これはこのブログのアンカーです。続きは「-12」に。
この映画、好きでしたね。胸が熱くなる、よかったなあ。美しかった。(゜-゜)
・A River Runs Through It Theme。
・リバー・ランズ・スルー・イット 1992年公開のアメリカ映画。
・ミズーラ (モンタナ州)。
・A River Runs Through It Theme。
・リバー・ランズ・スルー・イット 1992年公開のアメリカ映画。
・ミズーラ (モンタナ州)。
暴力とハラスメント(何がその核心か)の続き。
あなたの欲望の面倒をみるよ、とは言っていない人間に一方的にそれを押し付けること/何かの恨みを他人に押し付けて晴らすこと(つまり暴力/ハラスメント)をしない(で済む(※1))価値観、それはひとことで言い表わすと、日本ではよく言い古されている言葉、「自分がされて嫌なことは人にしない」と言うことができる。
「自分がされて嫌なことを人にしたい」という感情が「恨み」「嫉妬」であり、「自分がされて嫌なことは人にしない」ということが頭によぎらない、まったく省みないという気持ち・価値観が「自分さえよければ他はどうなってもいいという価値観(1)・世界観(2)」である。「恨み」「嫉妬」にとらわれた人/「自分さえよければ他はどうなってもいいという価値観・世界観」を持つ人は、反感(嫉妬/恨み)を晴らそうとして、欲望を満たそうとして、嫉妬/恨みの対象、欲望の的に絡みつく。欲望は充足されるまで延々と絡みつき、嫉妬や恨みは際限なく、終わることなく絡みつく。
一方、嫉妬された人、恨まれた人、意の外で欲望を駆り立ててしまった方は、その断面(※2)(の限り)において、できるだけ無関係でありたいと思う/願う(leave me alone)。
結局、俯瞰して見れば、嫉妬した人/恨んだ人/欲望にとらわれた人が、延々とその対象に絡みつく(※3)、という(外)形・様になる。
※1 で済む:それは俯瞰して見れば、「憐れな」様だから。
※2 嫉妬や欲望を抱いた人のその感情にまつわること/出来事/行為/事象。
※3 その人に物理的にまたは精神的にまとわりつく、視界に居る限り「許さない」、離さない、離してなるものか、といった執念を帯びた感じになる。
嫉妬や恨みや欲望にとらわれた行動をとりたくない、そういう様を「お天道様の前に見せたくない(※4)」と思うなら、 『自分がされて嫌なことは人にしない』 を、頭の片隅にいつも置いておくことである。恥も外聞もない者は、あるいは、恥も外聞も飛び越えるほどの強い嫉妬や欲望に駆られている人は、何も躊躇することなく嫉妬や恨みや欲望にとらわれた行動をと(り続け)るだろう、と思う。
※4 恥をかきたくない。
・世界観(情報源):
・「世界についての統一的把握をいい,知的側面ばかりではなく実践的,情緒的側面をも含めた包括的世界把握」「世界観は広く人生観と関連」。
・「世界およびその中で生きている人間に対して、人間のありかたという点からみた統一的な解釈、意義づけ。
知的なものにとどまらず、情意的な評価が加わり、人生観よりも含むものが大きい」。
・「世界全体の統一的な把握」「単に世界の客観的・知的な見方であるだけでなく,より直接的な主体的評価を含む」。
・「世界全体をどのようなものとして見るかという人間の基本的態度」。
・「世界についての統一的で全体的な理解。客観的な対象把握(世界像)にとどまらず、人の主体的な意義づけ・関係づけによって成り立つ」。
あなたの欲望の面倒をみるよ、とは言っていない人間に一方的にそれを押し付けること/何かの恨みを他人に押し付けて晴らすこと(つまり暴力/ハラスメント)をしない(で済む(※1))価値観、それはひとことで言い表わすと、日本ではよく言い古されている言葉、「自分がされて嫌なことは人にしない」と言うことができる。
「自分がされて嫌なことを人にしたい」という感情が「恨み」「嫉妬」であり、「自分がされて嫌なことは人にしない」ということが頭によぎらない、まったく省みないという気持ち・価値観が「自分さえよければ他はどうなってもいいという価値観(1)・世界観(2)」である。「恨み」「嫉妬」にとらわれた人/「自分さえよければ他はどうなってもいいという価値観・世界観」を持つ人は、反感(嫉妬/恨み)を晴らそうとして、欲望を満たそうとして、嫉妬/恨みの対象、欲望の的に絡みつく。欲望は充足されるまで延々と絡みつき、嫉妬や恨みは際限なく、終わることなく絡みつく。
