ。

強要(罪)。

2015-05-03 00:19:19 | その他
携帯のニュース。 強要クレーマーへ反撃 2015年04月30日 14時00分

強要罪というのがあるのですね。「他人の自由や権利を否定しまた破壊する人」 繋がりで。

「刑法第223条1項には『生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する』と規定され、その未遂も処罰されることになっています」

 「人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者」 - 強要した者(他者に強制・他者を拘束・他者を妨害する者)。
 「その未遂も」 - 強要者。

強要罪が適用されるような「ものすごいやつ」は、そんなに数は多くないでしょう。けれど、これは「氷山の一角」で、「それ」が目立つようになってきているということは、他者に何かを強要する人は増えてきているのだろうと思う。本来の素の自分が通用していればしなかった/しなくて済んだ「無理強い」を、他人に強いるという人が増えてきているのだと思う。

「対処法としては、クレームを述べている側に自身が不当な要求(※)を行っていることに『気づかせる』こと」「多くの場合、クレーマーはその現場で『圧倒的に優位な立場にある』と思い上がっている状態でクレームを述べています。そのような思い込みが誤っているということに気づかせてやるのです」

「ものすごい例」は、クレーマー自身が、自身の思う場面で、自身の思うように「通用しない」から、つらみを込めた怨みを晴らしているのでしょう。

自分が通用している人、自分の通用しない部分はそれとして受け入れることが出来ている人は、他者に無理強いしたり強要したりしません。「される側」が自然に受け入れている状況であれば、または「する側」が望む行動を「される側」が自ら起こしている状況なら、つまり「する側」が「される側」に通用しているなら、無理強いや強要ということはそもそも発生しません。「する側」は、自分が通用し(てい)ないもどかしさ、苛立ちから、クレーマーになるのです。つまり、「期待する自分>現実の自分」のときに、人は「クレーマー=強要者」になる。

※不当な要求 : 他者に強制すること・他者を拘束すること・他者を妨害すること。他人の自由や権利を否定しまた破壊する権利自由は誰にもない。

小話。

2015-04-30 21:05:18 | その他
民主主義の終わりの始まり」 と 「ワン、ツー、スリー」 繋がりで、やがて日本にも来るかもしれない?「小話の時代」。

危険な抑圧の中に居たら、危険な抑圧者を目の前にしたら、笑える小話とかつぶやく皮肉とかが出るよね、きっと。堂々と面と向かうのは何しろ危険なんだから。
小話
小話


・そのうちに「ソ連刑法58条」が出来たりして。
・対義 - 「民主主義を否定する自由・権利までは認めない民主主義」「わかりやすく表現すると『他人の自由や権利を否定しまた破壊する権利自由は誰にもない』ということ」

自由とは
 哲学上の自由 - コトバンク
  ・「自由」とは「人間が行為する際に一つの対象を必然的に追求するのではなく,それ以外の対象をも選びうる能力」のこと
  ・「~からの自由」 : 「他から強制・拘束・妨害などを受けないこと」
  ・「~への自由」 : 「自己自身の本性に従うこと」
 「人と人の前者と後者はぶつかることがあるので、そこは調整が必要、望んだからといって他者に何をしてもいいわけじゃない、
 本性からの希だとしても、他者に強制・他者を拘束・他者を妨害していいわけじゃない、という部分が、『近代の成果』ですよね」。

ワン、ツー、スリー。

2015-04-29 04:54:54 | その他
おお、なるほど。
当方は事実関係に確信が持てないので決めつけられない。でももしかしたら、ワン、ツー、スリーを目の当たりにしているのかもしれない。

・ワン : 「秘密保護法」。
・ツー : 「昨日のニュース」。
・スリー :「圧力を受けた一般民間人や民間団体による自己規制」、「案外こんなところでは “あいたぁ!そぉーか!(右手を頭にのせながら笑顔で茶目っ気たっぷりに発言)”」。

民主主義の終わりの始まり。

2015-04-24 22:02:04 | その他
何がきっかけだったっけ?このところ続いている「報道・ニュース」 1, 2, 3, 4, 5 の続きで。

民主主義の終わりの始まり

「現に、最近のテレビは」(最近の「報道・ニュース」を扱うテレビ番組は)
 ・「グルメ、バラエティとウルトラエンタメに走っている」。
 ・「ハイテンションで出演者たちが、ゲラゲラ笑って見せている」。
 (※、※※)

