1960年代生まれの音楽メモ。

あの時観た映像や好きな音楽をクリップしておくブログ。

左右からの同じ声。

2017-08-19 14:13:58 | その他

【公共の空間で、何かされても声を上げない人、何かされれば当然何か言う人】 という観点で、 通ずるところ を引っ張ってみました↓。
記事
「不当な非難や侮辱、攻撃に対しては、やはり泣き寝入りするのではなく、自分の権利のために」声を上げるのが自然。「権利を侵害されたら救済手段を求めるというのが大切」。
「自己の権利が蹂躪されるならば,その権利の目的物が侵されるだけではなく己れの人格までも脅かされるのである」。
「権利のために闘うことは自身のみならず国家・社会に対する義務であり,ひいては法の生成・発展に貢献する」。
「自信たっぷりに断定口調で、『これが犯人』と事実無根でも名指しすれば、多くの人が『何か根拠があるのだろう』」「と思われ」「信じられたりしていくのです。普通の方は」「人が何の根拠もなく人を名誉棄損したり誹謗中傷するようなことはまさかすまい、と思う」ものですから。
でも、「現実には」「そうしたことがまかり通っているのです」。「こうした名誉棄損、意図的なデマ、誹謗中傷は、被害は男女問わずあるようです」。
「なかなか反撃ができない、法的手段に訴えないであろう、とみなされた人やマイノリティが対象になりやすいように思います」。
「そして、反論したり」「しないと、どんどんエスカレートしていく」。
「物言えば」「叩かれる、デマや」「誹謗中傷される、という」公共空間では、老若男女問わず、人は「委縮して物が言えなくなってしまうでしょう」。
「権利を行使しようとする人に対し」「誹謗中傷や侮辱がなされるケースが増え、物が言いにくい萎縮した環境ができつつあります」。老若男女問わずです。
「物言う」人間「は叩かれる、権利を主張するマイノリティは叩け、というような由々しき風潮をなくしていきましょう」。

これ↑、今の(日本の?)公共空間の状況かもしれませんね。「ソト」空間における状況。(「ウチ」と「ソト」。「ウチ」のなかでは、働いている力学はまた違いますよね。ウチにあっては、起きた出来事の文脈を、政治に着目して読もうとする人と、事実に着目して読もうとする人の2通りの人がいる、という考察が、たとえばあります:スーパーSE―システム設計と管理の社会学 ( ゜゜)


【言論では別の立場の人】が、同じ声をあげている部分↓。
記事
「反撃する術がないことを利用してやりたい放題」する人って!プンプン!!(-_-メ)



上下左右、老若男女、人種、ほか、どの立場からも、 「自分がよければ他はどうなってもいい」 というのはもうやめようよ。左右から同じ声ってことは...。お互いに、「ゆるし」「譲り合い」「相互尊重」が必要なのは、 ここ(このポイント) ではないか...?


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