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私も実験しています♪
(
REIKO
)
2010-04-04 03:49:53
最近、パソコンのMIDI音源(デフォルトはもちろん12等分平均律)を他の音律に変える方法がわかったので、色々と鳴らして実験しています。
なのでとても興味深く書評を読ませていただきました。
<WTC>に関しては、バッハが各調の性格に合わせて曲を書いているとは私も思いません。
12等分ではなく、不等分で「24の調が(許容範囲内の汚くない響きで)演奏できる音律」で全て演奏した時、それら各調の微妙な響きの違いを味わうための曲集では?と思います。
まあ、長調と短調の2曲だけ書いて、それを全て移調し弾き&聴き比べてもいいわけですが、鍵盤曲は移調で(運指的に)弾きにくくなることがあるので、やはりそれぞれに曲を書いた方がベストだと思うわけです。
不等分律時代、鍵盤楽器の「調による響きの違い」は、純正でない(しかし何とか許せる程度の)長三度や5度が「適度に」含まれていることから生じるので、いくら響きが美しくても「全部ハ長調かイ短調に移調してキルンベルガー2で弾く」のは<WTC>の本意から外れるような気がしますね。
別の曲(集)ならともかく。
まあ、曲中の転調で多少響きが変わるかな?とは思いますが。
「巧みな調律」と平均律
(
ogawa_j
)
2010-04-04 12:05:38
確かブログ「ヘンデルをもっと楽しむ♪」の REIKOさんですね? 標題を「ヘンデルと戦慄の右脳改革音楽箱」に変更されたのですね。記念イヤーが終わっても、ヘンデルの魅力を伝えておられるREIKOさんに敬意を表します。
いただいたコメントは、実際に鍵盤楽器を弾かれる方のご意見だと思います。鍵盤楽器ですべての調性を弾くという練習の側面を別にしても、"Das wohltemperierte Klavier"は、やはり本来の調性で、非平均律で弾いてこそその本質が分かると思って居ますので、REIKOさんのお考えには賛同します。
(HTMLの関係で、「山括弧」を使うと、コマンドと解釈して、表示されないようです。それでREIKOさんのコメントの一部が欠けている意味が分かりました。)
不安定に漂う温度
(
pfaelzerwein
)
2010-04-05 02:42:51
ご無沙汰しております。偶々ヨハン・マッテゾンの調性論とバッハの関係を扱っていましたので興味深く拝読しました。
「鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」に関しては触れる立場にありませんが、バッハが置かれていた「時代の立場」と「完成した楽器」、またその奏法の歴史などを考えるとご指摘の点は良く理解出来ます。
指揮者のヘルヴェッヘはそれを、「不安定に漂う温度」と称して、その当時の調性感の秀逸を示唆しています。
Re:「不安定に漂う温度」
(
ogawa_j
)
2010-04-05 10:47:19
Pfaelzerweinさん、コメントありがとうございます。ヘッレヴェヘの表現は、不均等調律を表現する言葉として、確かに言い得て妙ですね。和音の美しさと、調性による響きの揺らぎが、音楽表現を豊かにしていたように思われます。長調と短調に二元化してしまった調性感が、無調音楽を生み出したのかも知れません。これは思いつきですが・・・。
バッハの好み
(
たぬき
)
2010-04-29 05:07:22
資料がないのでわかりませんが、バッハが好んだのは、ヴェルクマイスターかナイトハルトではないかという説があります。
バッハの音律
(
ogawa_j
)
2010-04-29 10:42:17
バッハの調律については、様々な説があって、本人がその件について何も残していないため、はっきりしたことは分かりません。そのため最近、href="
http://blog.goo.ne.jp/ogawa_j/e/ecdb8169733c1a1b2c60568b137ddabe"
target="_blank">バッハの調律法? 自筆譜の装飾模様を巡る最近の論議で説明したような、珍説が続々登場しています。しかし実際はおそらく、たぬきさんがお考えのように、ヴェルクマイスターやナイトハルトの様な、当時の要求に応じて考案された調律法のどれか、あるいはそれを独自に多少調整した音律ではないかと思います。それも「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」のように遠隔の調性を必要とするごく僅かな曲を演奏する時のチェンバロに限ったものではないかと思います。教会カンタータなどは、オルガンや木管楽器の調律やピッチを簡単には変えられませんしね。
二元化
(
陰陽
)
2012-10-10 21:50:27
教会旋法をイオニアとエオリアに集約した結果として、長調と短調の二元化が完成したのではないでしょうか。
するとそれはバッハの業績ということになるでしょう。
シェーンベルクはバッハを「最初の12音音楽家」と
位置づけたそうですから。
バッハは教会旋法を二元化して近代長短調を確立しました。
二元化した長短調を24の異なる音階開始音で書いて、弟子たちに全調の練習をさせようとしたのが「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」とも考えられますね。