やっぱりそうか。同じように感じている人はいるんだな。


※バラエティ番組はバラエティ番組でいいんですよ。人を楽しませるものとして作られたバラエティ番組は、人が楽しめれば素晴らしい。スポーツ番組、その他も同様。真面目が良くて不真面目(?)が良くない(?)という話ではないです。「報道・ニュース」を扱うテレビ番組や紙媒体が酷いことになっている、目的・役割に照らして酷いことになっている(バラエティ番組でいえば、面白くないバラエティ番組、なぜなら面白くしようという気力とファイトがないから、面白くすると怒る人がいて、その人が怖いから、スポーツ番組でいえば、ゴールの瞬間や勝負の決定的シーンを捉えない伝えない番組、なぜなら能力がないから、そのスポーツをわかっていないから、というのが酷い)、と感じている人がどうやら今たくさん居る、というお話です。
たとえば、火事の現場に居合わせたら、「普通の人」は、原則逃げること以外を考えては「いけない」が、任務中の消防士は、もちろん自身の安全を確保したうえで、消火や渦中の人の救出に、最大の行動をとるのが消防(士)という社会的機能、社会のなかでの役割です。もちろん自身の安全の確保が大前提だが、そのうえで、あとのことは何も知らない、火事もそこに居る人にも関知しないというのでは、それは消防(士)ではない。自身の安全確保と人命救出のために、その可能性と能力を向上させるために、訓練と装備・技術の向上をし続けるのが、消防(士)です。そこを放棄もしくはそこから撤退するのでは、それは消防(士)ではない。

※※「報道」はテレビ局のなかで偉そうにしている、なんて話も聞きますが、それが本当なら、先進国の中では特に悪い状態などといわれておいて、よく威張れますよね。仕事の大変な面(部分)はすべて放棄して(誰かやっておいて、と投げた後は無関心)、おいしい部分だけよこせ、という最近流行りのやつだろうか。
たとえば、「普通の人」われわれは、多くの場合、消防士にどことなく尊敬の気持ちを抱いています。それは、甘くはない訓練を続けたりすることによって、普通の人には出来ない危険なことに立ち向かう職業、社会的な役割だからです。いま現在そんなことは聞いたことはないですが、もし仮に、消防士が、火災の消火や人命救助およびその可能性と能力を向上させるための訓練と装備・技術の向上を放棄して、でも尊敬は今までどおりよこせ、と言い出したら、と思い浮かべてみてください。人びとは尊敬ではなくその逆、軽蔑の念を抱き、侮蔑の気持ちで見ることになるでしょう。



記者クラブについて。

2015-04-21 21:07:05 | その他
「記者クラブ制度」と「福島第一原発事故に対する報道」と「秘密保護法」繋がりで、記者クラブについて、ひとくさり考えてみた。


世の中の各々の仕事には、どの仕事にも、多かれ少なかれ、社会のなかでの役割という意味からの、社会の中で担う機能としての、職業上の理由から、守らなければならない制約や倫理がある。

たとえば、民間旅客機のパイロットは、乗務何時間前はアルコールを摂取してはいけない(※)。それは(お金を取って)人を運ぶ空飛ぶ乗り物を操縦するという社会的機能、社会のなかでの役割、職業上の理由(安全に運ばなければならない)からで、もしパイロットが、前の日朝まで飲んでふらふらしながら仕事をするのが武勇伝や笑い話になる仕事の人が羨ましい、不公平だ、と思ったとしても、それはせんのないことだ。心からそう思い、その「不公平」を受け入れられないのなら、その人は「パイロット」をやってはいけない。職業上の理由として、その「不公平」を受け入れられる人だけが、パイロットをやっていい。

「報道・ニュース」というのは、“「他を批判する社会的機能」だから、「報道・ニュース」に携わる人は、「『社会一般のモラルより一段と厳しく、最高の水準で』モラルを持たなければならない」”(ジャーナリズムの思想 岩波新書 1997/4/21 1)。「正しくない」ことをしている人や組織や業界を、「それは悪いことだ」「それは問題だ」と批判するのが「報道・ニュース」の社会のなかでの役割なのだから、これに携わる人や組織は、「普通の人」よりも、「正しくない」ことをしてはいけない。

その観点でみた場合の記者クラブ。

たとえば、建築業の人も小売業の組織も旅行業の業界も、仮に自身が既得権を掴んで離さないということがあったとしても、他の既得権を離さない人を批判したりはしない。でも「報道・ニュース」は、既得権を手放さない業界や組織や人を、「それは悪いことだ」「それはどこかが問題だ」といって批判するの(が社会のなかでの役割である仕事なの)だから、もし「報道・ニュース」の業界・組織・人が既得権を掴んで離さないことがあったら、建築業や小売業や旅行業の業界・組織・人が既得権を掴んで離さないでいることよりも、「悪い」ことだ。自身が既得権を離さないのに、「既得権を離さないのは問題だ」と誰かを批判するのは、「人間として悪い」「人としていけない」ことだ。つまり、酒を飲んで二日酔いの状態で仕事をするのを武勇伝顔するパイロットを「社会は受け入れられない」のとまったく同じ意味で、それは独占だ、それは既得権益うんぬん、とかねて他者を批判している「社会的機能」が自身の既得権を手離さないことは、「社会は受け入れられない」。

と、そんな風に考えた。



※バスの運転手さんとかも?