一方、嫉妬された人、恨まれた人、意の外で欲望を駆り立ててしまった方は、その断面(※2)(の限り)において、できるだけ無関係でありたいと思う/願う(leave me alone)。
結局、俯瞰して見れば、嫉妬した人/恨んだ人/欲望にとらわれた人が、延々とその対象に絡みつく(※3)、という(外)形・様になる。
※1 で済む:それは俯瞰して見れば、「憐れな」様だから。
※2 嫉妬や欲望を抱いた人のその感情にまつわること/出来事/行為/事象。
※3 その人に物理的にまたは精神的にまとわりつく、視界に居る限り「許さない」、離さない、離してなるものか、といった執念を帯びた感じになる。
嫉妬や恨みや欲望にとらわれた行動をとりたくない、そういう様を「お天道様の前に見せたくない(※4)」と思うなら、 『自分がされて嫌なことは人にしない』 を、頭の片隅にいつも置いておくことである。恥も外聞もない者は、あるいは、恥も外聞も飛び越えるほどの強い嫉妬や欲望に駆られている人は、何も躊躇することなく嫉妬や恨みや欲望にとらわれた行動をと(り続け)るだろう、と思う。
※4 恥をかきたくない。
・世界観(情報源):
・「世界についての統一的把握をいい,知的側面ばかりではなく実践的,情緒的側面をも含めた包括的世界把握」「世界観は広く人生観と関連」。
・「世界およびその中で生きている人間に対して、人間のありかたという点からみた統一的な解釈、意義づけ。
知的なものにとどまらず、情意的な評価が加わり、人生観よりも含むものが大きい」。
・「世界全体の統一的な把握」「単に世界の客観的・知的な見方であるだけでなく,より直接的な主体的評価を含む」。
・「世界全体をどのようなものとして見るかという人間の基本的態度」。
・「世界についての統一的で全体的な理解。客観的な対象把握(世界像)にとどまらず、人の主体的な意義づけ・関係づけによって成り立つ」。
この曲も好きでしたね。なんというか、the Love Bug に通ずる「圧倒感」を感じる。そこが好きです。
・CAN YOU CELEBRATE? 安室奈美恵 feat. 葉加瀬太郎。
・1997年。
We will love long long time... We have loved long long time...。
・CAN YOU CELEBRATE? 安室奈美恵 feat. 葉加瀬太郎。
・1997年。
We will love long long time... We have loved long long time...。
ある芸人さんが、年齢を成人と偽られて男女関係をむすんだとされた件で、でも彼が悪いということになって謹慎することになった件で、テレビで共演している人が、この件彼は何も悪くないよね?謹慎?いまから電話してテレビで話をしようよ、と電話番号を知っている者に働きかけたことが、「パワハラ」だと話題になっています。その番組、自分も観ていたけれど、ハラスメントだとは感じなかった。むしろ逆で、仲間が悪いことをしたということにされて謹慎になっている、でもその件は彼はなんにも悪くないよね?と庇おうとしている、勇気のある行動だと胸がすく思いがして観ていました。
そこであらためて思いました。暴力とハラスメント、何がその核心か。
・ハラスメント:相手の感情や意思を無視して他人に何かを強制/無理強いすること。人格を無視されて何かを押し付けられている事/人に焦点が当たっている。
・暴力:意志の強制、自分の意志/意思を他人に強制すること。人格を無視して何かを押し付ける行為/人に焦点が当たっている。
行為者と被行為者の間に信頼関係がある場合、その行為をすること/受けることに同意がある場合は、そこで行われている行為は「暴力」でも「ハラスメント」でもない。問題は、受ける方がOKしていないのに欲望や願望を押し付ける 人がいる/行為がある 場合です。欲望願望が「片思い」である場合、あきらめれば何の問題もないけれど、あきらめきれないで押し付けるところが問題。行為の内容そのもの/行為がどんなものであるかは、まったく関係なし。