もともと二元化された長調と短調から作られた24曲だとすれば、ハ長調とイ短調だけで弾くことは理にかなっているのではないでしょうか。
更に高度なテクニックを養成するには、ハ長調とイ短調からいろいろな調に移調して弾けばよいと思います。
長調と短調への二元化
(
ogawa_j
)
2012-10-11 10:54:54
陰陽さん、ご意見ありがとうございます。
音階の二元化という観点からは、ハ長調とイ短調だけで足りるという考えも出てくるかも知れませんが、楽器の調律が、理論的には平均律の存在は知られていても、実際には和音の純正な響きを求めていた時代に於いては、調性の違いによる和音、旋律進行の違いを意識していたはずで、橋本絹代氏は調性の性格論に否定的ですが、その意識を当時の人達が持っていたことは否定しようが無いように思います。ですから、音階のそれぞれを開始音とした長調と短調、合計24の調性による曲からなる「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」の存在意義は、当時も現在も厳然としてあるように思います。
直近のコメントについて
(
ogawa_j
)
2012-10-11 18:05:49
陰陽さんのコメントに対する先ほどの私のコメントは、バッハの『巧みに調律された鍵盤楽器のための24に前奏曲とフーガ』第2巻を聴くにおける私の、この作品は「長短合わせて24の調性すべてを演奏する事の出来る技巧を獲得するための練習曲を提供することにあり、・・・あまり音律について考える必要はないのではないか」という主旨の記述と矛盾するような気がします。しかしこれは、私としては音律の問題にのみとらわれて、この作品を見るのはおかしいのではないかと思う故のことで、決して音律を無視しているつもりではありません。
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なのでとても興味深く書評を読ませていただきました。
<WTC>に関しては、バッハが各調の性格に合わせて曲を書いているとは私も思いません。
12等分ではなく、不等分で「24の調が(許容範囲内の汚くない響きで)演奏できる音律」で全て演奏した時、それら各調の微妙な響きの違いを味わうための曲集では?と思います。
まあ、長調と短調の2曲だけ書いて、それを全て移調し弾き&聴き比べてもいいわけですが、鍵盤曲は移調で(運指的に)弾きにくくなることがあるので、やはりそれぞれに曲を書いた方がベストだと思うわけです。
不等分律時代、鍵盤楽器の「調による響きの違い」は、純正でない(しかし何とか許せる程度の)長三度や5度が「適度に」含まれていることから生じるので、いくら響きが美しくても「全部ハ長調かイ短調に移調してキルンベルガー2で弾く」のは<WTC>の本意から外れるような気がしますね。
別の曲(集)ならともかく。
まあ、曲中の転調で多少響きが変わるかな?とは思いますが。
いただいたコメントは、実際に鍵盤楽器を弾かれる方のご意見だと思います。鍵盤楽器ですべての調性を弾くという練習の側面を別にしても、"Das wohltemperierte Klavier"は、やはり本来の調性で、非平均律で弾いてこそその本質が分かると思って居ますので、REIKOさんのお考えには賛同します。
(HTMLの関係で、「山括弧」を使うと、コマンドと解釈して、表示されないようです。それでREIKOさんのコメントの一部が欠けている意味が分かりました。)
「鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」に関しては触れる立場にありませんが、バッハが置かれていた「時代の立場」と「完成した楽器」、またその奏法の歴史などを考えるとご指摘の点は良く理解出来ます。
指揮者のヘルヴェッヘはそれを、「不安定に漂う温度」と称して、その当時の調性感の秀逸を示唆しています。
するとそれはバッハの業績ということになるでしょう。
シェーンベルクはバッハを「最初の12音音楽家」と
位置づけたそうですから。
バッハは教会旋法を二元化して近代長短調を確立しました。
二元化した長短調を24の異なる音階開始音で書いて、弟子たちに全調の練習をさせようとしたのが「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」とも考えられますね。
もともと二元化された長調と短調から作られた24曲だとすれば、ハ長調とイ短調だけで弾くことは理にかなっているのではないでしょうか。
更に高度なテクニックを養成するには、ハ長調とイ短調からいろいろな調に移調して弾けばよいと思います。
音階の二元化という観点からは、ハ長調とイ短調だけで足りるという考えも出てくるかも知れませんが、楽器の調律が、理論的には平均律の存在は知られていても、実際には和音の純正な響きを求めていた時代に於いては、調性の違いによる和音、旋律進行の違いを意識していたはずで、橋本絹代氏は調性の性格論に否定的ですが、その意識を当時の人達が持っていたことは否定しようが無いように思います。ですから、音階のそれぞれを開始音とした長調と短調、合計24の調性による曲からなる「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」の存在意義は、当時も現在も厳然としてあるように思います。