で、そのテレビ番組に話を戻すと、電話してと言った人と言われた人の間に、信頼関係が無いとも、本当に拒否しているとも思えなかった。少なくとも、言われた方が、言った方の意図はわかっていた or 信頼は置いている関係、と思えた。
どんなもんなんだろう。
もっといえば、あなたの欲望(※1)の面倒をみるよ、応じるよ、受け入れるよ、とは言っていない人間に一方的にそれを押し付けること、何かの恨みを他人に押し付けて晴らすこと、それが暴力であり、ハラスメントの核心だと思う。仕事上の関係や社会的立場を利用してそれをする場合をパワハラといい、性に関することに限定されたものがセクハラであり、公共の場、街路で見知らぬ他人にハラスメントをするのがストリートハラスメント(1)、という訳です。
たとえば相手の成長を本当に望んでする行為は見た目上事実上どんなにきつくても「ハラスメント」ではないし(←だから正当である、受け入れるべき、といっているわけではない※2)、業務上本当に必要でする無理な要求は不当な労働命令、指図かもしれないが「◯◯ハラスメント」ではない。「◯◯ハラスメント」と呼ばれるものには、行為者の欲望や恨みが入っている、混ざっている、というかそれが核心で、外側に他の何かをまぶしたもの、他の何かに託したもの、だと思う。
核心は、そこだと思う。
※1 欲望(手に入れたいもの): 関心、注目、好意、愛情、尊敬(敬意)、人の気持ち、良い都合、お金、モノ、体、ほか人が欲するもの全般。
※2 「ハラスメント」とは別問題といっている。
そこであらためて思いました。暴力とハラスメント、何がその核心か。
・ハラスメント:相手の感情や意思を無視して他人に何かを強制/無理強いすること。人格を無視されて何かを押し付けられている事/人に焦点が当たっている。
・暴力:意志の強制、自分の意志/意思を他人に強制すること。人格を無視して何かを押し付ける行為/人に焦点が当たっている。
行為者と被行為者の間に信頼関係がある場合、その行為をすること/受けることに同意がある場合は、そこで行われている行為は「暴力」でも「ハラスメント」でもない。問題は、受ける方がOKしていないのに欲望や願望を押し付ける 人がいる/行為がある 場合です。欲望願望が「片思い」である場合、あきらめれば何の問題もないけれど、あきらめきれないで押し付けるところが問題。行為の内容そのもの/行為がどんなものであるかは、まったく関係なし。
で、そのテレビ番組に話を戻すと、電話してと言った人と言われた人の間に、信頼関係が無いとも、本当に拒否しているとも思えなかった。少なくとも、言われた方が、言った方の意図はわかっていた or 信頼は置いている関係、と思えた。
どんなもんなんだろう。
もっといえば、あなたの欲望(※1)の面倒をみるよ、応じるよ、受け入れるよ、とは言っていない人間に一方的にそれを押し付けること、何かの恨みを他人に押し付けて晴らすこと、それが暴力であり、ハラスメントの核心だと思う。仕事上の関係や社会的立場を利用してそれをする場合をパワハラといい、性に関することに限定されたものがセクハラであり、公共の場、街路で見知らぬ他人にハラスメントをするのがストリートハラスメント(1)、という訳です。
たとえば相手の成長を本当に望んでする行為は見た目上事実上どんなにきつくても「ハラスメント」ではないし(←だから正当である、受け入れるべき、といっているわけではない※2)、業務上本当に必要でする無理な要求は不当な労働命令、指図かもしれないが「◯◯ハラスメント」ではない。「◯◯ハラスメント」と呼ばれるものには、行為者の欲望や恨みが入っている、混ざっている、というかそれが核心で、外側に他の何かをまぶしたもの、他の何かに託したもの、だと思う。
核心は、そこだと思う。
※1 欲望(手に入れたいもの): 関心、注目、好意、愛情、尊敬(敬意)、人の気持ち、良い都合、お金、モノ、体、ほか人が欲するもの全般。
※2 「ハラスメント」とは別問題といっている。